悪戯っ子の微笑

 どう頑張っても日が暮れるまでにに次の街へ辿り着けねえのが分かっていたから、その日は割とさっさと野営をすることにした。
 リンデが狩って、ハンイットが作ったとびきりの 獲肉(ジビエ) 料理をみんなでぺろりと平らげたあとは、焚火とテントに散ってそれぞれ好きなように過ごす。オルベリクの旦那はいつもの通り、焚火の側に座って愛剣の手入れ。最近自分の道具を手入れするってことを覚えたテリオンも、旦那の隣に座って、短剣だの鍵開けだのに油を差し始めた。ハンイットも狩りの道具を新しく作るみてえだ。ここにいないトレサ、オフィーリア、それに先生はテントに入ってカードゲームをするらしい。いいなあ、俺もあとで混ざりに行こっかな。プリムロゼも見当たらないが、まああいつも多分テントにいるんだろう、あんな寒いカッコしてるしよ。
 さて俺はというと、今日採集した薬草を抱えてやっぱり焚火の前に座った。明日も魔物と戦うだろうし、減っちまった薬を補充しねえとな。今夜は風がなくて薬草が飛ばされる心配しなくていいし、月明かりがあって手元の視界は良好。薬作りにはもってこいってやつだ。
 というわけで、鞄の中から引っ張り出した材料の選り分けが大体済んだ、そんなときだった。


「ねえアーフェン、後ろいいかしら?」
「ん?」


 突然声をかけてきたのは、テントに入ったはずの(多分)プリムロゼだった。手に持ってんのは、なんだそりゃ……櫛と刷毛? っていうか、
「後ろってなんだよ?」
「長旅であなたの髪、大分痛んでるから。お手入れしてあげようかしらって」
「お? おぉ」
 確かに、最近大きな街の宿に泊まれずあんま風呂にも入れてないから、無駄に伸びてる俺の癖っ毛はばさばさになってた。ま、どうせ後ろにまとめて縛ってるだけだから、痛んでようが普段は気にしてねえんだけど。
「別にいいけどよ……あんた、暇なのか?」
「まあいいじゃない。薬作りの邪魔はしないから。ね?」
 脈絡無い申し出に正直困った俺はさておいて、プリムロゼはえらい楽しそうな顔つきだった。……本当に暇なんだな、こいつ。
「しょうがねえな。じゃ、頼むとすっか」
「素直じゃないわねえ」
 くすくす笑いながら、プリムロゼが俺の後ろにひざまずいた。慣れた相手ではあるけれど、普段から綺麗だなって思ってる女がすぐ後ろにいるってのは、なんとなく緊張して居心地が悪い。ふと目を上げると、テリオンが鼻で笑ってきた。おい、見てんならなんか言えよ──と睨んでみたけど、もちろんあいつがそんなことするわけがねえ。
 テリオンが道具の手入れを再開したから、仕方なく俺も薬作りを始めることにする。その頃には、プリムロゼが俺の髪を縛っていた紐を解いていた。何日かぶりに解かれた髪が首筋に触って、確かに痛んでるなって分かるくらいには乾いた感触がする。
「意外と長いわよね、あなたの髪」
 そんなことを言いながら、プリムロゼが指で俺の髪を梳いている。どうしよう、くすぐってえ。だって、分かるだろ。見えなくたって、俺の髪触ってるプリムロゼの指が細くて綺麗だってことぐらい。そんなこいつの指に痛んでもつれた髪が引っかかるのが、なんかすげえ悪いことさせてる気になっちまう。
 髪と首筋どころか、背中から尻までもぞもぞと痒くなるのを全力で無視して、俺は目の前の作業を再開した。しばらくプリムロゼは髪の具合を見るように何度も指で梳いていたけれど、
「じゃあ、始めるわね」
 宣言はさっきまでの悪戯な感じをすっぱり捨てて、きっぱりとしたいつもみてえな姉御っぽい口調だった。それで俺はほんの少しだけ落ち着きを取り戻す。プリムロゼは堅い木の櫛で、大雑把に髪を梳かし始めた。で、すぐに分かる。
「……かてえな、俺の髪」
「縛りっぱなしで放っておくからよ」
 答えるプリムロゼの声はちょっと呆れていた。櫛を通すと、ただでさえ癖ついてるのに全然手入れしてない髪はすぐに引っかかる。で、そいつを解そうとするとぐいと引っ張られるハメになって、その衝撃で何度も息を詰めてしまう。
「でも、先生だってそうだろ? ずーっと本読んでるし」
「あら、サイラスはちゃんと櫛通しているみたいよ? 癖はあるけど、あなたほど痛んではないもの」
「えー、そうなのか? いつやってんだろう……」
 首をひねりながら俺は作業を続けて、プリムロゼも容赦なくどんどん梳かしていく。伸びっぱなしの後ろだけじゃなく、頭のてっぺんで突っ立ってる髪にもご丁寧に硬い毛で作った刷毛を通してくれた。
「髪を梳かすだけでも、埃は取れるし毎日やるべきよ。薬師は清潔感も大事でしょ」
「……そりゃそうだな」
 人の体の面倒を見るんだから、自分も清潔にしとかねえと相手が困る。うーん、顔と体の方は気をつけてたけど、髪は確かに盲点だったかもな。これはちっと反省だ。


 それでも、プリムロゼが何度も櫛と刷毛で梳かしてくれたから、もつれて絡んでたのが解けてなんとなくすっきりしてくる。ついでに髪で引っ張られたり、刷毛で擦られたりして頭の皮膚が刺激されるのも悪くない。
「薬師さん、作業は順調?」
「見ての通りだよ……結構気持ちいいのな、髪梳かすの」
「でしょ」
 プリムロゼは得意げだった。はじめは何言ってんだこいつ、って思ったけど、頼んでよかったな。
「もうちょっと手入れてあげるから、続けててちょうだい」
「おう、頼むわ」
 思わず手が止まっちまったけど、作らなきゃいけないものはまだまだある。ちょっと気合いを入れ直して、乳鉢の中で材料を混ぜ込み始めた。
 薬を混ぜながら、手入れるって何すんだろな、ってぼんやり考える。もう大分髪はいい感じに解れたと思うんだけど。
 と、首筋になんか冷たいのが降ってきた。
「いっ、冷た!?」
「あらごめんなさい、水滴掛かっちゃったわね」
「え、濡らしてんのか?」
 そこまでするか? えらい本格的だ、ホントに暇だったんだなプリムロゼ。
「濡らしてるのは刷毛の方よ。せっかくだもの」
「ま、まあ結構砂埃は被った気がすっけどよ……」
 これは風呂で手入れするみてえなもんじゃねえか? なんかすげえ贅沢な気がする。というかいつの間に水とか持ってきたんだ。
 濡らした刷毛で丁寧に梳かされて、あげく布で挟むようにして乾かされる。指に引っかかる感じももうほとんど無い。すると、今度はかぎ覚えのある匂いまでしてきた。
「お、おい、それ……」
「ふふ、さすが製作者には分かるわよね。これ」
「俺に使うもんじゃねえだろ……」
 どこまでやるつもりなんだろうか、こいつは。プリムロゼが使っているのは、前トレサやオフィーリアに作ってやった髪用の薬に決まってる。女性陣で使うのは分かるけど、俺に使うもんじゃねえだろもったいねえ。
「自分で作ったものなんだし、自分でも使いなさいよ。ねえ? ……ほら、とってもさらさらになってきたわよ。さすがアーフェン先生のお薬ね」
「……」
 今自分の髪がどうなってんのか、なんか想像がつかなくなってきた。もう勝手にしてくれやと、ため息を飲み込んで薬作りに集中する。


 しばらくして、なんか頭の感触が変なことに気づいた。梳かして手入れが終わったら元通りに縛ってもらえんのかなってつもりだったけど、なんか変な場所引っ張られてねえ?
「プリムロゼ、あんた何してんだ?」
「何も? ちょっとかっこよくしてあげるだけよ」
「ええ……」
 絶対違う! と俺は直感で思った。だったらそんな頭の脇に髪留めたりしねえだろ!?
「はいはい、いいから前向いていて」
 そういうプリムロゼの言葉尻は弾んでいる。絶対、絶対なんか企んでる……とは思っても、俺はプリムロゼの手を振り払って立ち上がる気にはなれなかった。なんか、そういうのは気が引けるんだよ、やっぱり。
 すると、ずーっと黙々と狩りの道具を作っていたハンイットが、唐突にこんなことを言ってきた。
「ずいぶん力作だな、プリムロゼ」
 ふっ、とハンイットが笑っている。何、俺ほんとになにされてんの?
「そうでしょ。ふふ、もう少しだから楽しみにしてて」
「ああ。……それにしても、ふっ」
 ハンイットがもう一度こっちを見て、今度は吹き出すみてえに笑った。こんな笑い方するハンイットは初めて見た気がする。
「なぁ、おいハンイット! 俺どうなってんの?」
「いや……『かっこよくなりそう』だぞ」
「ええ~?」
 ハンイットは教えるつもりはないらしい。楽しみにするんだな、とだけ言って、また自分の作業に戻っちまう。
 マジでどうなってんだ、俺の髪。っつーか頭? なんかすげえあちこち引っ張られたり留められたりしてる気がすんだけどよお。他の焚火に座ってる連中に聞くか、と口を開こうとしたら、
「ッ!?」
 ──ひょい、と目の前にプリムロゼの顔が現れた。
「あら、ごめんなさい」
「なっ、なんだよいきなり……っ!?」
「ちょっと前から様子見ようかと思って。うん、もう少しね」
 と言って、またひょいとプリムロゼの顔が引っ込んだ。こ、こいつの顔は心臓に悪すぎる……。
 またハンイットかテリオンかが笑った気配がするが、それに反応する余裕は全然なかった。どうにか深呼吸を二、三回繰り返して、もう何度練ったかを忘れかけた乳鉢の中身に取りかかる。……ああダメだ、この薬はみんなに渡すのはやめよう。自分で実験する時用の瓶にこっそり薬の中身を移しておく。


 その間にもプリムロゼはどんどん手を進めて、とうとう満足げにため息を漏らした。
「うん、これで完成ね」
「お、終わったのかよ?」
 顔を上げて振り向けば、いかにもやりきった、みてえな顔をしたプリムロゼと目が合った。プリムロゼはまじまじと俺の顔と頭を検分して──その間も俺の心臓はやたらとうるさかった──やがて満足といわんばかりに頷いた。
「これは傑作ね。とっても綺麗に……いえ、格好良くなったわ」
「な、なんだそれ……」
「ねえ、ハンイット? できたわよ、うふふ」
「何? ……ぷっ」
 こっちを見た瞬間、ハンイットが顔を背けて笑い出した。
「お、おいっ! なんだよもう!」
「く、くく……確かに『格好いい』ぞ、アーフェン……っ」
 口に手を当てて噛み殺してはいるけど、どう見ても爆笑してんだろハンイット。なんだってんだよいったい。
「プリムロゼ……あんたほんと何したんだよ……?」
「ちょっと細工しただけよ。だってあなたの髪、焚火に照らされていい色してるから」
 って言ってるけど、プリムロゼも腹を抱えて笑い出す一歩手前だった。なんか変なことされてんのは間違いねえけど、宿の部屋でもないここに鏡なんてないから、俺がどうなってんのかはさっぱり分かりゃしない。
「ねえ、二人とも? 似合うわよね、こういうのも」
 プリムロゼの方を振り向いていた頭を、プリムロゼが両手で挟んで焚火の方へ向かされる。「なんだ、さっきからうるさいな」
 ぼやいたテリオンが顔を上げた途端、ぽかんと目を丸くした。おぉ、珍しい表情だ──と思う間もなく、テリオンがまた鼻で笑ってこう言った。
「おたく、いい趣味してるな」
「でしょ」
「そのまま街歩いてみたら、患者の方から話しかけてくるかもな……くっ」
「おいっ!」
 やっぱ完全に馬鹿にしてやがるな? だからどーなってんだよ俺の頭。っつーか、覚えとけよテリオン!
 その隣で、オルベリクの旦那が下向いて肩を揺らしている。うん、そうだよな、あんたも笑ってんだよな俺には分かるぜ。
「オルベリクの旦那まで……ひでえ……」
「い、いや……よく似合っている、ぞ……」
「無理に言わなくたって分かってんだからな、旦那よぉ」
「いや、本当だ……プリムロゼは、大した腕前だ」
 とか言いながら、旦那は酒が入ったとき並に爆笑している。それを見てハンイットもまた笑い始めた。プリムロゼは自慢げで、俺ばっかり置いてけぼりだ。
 もういいから、元に戻してくんねえかな。がっくり肩を落としてうなだれると、今一番聞きたくない声がした。


「なーに、なんか楽しそうね! どうしたの?」
 この声は、テントに引っ込んでカードゲームをしていたはずの、商人トレサ。
 ……あー、もうどうにでもなりやがれ。


「あらトレサ、ゲームはいいの?」
「うん、オフィーリアさんが三連勝したからちょっと休憩しようって。そしたらなんかみんな笑ってるんだもん」
「ああトレサ、見てやってくれ、プリムロゼの力作を」
「え? ……っ!」
 ハンイットに促されて、トレサがこっち向いた瞬間、呆然と口を開けた。そんでもって、
「あはははっ、なにそれー! アーフェン傑作~!!」
 思い切りこっちを指さして笑いやがった。おいトレサ、そいつは行儀悪いって親に教わらなかったか? でも、もう俺に文句をつける気力はなかった……。
「ねえちょっと、オフィーリアさん、先生! 来てよ、早く!」
「どうかされたんですか?」
「何かあったのかな……っと」
 続けてテントから出てきたオフィーリアと先生が、すっかり拗ねた俺の顔と頭を見て、やっぱり目を丸くした。
「こ、これは……!」
「まあ、……よく似合ってます、アーフェンさん……っ!」
 んで、まずオフィーリアが笑い出す。一方で先生はずいと俺に近寄って、なんか『細工』されてるらしい頭をつくづく覗いて探り始めた。
「ふむふむ、なるほど……ここがこのように編み合わさって……プリムロゼ君がしたのかい? さすがだね」
「ありがと。ちょっと癖もあるし長さも不揃いで大変だったけど、それなりに見えるでしょ」
「ああ。このまま舞踏会に出てもいいくらいだね」
「舞踏会ぃ!?」
 なんだそりゃ。いやもー、本当どうなってんだよ、誰か教えてくれよ……。
「えー、先生ったら。アーフェンがお城の舞踏会なんて出たら大惨事よ。ねえ?」
「いえ、分かりませんよ。髪がこれだけ決まってるんですから、お化粧も頑張れば」
「そうね、今度はそっちを研究してみようかしら」
「完成したら、わたしもぜひ見てみたいな」
「……おたくら、本気か? どうなっても知らんぞ」
「まあ、何事も挑戦だ。そうだろうプリムロゼ」
「まさに。人の可能性は無限大だからね!」
「……あんたら、俺のことはどーでもいいのかよ……」
 好きに言い合う旅連れの連中は、もちろん俺のぼやきなんざ聞いちゃいなかった。そして最後まで、誰も俺の頭がどうなってるか教えてもくれなかった。


 ひとしきり騒いで満足すると、カードゲーム組とテリオンと旦那はテントに戻り、ハンイットはその辺を散歩してるはずのリンデを呼び戻しに行く。すっかり小さくなった焚火の側には、薬を作り終わらない俺と、プリムロゼだけが残った。
 プリムロゼはじっと俺の隣に座って、自分が作り上げた『傑作』を眺めている。……ああ、本当に楽しそうにしやがって。
「ふふ、本当によくできたわ」
「そうかよ……」
「あなたの髪、長さも量もあるし、綺麗な金色もしてるし、触ってて楽しかったわよ」
「……そうかよ」
「私がやらなくても、ちゃんとお手入れすることをお勧めするわ」
「……ま、気が向いたらな」
 さっきまで散々笑われたのに、褒められると悪い気がしない。ほんと、そーいうとこずるいよなあ、こいつは。
 さて、薬もそろそろ仕上がるし、今夜はここまでにするかな。
 手を止めて顔を上げると、プリムロゼの翠の瞳がこっちを見ていて、そして微笑んだ。


「付き合ってくれてありがと、アーフェン」


 満ち足りた、嬉しそうな表情が、焚火に照らされている。
 ──やっぱ、あんたのそういう顔の方が、俺の髪なんかよりよっぽど綺麗だろ。
 そんなプリムロゼの顔を見ちまうと、散々いじられてたことだってどうでもよくなっちまう。やっぱさ、こーゆーのって。


「……惚れた弱みかねえ」
「? 何か言ったかしら」
「いーや、何でもねえよ。……とりあえず、元に戻してくんねえか」
「はーい。……もう、勿体ないわね」


 いかにも名残惜しげに、プリムロゼが手の込んだ細工をしたらしい俺の髪を解いていく。さっきよりも優しい気がする指先の感じを噛み締めながら、俺はこの先一生こいつには敵わないんだろうなと、そう心底思うのだった。



散々いいように転がされてるようで、実は悪戯に付き合ってあげてるアーフェンだといいなあって夢でした。本人は無意識でも。
privatter公開: 2020/11/21