薬師の不養生

「呆れたわね、アーフェンったら」
 天井がぐらぐらと揺れ、身体は燃えるように熱い。
「……すまねえ……」
 ようやく漏らした声は、しかしほとんど声になっていなかった。
 ここはとある街のとある宿。その一室で、薬師アーフェンは高熱を出して寝込んでしまっていた。
「あなた、人には無理するなって言うくせに自分のことは棚に上げるのね。薬師の不養生とはよく言ったものだわ」
 ベッドサイドについてくれているプリムロゼの声は完全に怒っていた。


 アーフェンが倒れたのはつい先程のことだった。
 夕暮れ時、彼ら8人の旅人たちがいよいよ街に着こうかというとき、茂みから襲ってきた魔物に不意を突かれてしまったのだ。その時しんがりを歩いていたのがたまたまプリムロゼで、とっさにアーフェンが魔物からプリムロゼを庇ったのはいいが、魔物の突進で突き飛ばされたあとその場に倒れ伏したまま動かなくなってしまった。
 間もなく魔物は剣士オルベリクと狩人ハンイットに倒されたものの、起き上がれないアーフェンを見て、魔物に毒でもあったのではと旅人たちはひどく心配したのだ。
 しかし真相は魔物の毒ではなく、アーフェンがその日1日体調が悪かったのを隠していたのが、倒れてしまったことで表に出てしまったということだった。


「……面目ねえ……」
 ことがことだけに、プリムロゼが怒るのは無理もない。分かっていたからちゃんと謝りたいのに、それすらまともに声になってくれない。喉が腫れ上がってしまっていたからだ。
 今朝からずっと痛いのを我慢して声を張っていたのだから、当然の結果である。
「……もう」
 プリムロゼはわざとらしくため息をついてみせてから、乳鉢の中で練っていた薬を丸めた。薬草を何種類か混ぜて作製した、熱冷まし用の丸薬である。
 プリムロゼがアーフェンの看病役を買ってでたのは、たまたま彼女がパーティ内の役割分担の一環で薬師の役目に就いていたからだった。
「起きれる?」
「ん、……おう」
 熱が高いせいで動きがおぼつかないが、プリムロゼの手に支えられながらなんとかアーフェンは身体を起こす。
 それだけでも体力を何割か使ってふう、と息をついたアーフェンを見て、不意にプリムロゼが呟いた。


「……ごめんなさい」
「へ……?」
「本当は、こうなる前に私が気づいてなければ駄目なのにね」


 今は私も薬師なんだもの、とプリムロゼは俯いた。その拍子に、いつもと違い編んで下ろした髪が揺れる。
 そんな彼女を見て、アーフェンの頬が熱と違う意味で赤くなってしまった。
(……かわいい……)
 熱で動きの鈍った思考は制御がきかない。
 下ろした髪も、俯いて揺れるエメラルドグリーンの瞳も、申し訳なさそうに引き結ばれた唇も。自分を思って見せる表情に、アーフェンの心は激しく揺らされる。そんな場合じゃないのに。


「……あんたは、悪くねえよ」
 自然、プリムロゼを気遣う言葉が口をつく。
「隠してたのは、俺だしよ。……無理して倒れて、迷惑かける方が……わりぃに決まってら」
「……もう」
 分かってるんじゃない、とプリムロゼから苦笑が漏れた。
「だったら、はい。これを飲んで、早く治ってちょうだい。そして次からは無理をしないこと」
 声が出せずにただ頷いて、アーフェンはプリムロゼから丸薬を受け取った。ついで水の入ったコップも受け取って、アーフェンは熱で自由のきかない体が許す限りの勢いで一気に薬を呷った。
(ッ、にっが……!!)
 とたん、咳き込んでしまう。自分で作ったレシピなのだからまずさは百も承知だが、分かっていたとしても辛いものはつらい。良薬は口に苦しとはよく言ったものだ。
「大丈夫?」
「……ああ、平気だ。ありがとな」
 涙目になりながらもアーフェンは笑顔を作った。
「さすが、あんたの作った薬だからよく効く気がするぜ」
「……作り方はあなたが作ったんでしょ」


 怪訝そうな顔をするプリムロゼに、アーフェンはこっそり心の中で呟く。
 ──わかってねぇな、好きな女が作った薬だからに決まってんだろ。
 でもそれを口に出すことはなく、アーフェンはおとなしくベッドに横になる。味の方は改善の余地ありだな、と心の中に刻みながら。


 その様子を見届けて、プリムロゼが言う。
「そしたら、私は夕食に行ってくるわね。すぐ帰るから、それまで大人しくすること。いいわね」
「……おう」
 嗄れた声でやっと返事をして、アーフェンは目を閉じた。途端、さっきまで体を起こして喋っていた反動が襲ってくる。横になっているのに、いよいよ熱による眩暈で頭の奥がぐらぐらする。
 プリムロゼの──ひいては自分の作った薬を疑うわけではない。けれど、本当に自分の体は大丈夫なんだろうか。そんなことを思ってしまう。


 考えてみれば、こうして高熱でベッドに倒れるのも何年振りだろうか。基本的にアーフェンは健康優良児であるし、日頃から薬師として体調には気をつけていたから、ここまで具合が悪くなるのはひょっとしたら、十年前の奇病にかかった時以来、かもしれない。
 ──まさか、あの病気の再発とか、ねえよな。
 ──いや、ねえだろ。だって手や足は今震えたりしてねぇ。
 ──こいつはただの風邪と、あと疲れが出ただけだ。プリムロゼもそう言ってた、はずだ。
 ──でも、もしさっきの魔物が病原菌を持っていたとしたら? そしたら、今の俺の体はそれに耐えられるのか?


「……アーフェン?」
 不意に名前を呼ばれて、アーフェンははっと瞼を上げた。こちらを覗き込んでいるエメラルドグリーンの瞳と視線が合う。
 プリムロゼはひどく心配そうにアーフェンの顔を見下ろしていた。
「……どした……?」
「だってあなた、酷い顔してるんだもの。……やっぱり、辛いのかしら?」
「……っ」


 アーフェンは顔を背けた。
 辛いのはつらい、けれどそれは症状のせいじゃない。いつになく弱気になってしまった精神のせいだ。
(しっかりしろ、アーフェン・グリーングラス。病は気からって言うだろ)


「……俺は、へーきだ」
「嘘ね」
 精一杯の虚勢を、あっさりと否定される。
 プリムロゼは一転、厳しい瞳でアーフェンを見つめていた。
「嘘じゃないのなら、私の目を見て同じことを言ってみなさい」
「……」
 アーフェンが答えられないでいると、そっと手に何かが触れる。
 ひんやりと柔らかい感触が、プリムロゼの手が自分の手を握ったからだと気づくのに、少しかかった。
「……さっき、無理はしないでって言ったでしょう?」
 優しい声が耳に落ちて、熱で凝り固まった意地に罅を入れていく。
 力になりたいのだ、という彼女の想いが、その間からアーフェンの心に染みていった。


「……俺、こんな風に倒れんの、久しぶりで」
「……ええ」
「自分で、薬師のくせに……自分の体のこと、わかんなくってよ。……少し、不安になっちまった」
「そう」
「……おう。……ほんと、そんだけだから。……大したこと、ねえから」


 けれど、プリムロゼは首を振った。握っていた手を離して、その手のひらがそっと、アーフェンの火照る頬に添えられる。
「へっ……?」
 戸惑うアーフェンに、プリムロゼは穏やかな声で語りかけた。
「こんなに熱いんだもの、不安になるのは当たり前よ。……大丈夫、薬も飲んだんだから、明日には熱は
下がるわ」
「……。そ、かな」
「ええ。これはただの風邪で、無理した報いが来ただけの話。……大丈夫、だいじょうぶ」
「……」


 ひんやりと柔らかい手のひらが、頬を撫で、額に触れる。久しく思い出すこともなかった感触に、不思議とアーフェンの揺れる不安が宥められていく。
 ──きもちいい
 うっとりと浸りながら、アーフェンは目を上げる。
 熱で霞んだ視界の中、寄り添ってくれているプリムロゼの姿が映る。ランプの光で照らされた豊かな鳶色の髪は金に縁どられ、エメラルドグリーンの瞳にもまた星が宿っている。美しい顔は慈しんでくれているように穏やかで、そんな姿はまるで夢の中に降りてくる、


「……天使、みてえだ」


 熱で動きの鈍った思考は制御がきかない。思ったことはそのまま音になって零れ落ちたが、彼自身はそれに気づかないまま再び目を閉じた。
(……どうしよ、なんか幸せだ)
 これは、熱で倒れていなかったら知らなかった幸福だ。こうなってしまったのは自分が悪いけれど、ほんの少しだけ、こうなってしまって良かったな、とも思う。
 ──悪いな、でもありがとな、プリムロゼ。
 額に触れていたはずの手のひらが固まってしまっているのにも気づかぬまま、アーフェンは幸せのうちに意識を落としていくのだった。



アーフェンは小さいころあれだけの病気をしたのだから、具合が悪くなることにトラウマがあるんじゃないかなと思っていました。
pixiv公開: 2019/2/13