薬師たちの小さな習慣

 これは、オルステラ大陸を巡る8人の旅人たちの中で最近見られるようになった、朝の光景である。


「んで、だ……その葉っぱひっくり返してみろ。裏の色がちげえだろ?」
「あら、ほんと。確かに、紛らわしいわね」


 朝の光差し込む宿の一室にて、椅子に腰掛けながら薬草の葉を2枚見比べているのは、踊子プリムロゼ。
「焦ると間違えるからな。葉の裏が赤い方は薬が強過ぎて治療にはよっぽど気をつけねえと」
 その後ろで説明をしているのは薬師アーフェン。しかし、彼の手にあるのは薬草ではなく、櫛とプリムロゼの髪である。


「でも、ちゃんと調合できれば赤い方が使い勝手いいんだよな……そっちの使い方は明日教えるわ」
 喋りながらもアーフェンはプリムロゼの髪に櫛を通し、丁寧に編んでいた。その手に甘んじて、プリムロゼはそっと目を閉じる。
「わかったわ。……それにしても、あなたほんとよく勉強してるのね。普段が大雑把だからとてもそんな風には見えないけれど」
「ちょ、それはねえだろぉ……? これでも、あんたが踊り練習してたのと同じ位の時間は頑張ってきたつもりだぜ?」
「……ふふっ、そうね」
「あっ、わ、笑うなって……髪が揺れっから」
 とは言ったものの、その頃にはアーフェンはもう髪を編み終えていた。最後に残った端を紐できちんと結わえると、大きく頷く。


「……よし、っと」
「あら、もう終わったの?」
 プリムロゼが目を開けて振り向いた。それと同時に、彼女の豊かな鳶色の三つ編みが揺れる。
 彼女の問いに応えて、アーフェンが自身の胸をとん、と叩いた。
「おう! どっか直すとこねえか?」
 プリムロゼは目の前の鏡を覗いて自分の姿を検分すると、もう一度振り返ってアーフェンに微笑んでみせた。
「いいえ、大丈夫よ。今日もありがと」
「いいってことよ! じゃあ、また後でな」


 アーフェンは手に持っていた櫛をプリムロゼに返すと、軽い足取りで宿の部屋を去って行った。
 入れ違いに、朝食を取っていたトレサとハンイットが帰ってくる。
「ただいま〜。まーたアーフェン来てたの?」
 屈託なくトレサが言い、ハンイットも疑問を口にする。
「最近この時間になると毎日来ているな。どういうことだ?」
「ふふ、プリムロゼさんの髪を編んでいたんですよ」
 返事をしたのは当の本人ではなく、ずっと部屋の中で朝のお勤めをしていたオフィーリアだ。その答えに、トレサが目を丸くする。
「え? 薬師の話してたとかじゃなくて?」
「もちろん仕事の話もしてたわよ」
「へえ~?」
 最近プリムロゼはパーティー内の役割分担の一環で、薬師の仕事を習い始めたばかりなのだった。
 椅子に腰掛けながら艶然と笑う彼女の姿をしみじみ見ながら、トレサが言う。
「それにしてもプリムロゼさん、そういう格好でも綺麗よね。うらやましいわ」
「ええ、本当に。ぐっと雰囲気が変わって……でも、素敵です」
 オフィーリアも同意してため息をつく。


 確かに、薬師に扮したプリムロゼはいつもの煌びやかな姿と違っていた。露出度の高い踊り子の衣装から、草色のワンピースに生成りの白い上着という素朴な服装に着替えていて、いつも後ろにまとめあげている髪も、今はふたつ垂れ下がった三つ編みである。薬師の女性としては普通の格好ではあるらしいが、一見するとどこにでもいる村娘のような外見だ。
 けれどそれでいて、彼女のもつ生来の誇り高き美しさはまったく損なわれていないのだった。薬師と紹介されても、よほど鈍い人間でなければちょっと信じられなくなるほどだ。


「ああ。美人はどんな服装でも美しく見えるものだな」
 ハンイットが素直に感想を言うと、プリムロゼは少し照れたようにありがと、と笑った。
「しかし、その髪をアーフェンが編んだのかと思うと……それはそれで不思議だな」
「それね~」
 トレサが、眉をしかめながらプリムロゼのおさげの端を摘んだ。
「アーフェンのくせに、けっこう綺麗にできてるところがなんとも言えないわ。案外器用なのね、あいつ」
 無遠慮なコメントに、プリムロゼも苦笑を返さざるを得ない。
「あら、やっぱりそう思うわよね? 昔は幼馴染みの妹さんの髪もやってあげてたらしいけど」
「そうなんですか……きっといいお兄ちゃんだったんですね。目に浮かぶようです」
 実際に脳裏にその光景を思い浮かべてみたのか、オフィーリアがころころと笑った。
「きっと、今日プリムロゼさんにしてあげてたみたいに、すごく丁寧にされていたんですね」
「……そうね。丁寧だったのは丁寧、だったわ」


 プリムロゼが不意に鏡へ視線を向けた。その微妙な反応を見咎めて、トレサは「おや?」と思った。ちょっと珍しい表情だったのだ。
 しかしそれを指摘する前に、腕を組んだハンイットが呟いた。
「……だがプリムロゼ、あなたのことだ。別に、1人でも髪くらい編めるんじゃないか?」
 それを聞いて、プリムロゼはほんの少し目を開いた。オフィーリアがまあ、と口に手を当てる。
 期せずして放たれた、ある意味核心を突いた問いにどう答えるだろうかと、トレサはごくりと唾を飲み込んだ。すると。


「そうね。でも、1人で編むのも結構大変なのよ?」

 振り向いて笑ったプリムロゼの顔に、女性陣三人はあっけに取られた。
 言葉を継げないでいる三人にかまわず、プリムロゼは椅子から立つ。
「それじゃあ、私も朝食に行ってくるわね」

 一言残して、彼女は部屋を出ていく。その足取りは踊るように軽かった。

「……うーむ、分からないな……」
 ややあって、首を傾げたままのハンイットが呟いた。
 その後ろで、トレサとオフィーリアが顔を見合わせた。二人はお互いの表情で、自分たちが考えていることがどうやら同じであることを察する。
 オフィーリアが、ハンイットの背中をつついてこう言った。
「ハンイットさん、今度アーフェンさんが髪を編んでる時に、プリムロゼさんの顔を見てみてください。……きっと、さっきみたいにとっても素敵な笑顔をしていますから」


   ◆

 一方、その頃の男性陣はというと。
「おす、帰ったぜ~」
 意気揚々と男性陣で借りていた部屋に帰ってきたアーフェンを一瞥して、テリオンが呆れたように言った。
「……アーフェン、踊り子に踊りでも習ったのか?」
「へ?」
「足が踊ってるぞ。……うるさくてかなわん」
「……はぁ!?」
 仲間の皮肉に明らかな揶揄を悟ったアーフェンは、顔を真っ赤にして慌てた。
「べっ、べ別に俺はいつも通りだっての! なあ先生!」
「ん?」
 呼ばれたサイラスは相変わらず本に目を落としていたが、それでも会話は聞いていたらしく、愉快そうに片方の眉を上げた。
「……そうだね、テリオン君の言うように足が踊っているかは私には分からないが、近ごろのキミは朝の機嫌がすこぶる良さそうに見えるよ」
「ああ、うるさいくらいにな」
 すかさずテリオンの肯定が入り(とても珍しいことだ)、アーフェンはぐっと言葉に詰まった。そんな彼を眺めながら、サイラスは顎に手を当てる。
「なぜそうなのか、ちょっと考えていたんだけれどね……」
「ええ……考えてたのかよ先生……」
「キミの、色々な意味で真っ直ぐな振る舞いは実に興味深いからね。それで気づいたんだが……もしかして、プリムロゼ君が薬師を始めた時期と、何か関係があるのではないかと思ったんだ」
「別に、考えるまでもないだろう」
 やれやれ、とテリオンが首を振る。
「やたらと親切にしてやってる。俺が薬師やってた時とはえらい違いだ」
「なっ、俺ちゃんとテリオンにも教えてやってただろ!」
「……必要な知識は教わったがな。毎朝講義を受けた覚えはない」
「そ、それは……なんつうか、その……そりゃ、美女に教える時の方が気合入るのは、男としちゃ当たり前だろうが……」


 テリオンの呆れた目とサイラスの愉快そうな笑みの圧力に負けてか、はたまた語るに落ちているのを自覚しているのか、どんどんアーフェンの声が小さくなっていく。
 仲間二人のまなざしは明らかに「それだけじゃないだろう」と言っていた。


「だ、だから……その……なあ、オルベリクの旦那もなんか言ってくれよ!」
 旗色の悪くなったアーフェンが、ずっと黙々と剣の手入れをしていたオルベリクに助けを求めた。この良識ある剛剣の騎士なら、きっと取りなしてくれるに違いないと。
「……」
 ちら、と顔を上げたオルベリクは、冷や汗をかいているアーフェンの目を暫し見つめた。そして。
「……お前が仲間に対してどんな感情を持とうが、それはお前の自由だが……一つだけ、忠告しておこう」
「?」
 きょとん、と目を瞬かせたアーフェンに、オルベリクはほんの少しだけ口の端を上げてみせる。


「戦場では、女の話をしていた兵士が真っ先にやられる事が多かった。……ゆめゆめ、油断を怠らないことだ」


「お……おう……って、だからちげえってのによおおー!」
 また顔を真っ赤にしたアーフェンが叫び声を上げた。それを見て、サイラスがとうとう笑い出す。オルベリクは剣の手入れに戻ったが、口の端はまだ上がったままだ。
 ただ一人テリオンだけは、うるさい、と深くため息をついたのだった。

 

 ──オルステラ大陸を巡る8人の旅人の朝は、かくして賑やかに始まるのである。




薬師ロゼさんの格好めちゃめちゃ可愛いですよね~!!というフォロワさんとの会話から生まれたお話です。
当時は使用許可ありがとうございました。

pixiv公開: 2018/8/8