The style Beyond a cocksome

 鏡の中の自分と睨み合いをしながら、アーフェンは落ち着かなく身を捩っていた。彼の大柄な体格の下で、パイプ椅子がぎし、と安そうな音を立てる。
「こら、じっとしてるの」
 と、後ろから叱責が飛んでくる。さっきからアーフェンの髪をいじっている女性、プリムロゼのものだ。彼女の母親のような言い方に、アーフェンは口をへの字に曲げながらもしぶしぶ従った。
 とはいえやはり居心地は悪いまま。肩はしゃちほこばって、椅子の上で握り締めた拳には指が食い込む。何より、心臓がさっきからうるさい。普段通りのテンポなど忘れてしまったかのようだ。
(これがじっとしてられっかよ……!)
 アーフェンは内心で気炎を上げた。頭の上でとさかのように跳ねている髪のあいだを、プリムロゼの細い指が通り抜けていく。引っ張られたり撫でつけられたり、決して優しい動作ではないのに、なんだか妙に甘い気持ちにさせられてしまうのだ。
 たまには私がやってあげるわよ、とワックスを片手にプリムロゼが言い出したのは、今夜彼女や他のメンバーたちと出演するカルテットのリハーサルをすっかり終えた時のことだった。あとは軽く身支度をしつつステージへ向けて集中するだけという場面に、思わぬ爆弾が投下された形だ。せっかくリハを通して気合いが入っていたのに、こんな状況に置かれては集中どころではない。
 ていうかあんたも化粧直しとかいいのかよ、と一応突っ込んだアーフェンだったのだが、「私のことは気にしないでいいのよ」と艶やかに微笑まれればそれ以上食い下がることもできない。アーフェンはプリムロゼと出会ってこの方、彼女に勝てた試しがなかった。
 ──っても、気にしねぇわけにゃいかねえだろ、あんた俺たちのリーダーなんだしよ。
 と、そんなことを言ったところで、にっこりと睨まれるだけが落ちだというのは容易に予想できた。


 というわけで、本番三十分前を迎えた楽屋の片隅で、アーフェンはプリムロゼの指先の感触にそわそわと耐え続けていた。
 どうせ彼女に髪を撫でてもらうなら、もうちょっと落ち着いたところが良かったな──ぼんやりとそんな風に考える。たとえば、ひと仕事終えて帰った部屋で一杯やる時とか。あるいは、ベッドの上だとか。
 プリムロゼに「お疲れ様」と優しく髪を撫でてもらえたら、きっといい気分で眠れるだろう。それでこそ次の日からも頑張れるというものである。もちろん、その時は自分だって彼女をぎゅっと抱きしめていたわるつもりだ。
 と、それこそ集中どころではない妄想にアーフェンが逃避していると、不意にぽんと肩を叩かれた。
「はい、出来たわよ」
「お?」
 はっと現実に引き戻されたアーフェンが鏡を覗き込む。仕上がった姿に、彼は目を丸く見開いた。
「お、……おぉ? こいつは……」
「『無造作ヘアー』ってやつよ。オールバックも悪くないけど、こっちの方がいつものあなたらしいかなって」
 プリムロゼが得意げに微笑んだ。
 確かにアーフェンは自分の見た目にかなり無頓着で、普段は伸びた髪を無造作に縛っているだけである。そのせいで、頭のてっぺんでは常にくせっ毛がつんつんと突っ立っていた。それも磊落な性格をした彼には似合っていて、男らしいといえばらしい髪型ではあったものの、舞台の上に立つ者としてはあまり相応しくないのも現実だった。
 では、今までの演奏会の時はどうしていたかというと、アーフェン自身が適当に髪をワックスで後ろに撫で付けていただけである。その有様を初めて目撃した、カルテットのメンバーであるオフィーリアには目を丸くされ、同じくメンバーのテリオンには世にも珍しい爆笑をされたことを、アーフェンは今も忘れていない。
 そこへ来ると今回プリムロゼが作ってくれた頭のてっぺんは、いつもの男らしい雰囲気はそのままであるものの、きちんと髪が束になっているおかげか不思議ときれいにまとまっている。アーフェンは彼女の手業に喜んで、ぱっと顔を輝かせた。
「か、カッコいい……! すげえ!」
「ふふっ、どういたしまして」
「あんたほんと器用だなあ……男の髪のいじり方まで上手いなんてよ」
「そう思ってくれたなら嬉しいわ。これでもちょっと勉強したんだから」
「へ?」
 プリムロゼからの思いがけない言葉に、アーフェンは彼女の方を振り向く。
「勉強したって……わざわざ?」
「そうよ。……だって」
 プリムロゼはそっとアーフェンの頭に手を添えて鏡の方へ向かせると、少しトーンを落とした声でこう囁いた。


「だって……好きな男には、いつでも格好よくいてもらいたいじゃない?」


「っ……!!」
 アーフェンは喉に熱いものが詰まったような気がした。鏡越しに見えるプリムロゼの頬は、彼女の着ている赤いドレスとお似合いの色に染まっている。
 姉御ぶった台詞と、少女のようにはにかんだ表情のギャップがどうにもたまらなくて、アーフェンまで顔が同じ色になってしまった。
(あーもう、これだからプリムロゼって奴は……!)
 思わず自分の膝を強く掴む。今ここが楽屋でなかったら、今すぐ振り向いて彼女を思い切り抱きしめるだろう。好きだと心からの気持ちを伝えて、想う幸せに体の芯まで浸るだろう。
 もし、ここが楽屋でなかったら、本番のステージがすぐという場面でなかったら。
「……だったら、俺も、勉強しとくわ……」
 湧き上がる想いをぐっと飲み込んで、アーフェンはどうにかそれだけ絞り出す。プリムロゼはくすりと嬉しそうに笑って、期待してるわと答えてくれた。


 一方、カルテットの残り二人もちゃんと楽屋にはいるわけで。
「なんだあれは……バカップルか」
「うふふ、なんだかこちらまで幸せな気持ちになっちゃいますね」
「……本番前なんだがな」
 テリオンは呆れたしかめっ面で、オフィーリアは慈母のような微笑みで。
 鏡の前で盛り上がっている二人を生暖かく見守っていたとか、いないとか。



髪をいじるネタが好きなんです……。
pixiv公開: 2019/8/16