幸福を連ねていきましょう

 太陽の光もうららかなある日、薬師アーフェンと踊子プリムロゼが訪れたのは、フラットランド地方の都ノーブルコートだった。
 薬師と踊子、それぞれの仕事をしながらあてもなくオルステラ大陸を旅していた二人だったが、ふと近くを通りかかったので、プリムロゼの父の墓参りでもしようかと立ち寄ったのである。
 彼女はかつて、この街の貴族の令嬢だった。父ジェフリーが黒曜会の手の者に殺害され、彼女自身が復讐の旅に出るまでは。


「なんだなんだ、随分賑やかじゃねえか」
 街を貫く大通りに立った時、アーフェンが驚いたように呟いた。あたたかな日差しが降り注ぐ通りにはたくさんの店が出ていて、売り込みに声を嗄らす商人、品物を冷やかして回る街の住民たちの喧騒が溢れている。
「……本当だわ」
 同じく街を眺めて、プリムロゼも意外そうに頷く。
 ──まるで、昔に戻ったみたい、と。
 彼女の視線の先では、棒に刺したキャンディを手に、幼い子どもが無邪気に通りを駆け回っていた。
 プリムロゼが復讐のために旅立ったあと、二度だけノーブルコートに戻ったことがあった。しかし当時のノーブルコートは、統治する者がなくなり黒曜会が暗躍していたせいですっかり荒んでしまっていた。白昼堂々と殺人事件が起き、にもかかわらず自警団がまともに捜査しようともしなかったほどに。
 あの時は、とても子どもが通りを駆け回れるような空気ではなかった。そんな光景は、当時も共に旅をしていたアーフェンも覚えているはずだ。


「昔みたい、か」
 プリムロゼが見上げると、隣に立つアーフェンが街並みを見つめる目を柔らかく細めていた。
「……ええ、そうね」
「それじゃ、お前が小さい頃もこんな感じだったってことか。何か、いいな」
「……」
 アーフェンの言わんとしたことがなんとなく分かってしまって、プリムロゼは思わず顔を反らしてしまう。彼の見る景色の中に自分の姿が含まれていることが、どうにもくすぐったい。
 けれどアーフェンは、そんなプリムロゼのことなどまったく構わず、気軽にこう言ってきた。
「せっかくだしよ、何か見てくか?」
「……え、あぁ……ええ、そうね。お父様の墓に供えるお花が買えればいいと思うわ」
「じゃ、花屋か。あっちの方行ったらあるかな」
 と言って、当然のようにアーフェンがプリムロゼの手を取る。一瞬、プリムロゼはぴくりと戸惑った。
(……私がこの街でどういう立場なのか、この人は分かってるのかしら)
 かつてノーブルコートの中核であったエゼルアート家の令嬢を捕まえて、恋人同士のように──実際そうなのだが──共に歩くなんて、周りからどう思われるのか。
 けれど、周りの人々は二人のことなど気にもしていない。視線すらくれずに通り過ぎていく人々を見て、プリムロゼはそっと苦笑する。
(馬鹿ね。私はもう、エゼルアート家を離れているんだから)
 そして、握られているアーフェンの手にそっと指を絡めるのだった。


 二人は大通りの花屋で首尾よく花束を手に入れ、いよいよジェフリーの葬られている墓地へ向かおうとしていた。
 その時、唐突に大きく鐘が鳴り響いたのである。
「わっ、なんだぁ?」
 大音響に驚いたアーフェンがびくりと肩を竦ませる。遅れて、わぁっと歓声が聞こえてきた。
 音のした方を振り返ると、どうやら教会の方に大勢が集まっているようだった。人だかりの面々は一様に一張羅を着込んでいる。その様子から、アーフェンははたと見当をつけた。
「もしかして……」
「結婚式ね」
 プリムロゼも頷いた。たった今鳴り響いた鐘は、この日新しく門出を迎える二人を祝うものだったのだ。
「ねえアーフェン、ちょっと見に行ってもいいかしら?」
「おぉ、いいぜ」
 まさに結婚式を挙げている花婿と花嫁の姿など、滅多に見られるものではない。アーフェンとプリムロゼは花束を抱えながらも、いそいそと教会へ向かっていった。


「おめでとうー!」
「お幸せに!」
「仲良くやれよー!」
 家族や友人などから声をかけられ、そして花弁を散らされ、主役たる二人は頬を染めて笑っていた。二人とも真っ白な衣装を身に纏い、飾られた生花や小さな石がきらきらと輝いている。幸せを形にしたような姿に、アーフェンは胸を熱くした。こういうものは誰のでも、いつ見たっていいものだ。
 一方で、服飾品に対しては一定の審美眼を持っているプリムロゼが、花嫁の姿をまじまじと見て呟いた。
「綺麗な人……いいところのお嬢さんなのかしら。刺繍も石の飾り方もお洒落だわ、あのドレス」
「ん、そうなのか?」
「普通に仕立てたら、5万リーフはくだらないかもね」
「うわ、トレサの賞金の半分か。すげえな」
 少し前まで一緒に旅をしていた商人の少女ですら、大きさに驚いて受け取るのを保留にしたほどの金額──の半分と聞いては、金銭感覚に疎いアーフェンでもドレスの高価さが分かってしまう。それをこの日の為だけに着るというのは、よほど思い切りがよくないとできないはずだ。それか、それほどのリーフを出してもまったく平気なほど貯えている家の出であるか。
 と思うと、アーフェンは少しあの二人が遠い存在に見えてしまうのだった。
 少し鼻白んでしまったアーフェンとは反対に、プリムロゼはまだ花嫁の姿をじっと見つめていた。見つめるエメラルドグリーンの瞳は細められて、少し潤んでいるようだった。
 ──憧れのような、羨ましさのような。


 そういえば、プリムロゼもこの街の貴族だったのだ。アーフェンは今更そんなことを思い出す。
 きっと、父さえ亡くならなければ、彼女も貴族の令嬢として成長し、いつかはあんなドレスを着て結婚式に臨んだのだろう。


「……なぁ、やっぱ着てみたい? ああいうの」
「え?」
 驚いたように、プリムロゼが振り向いた。エメラルドグリーンの瞳がきょとんと丸くなっている。
「いや、だって……何か、羨ましそうだった、つうか、なんつうか」
 今は貧乏薬師のアーフェンと一緒にいてくれているプリムロゼだが、この先彼女がどうするつもりなのか、アーフェンは知らない。
 もし、本当に万が一、自分とこの先の旅路もずっと共にしたいと彼女が思ってくれていたとしても──アーフェンの力では、あんな美しくて高価なドレスを着せてはあげられない。
 思わず聞いてしまったのは、どうしようもなく不安に駆られてしまったからだった。
 プリムロゼから返ってきたのは、わずかな苦笑だった。
「それは……まあ、憧れないと言ったら嘘になるわね。でも、私が考えていたのはそういうことじゃないの」
「へ?」
「あれだけのお金をかけて、あれだけ幸せそうな式を挙げられるくらい、この街も平和になって良かったと思ってたのよ」
「あ、あぁ……そうか……」
「エゼルアート家がなくなっても、ちゃんとノーブルコートには立ち上がる力があったんだわ。それが、少し寂しいけれど……嬉しいのよ」
 彼女の瞳は、かつて住んでいた街を想う瞳だったのだ。本来なら家を継いで街を支える立場だったことを、プリムロゼ・エゼルアートは忘れてはいなかった。
 それに比べて、自分が考えていたことはなんて浅はかだったのか。自己嫌悪に陥ったアーフェンの背中を、プリムロゼがぽんと叩いた。
「もう、そんな顔しないでよ、アーフェン」
「っ!?」
「気を遣ってくれたんでしょう? ありがと」
「で、でもよ……お前はほんとは、この街の……」
「いいのよ。今私が信じるものは、貴族の令嬢だった私じゃないんだから。さあ、行きましょ?」
 そう言って、プリムロゼがきゅっとアーフェンの手を握る。その手に半ば引っ張られるように、アーフェンは教会の前から離れるのだった。


 最後にアーフェンが首だけで教会の方を振り向くと、照れ笑いを浮かべた花嫁の薬指で、透き通った石の嵌められた指輪が光っているのが見えた。
 あれも、それなりの値段がするやつなんだろうな──そんな風に、アーフェンは思った。


 翌日も、フラットランド地方はよい天気に恵まれていた。
 一晩宿に泊まっただけで早々にノーブルコートを出たアーフェンとプリムロゼは、穏やかな陽の光が降り注ぐ中、のんびりと平原の道を歩いていた。
 今の時期のフラットランド地方は気候がよく、歩いているだけでも気持ちがいい。たまに魔物が襲ってきても、こう見えて歴戦の旅人である二人はいとも容易く退けてしまう。
 そうこうしているうちに、太陽が高く上がって昼時になった。歴戦の旅人といえど、休憩して腹拵えをしなければ1日歩くことなどできない。
「休憩にすっか」
「ええ、そうしましょ。あそこの木陰なんていいと思うわ」
 二人は木陰の下、柔らかな草葉の上に座ることにした。今朝出発してきたノーブルコートで、かりかりに焼いた肉と野菜を挟んだパンを買っていたから、今のところは調理をする必要も無い。簡素ながらも、半日歩いて減った腹には最上のご馳走だ。
 パンを齧りながら、アーフェンは横目でじっとプリムロゼを見ていた。
 萌える緑の上に、踊子の鮮やかな紅の衣装で坐るプリムロゼは、まるで彼女自身が薔薇の花のようだ。なにかを食べる仕草すら、この野っ原にはそぐわないほど、上品で美しい。


 本当は、こんなところではなくて。
 都の煌びやかな館で、綺麗なドレスを着て、ナイフとフォークで食事をすべき人なのではないか。
 そちらの方が、プリムロゼには似合っているんじゃないのか。


 いつしか、アーフェンの食事の手が止まっていた。
 今ならまだ引き返せる。ノーブルコートに戻って、彼女と別れても──


「どうしたの、アーフェン?」
「……え、あ」
 声をかけられて、アーフェンははっと夢から覚めたように瞬きした。プリムロゼが苦笑しながらこちらを見ている。
「私の顔に何かついてるのかしら?」
「い、いや……別に……いつも通り、綺麗だけどよ」
「ふふふ」
 プリムロゼが口元に手を当てる。そうしてひとしきり笑うと、プリムロゼは景色の方へ顔を向けて大きく息を吸った。
「ねえ、風が気持ちいいわね。アーフェン」
 座ったまま、彼女がうーんと伸びをした。何かを言いたいのだろうか、そう感じたアーフェンはああと曖昧に頷く。
 プリムロゼはちらりと緑の瞳でアーフェンを見やったが、すぐ視線を前に戻して話を続けた。
「こんな風に自分の体で風を感じて、行きたいところに歩いていて……そういうことは、お嬢様だった時にも、サンシェイドで踊子をしていた時にもできなかったわ。今が一番、自分の脚で踊れているって思う」
「……プリムロゼ」
 アーフェンは思わず縋るように彼女の名を呼んだ。プリムロゼの聡い眼は、アーフェンの不安などすべて見通していたのだろう。
 彼女はその眼をにこりと細めて、アーフェンの方を振り返る。
「今ね、私は自分の脚で、一緒にいたい人と隣を歩けているの。それがどれだけ私にとって特別なことか、想像できるかしら?」
 そんなことを言ってのけたプリムロゼだが、ほんの少し照れているのだろう。普段白い頬が薔薇色にふわりと染まっている。
「……ッ」
 アーフェンは思わず顔を伏せてしまった。喉の奥に熱いものが込み上げてたまらない。
 どうしたらいい。こんな情けない不安も掬い上げて、身に余るほどの想いで返してくれたプリムロゼに、こんな自分はどうしたら報いることができる?
 どうしたら、今心と身体を満たす幸福に叶うものを、彼女にあげられるだろうか?
「……!」
 懊悩して地面を彷徨う彼の眼に、幸福の象徴が飛び込んできたのは、きっと聖火の導きだった。


「……プリムロゼ」
「なあに?」
「ちと、手、貸してくれ」
「手を?」


 戸惑う彼女の左手を取って、アーフェンは今作ったばかりのそれを、そっと薬指に滑り込ませた。
 ──彼女のしなやかな薬指の上で揺れるのは、四葉のクローバーの葉。


「っ、アーフェン……これ」
「結婚してくれ」
「ええ!?」
 プリムロゼらしくなく、上擦った声が彼女から零れる。1拍遅れて、頬が衣装に負けないくらい真っ赤に染め上がった。
 アーフェンは必死になって言葉を紡ぐ。握り締めた手は、お互いに震えていた。
「今の俺じゃ、こんなもんしか作れねえけど……それでも、一緒にいて欲しくて。
 ほんとは、お前は俺とこんなとこでいるのは似合わねえかもしんねえけど……それでも、俺といるのが特別なことって言ってくれるなら、……めちゃくちゃ、幸せだからよ」 
「……」
「だから、俺も……」
「…………」


 プリムロゼは、黙っていた。頬を赤くしながらも。
 その沈黙があまりにも長かったから、アーフェンはだんだん不安になってきた。
 多分想いはお互いに同じだと思ったのに、やはり勘違いだったのだろうか? それとも、こんな指輪では失望されるも当然だろうか。


「……プ、プリムロゼ……? やっぱ、ちゃんとしたやつの方が、良かったか……?」
 おそるおそる、アーフェンは聞いてみた。すると、はっと打たれたようにプリムロゼは顔を上げる。彼女はきっぱりとこう答えた。
「そんなことないわ。すごく嬉しかったもの。……その、ちょっと驚きはしたけれど」
「そ、そか……よ、良かった。でも、やっぱそのうち買うよ……指輪」
「ううん、これでいい」
「え?」
 プリムロゼは敢然と顔を上げて、アーフェンをじっと見つめた。そのエメラルドグリーンの眼差しがあまりにも強い光を湛えていたせいで、アーフェンの心臓がどきっと竦む。
「もしこの指輪が枯れてだめになったら、また新しいのを作ってくれる?」
「え? えっと……」
「作ってくれるわよね」
「っ、……あ、あぁ、お前が欲しかったら」
「だったら」
 そこでやっと、プリムロゼは微笑みをその美しい顔に咲かせてくれた。


「だったら、私たちはずっと一緒ね。その方が、高価なドレスや指輪を貰えるより、もっと嬉しいわ」


 ──ああ、これだからプリムロゼって奴は!
 アーフェンはまた顔を伏せてしまった。これまでもそうには違いなかったが、これからも一生、彼女には敵う気がしない。
 再び喉に込み上げた熱いものを、今度こそ堪えることなどできなくて、アーフェンは肩を震わせる。
「もう、また泣くんだから」
「う、うっせえ……これは、仕方ねえ、だろ……!」
 ぽろぽろとアーフェンの頬を伝う雫を、プリムロゼが優しく拭ってくれる。その薬指には、今も確かに四葉が揺れていた。
 これからもずっと寄り添いながら旅路を歩む、二人の幸福の象徴として。



フォロワーさんが描かれたイラストに感銘を受けて書いたものです。当時はありがとうございました。
アフェロゼが結婚する場合は個人的にどうしてもプリムロゼがエゼルアート家を捨てることになってしまう…。
pixiv公開: 2020/5/10