踊子たちの新しい発見

 昼下がりの静かな酒場に、フィドルの軽やかな旋律が流れている。
 小さな舞台の上ではたったひとり、大柄な青年が、不慣れながらも一生懸命に踊っていた。


「そう、アーフェンその調子よ!」
「お、おうっ!」


 青年──薬師アーフェンは、旅の連れであり踊りの講師役でもある女性、プリムロゼの声を受けてもう一度ステップを踏む。フィドルが奏でる旋律が、はじめのテーマに戻ってきた。
 右足を右に、左足を後ろに、腕を真っ直ぐに上げたら、くるりとターン。
 舞台の中央に戻ってポーズを決めると同時、フィドルの旋律が終わった。とたん、ホールに集まっていた旅の連れたちから一斉に歓声が上がる。
「おおーっ! アーフェンやるじゃない!」
「うん、実に良かった! 大柄な男性が躍動感ある動きをしているのはいいものだね、エネルギッシュで情熱的で、とてもアーフェン君らしい踊りだったよ」
 トレサが手を叩き、サイラスが子どものように目を輝かせて褒め称える。それを聞いて、アーフェンは安堵と照れと嬉しさが混ざった気持ちでほっと息をついた。
「へへっ、それなら良かったぜ。ありがとな!」
 アーフェンはパーティ内の役割分担の一環として、最近プリムロゼから踊りを習い始めたばかりだったのだ。
 そして今日は営業前の酒場を借りて、度胸試しも兼ねた成果発表会をしていた、というわけだった。


 ホールの端の方で踊りを眺めていたオルベリクが、しきりに感心したように頷いていた。
「お前は案外器用なんだな……俺はどうにも身体が重くてダメだ」
「ん? 旦那も踊りは苦手だったけか?」
「そんなことないわよ」
 否定したのはプリムロゼだ。くすっと笑って、こう続ける。
「オルベリクは真面目過ぎるのよ。もう少し肩の力を抜いて、調子に乗れればかなり良くなるわよ。……まあ、そこへ行くとテリオンが一番筋が良かったけれどね?」
 といって、プリムロゼはちらりと隅で腕を組んでいる盗賊の青年を一瞥したのだが、
「……うるさい。俺はもうやらんぞ」
 当のテリオンは思い切り低い声で切り捨てたのだった。そんなやりとりに口を尖らせたのはトレサだ。
「えー? あたしもテリオンさんの踊り見てみたかったわ、どんなのか気になるじゃない。ねえ、オフィーリアさん?」
「……」
 しかし、話を振られたオフィーリアからの返事はない。
「オフィーリアさん? 口開いてるわよ」
「はっ!」
 トレサに肩を叩かれて、オフィーリアは現実に戻ってきたらしい。顔を赤らめて慌て出した。
「すっ、すみません……ぼうっとしてましたっ」
「どしたの?」
「そ、その……男の人の肌を、見慣れていなくて……」
 と言って、オフィーリアはちらっとアーフェンの装いの方に目を向けた。はたと視線が合って、アーフェンが自分の方を指さす。
「ん? このかっこ?」


 確かに、踊子アーフェンの服装は動きやすさと華やかさを優先して、下はゆったりした長いズボンを履いているものの、上は裸の胸に金刺繍の入った鮮やかな緑のベストを身につけているだけだ。
 普段のアーフェンは薬師としてシャツとベストを着込んでいるので、女性の前で肌を見せるのは確かにあまりないことだった。
 
「な、なんだか……逞しいんだなと、思いまして」
 そんな風に言われればアーフェンだって悪い気はしない。調子に乗って、ニヤリと笑みを浮かべてみせる。
「へへ、見とれたか?」
 オフィーリアがぱっと目を丸くした、次の瞬間。
「おぁいてッ!?」
 無造作に縛っている髪をぐいっと引っ張られて、アーフェンが情けなく悲鳴を上げた。
「何すんだよプリムロゼ!?」
「調子に乗らないの」
「……へい」
 アーフェンがおとなしく項垂れたのを見て、トレサが腹を抱えて笑いだした。顛末を眺めていたハンイットも喉の奥で笑っていたのだが、そこは女性陣最年長で落ち着いた物腰を持つ彼女のこと、すぐ話題を切り替えるようにこう言った。
「それより、本職からしてどうだったんだ? アーフェンの踊りは」
「!」


 プリムロゼが振り返ったので、アーフェンは思わず背筋を伸ばしてしまった。
 彼女のお眼鏡に叶わなければ、実戦で踊ることはできない。つい今しがた叱られたのも相まって、真っ直ぐ見つめてくるエメラルドグリーンの瞳に緊張してしまう。
 ややあってから、プリムロゼは腕を組んでこう言った。


「……そうね、まだ不慣れなところが目立つし、ちょっと余裕がないのが気になるわね。手足はもっと先まで伸ばした方がいいと思うわよ。でもね」
「でも?」
「音楽にはよく乗れていたし、サイラスも言ってたけど動き自体には躍動があっていい感じよ? 見ていて元気が出そうな、いい踊りだったわ」
 そんな褒め言葉に、旅の仲間たちがほうと感心した。しかし当のアーフェンは、例によって尻のあたりがむず痒くなってしまう。
「そ、そか……? あんま自信なかったけどよ」
「大丈夫、このままいけばちゃんと効果が出るわよ」
「ならいいけどよ……つーか、元気が出るっつったら美人なあんたが踊る方がよっぽどだけどなぁ」


 アーフェンとしては心からそう思って言ったのだが、プリムロゼは虚を付かれたようで。
「……あら」
 口に手を当てたまま、くすくすと笑いが止まらなくなってしまった。


「ん? 俺変なこと言ったか?」
「……言うわね、アーフェン」
「ふふっ、そうですね……」
 当惑するアーフェンだったが、彼にトレサとオフィーリアの呟きは幸か不幸か届いていないのだった。
 すると、サイラスがこんなことを言い出した。
「うん、私もプリムロゼ君の踊りにはいつも元気を貰っているし、アーフェン君の踊りもとても良かった。……どうだろう、二人で一緒に踊ってみたら、相乗効果でもっと元気が出るんじゃないのかな」
「! それ、素敵です」
 真っ先に賛成したのはオフィーリアだった。
「わたしも見てみたいです、お二方で踊るところ」
「ええ? 本気か!?」
「いいじゃない、減るもんじゃなし! あたしも気になるわ」
「うそー……」
「やってみればいいじゃないか、わたしも見たい」
「ああ。何事も挑戦だぞ、アーフェン」
「……あんた、意外と気になってるだけだろ」
「是非踊ってくれないか、アーフェン君、プリムロゼ君」


 すっかり乗り気な連れの六人に、まだ自信のないアーフェンは弱ってプリムロゼを振り返った。
「マジかあ……プリムロゼだって困るだろ、そんなの」
 ところが、プリムロゼから返ってきた言葉はアーフェンの予想外のものだった。
「あら、いいじゃない? やってみましょうよ、せっかく素敵な音楽家もいるんだし」
「へっ?」
 プリムロゼは舞台の端でフィドルを携えていた紳士の方を振り返った。──言うまでもなく、プリムロゼが“誘惑”で連れてきた演奏家である。
「おじ様、賑やかなワルツを一曲お願いするわ」
 プリムロゼの微笑みを受けて、心得たとばかりに紳士がフィドルを構える。
「えっ、マジでやんの!? 俺二人で踊るやり方知らねえぞ」
「大丈夫よ、踊りながら教えるから。さ、行くわよ!」
「ちょっ、プリムロゼ……!?」


 二の足を踏んだままのアーフェンの右手を、プリムロゼがさっと取る。同時に、さっきよりももっと賑やかな旋律が流れ出した。
「ちょっ、待てって、おい!?」
 アーフェンは舞台に上がっても慌てていたが、プリムロゼは涼しい顔だった。
「落ち着いて、さっきと同じ動きをするだけだから」
「ん?」
「向かい合って、私があなたと逆の動きをするわ。ほら、右足、左足。それで」
 言われるままに足を動かし、手を繋いだままの腕を上げると、プリムロゼがくるりとターンを決めた。
「ほら、次はあなたの番」
「! なるほどな」
 練習の時からずっと繰り返してきた動きだ、ただ少しテンポが速いだけ。アーフェンはすぐに飲み込んだ。


 右足を右に、左足を後ろに。向かい合ったプリムロゼが鏡写しのようにステップを踏んで、手を繋いだ腕をすっと上げてくれる。ふっと手が離れて、その動きの流れに沿うように、アーフェンもまたくるりとターン。
 すると、舞台の下から拍手が聞こえた。


「できたじゃない」
 だから大丈夫って言ったでしょう、そう言いたげなプリムロゼに、今度ばかりはアーフェンも素直に頷いた。
「だな! ……なんか楽しくなってきたかも」
 ターンから戻って、いったん離れた手が再び繋がった。こちらを見上げるエメラルドグリーンの瞳と、ふと目が合う。


「ふふ、私もよ」
 ──その瞬間、アーフェンの中で時間が飛んだ。


 フィドルの奏でる旋律は聞こえていなかったし、どうやってステップを踏んでいたのかも殆ど意識していなかった。
 ただ、気づいた時には音楽が終わっていて、アーフェンは息を切らしたまま呆然と舞台の上に立っていた。
 ホールには仲間たちだけでなく、酒場のマスターや仕込み中の料理人まで出てきて、二人の踊子に惜しみなく歓声と拍手を送っている。


「わああ、すごいすごいー!」
「うん、思った通りだ、とても良かったよ!」
「お二人とも本当に素敵でした!」
「うふふ、ありがと」
 プリムロゼが微笑みながら、いつものように優雅に挨拶している。それに気づいて、アーフェンも慌てて頭を下げた。
「うん、無理を言ってみた甲斐があった。すごくよかったぞ、二人とも」
「ああ、正直予想外だ。これは鼓舞されるな」
「……ふん」
 酒場のホールの一番隅にいたテリオンですら、こちらにしっかり視線を向けていたようなのだから、きっと大成功なのだろう。あまり実感が湧かないまま、アーフェンはただぼうっと舞台の下を眺めていた。
 すると、ぽんと腕のあたりに触れる手がある。
「うまくいったわね、アーフェン?」
「お、おう……」
 だが、アーフェンは踊りの成功を喜ぶどころではなかった。足元が奇妙にふわふわして、心臓の辺りがどきどきと変な鼓動を立てている。
「わり……ちと、休憩してくるわ」
「そう? 分かったわ」
 常ならぬアーフェンの様子に気づいてか、小首を傾げたままのプリムロゼが了承する。
 危うい足で舞台を降り、ホールのドアを開けて薄暗い廊下に出る。まだやんやと感想を言い合っている騒めきをドアの向こうに締め出すと、アーフェンの周りの空間は嘘のように静かになった。
「……はー……」
 廊下の壁に寄りかかると、そのままずるずると崩れ落ちてしまう。顔が熱いのが踊りのせいだけではないことに、彼は気づいていた。
 目を閉じると、最初のターンを決めてからのあの瞬間が、すぐ脳裏に蘇る。


『二人で踊るのって、こんなに楽しいのね』
 そんな風にはしゃいで言ったプリムロゼの、少女のように無邪気な微笑みが、アーフェンの胸に残って離れないのだった。
 踊っていた間中も、こうして蹲っている今も。


(……あんな顔、すんだな。プリムロゼって)
 思い出すだけで、頭がどうかなってしまいそうだった。普段は微笑む時も踊る時も、大人っぽい艶やかな雰囲気を絶やさない彼女のあんな顔は初めて見た。そのうえ、ああも間近で──。
「……俺、もしかしたら、やべえかも……」
 今度は声に出して呟く。すると、そんな気がしていたのがますます確信を持って胸に迫ってくるように思える。
 踊りを習ったのはただの役割分担だったはずなのに、ひょっとしたらとんでもないことになってしまったかもしれない。まだ続けていたいような、これ以上踏み込むのはやめた方がいいような。


 再びホールに戻ってくると、舞台の上ではアンコールに応えたプリムロゼが華やかに踊りを見せていた。そんな彼女の美しい足捌きから、可憐に変化する表情のひとつひとつから、どうしても目を離すことができない。
「……ゼフ、俺、どうしたらいいんだろうな……?」
 届くはずはないと分かっていても、思わずここにいない幼馴染みを呼んでしまうアーフェンなのだった。



薬師プリムロゼのお話と対っぽいタイトルですが、時系列は特に関係ありません。
ちょうどファ〇通に踊子の設定画が公開された頃で、アーフェンの踊子衣装にとてもテンションを上げていました。
pixiv公開: 2018/9/19