彼の思いと彼女の気づき

 今日もいい買い物ができたわ、と、達成感に浸りながらいただく夕食は格別だ。商人トレサは一日の幸せな終わりを、酒場が供するおいしい魚介類のスープと一緒に存分に堪能していた。
 一人前の商人になるための旅の途中、とある街に逗留して数日。トレサと共に旅をしている七人の連れも、それぞれ自分のすべきこと、やりたいことに勤しむ日々を送っている。そして酒場にはまたひとり、楽しそうに『仕事』をしている旅の連れがいた。


 不意にわっ、と歓声が上がる。トレサは魚の出汁のきいたスープをすすりながら、歓声が上がった方へ顔を向けた。
(わぁ、プリムロゼさんすごいな)
 酒場の壁際に造られた小さな舞台の上で、真っ赤な衣装を靡かせながら踊るひとりの女性がいる。
 プリムロゼ・エゼルアート──踊子として身を立てていた彼女は、旅先でもこうして踊りを披露し、路銀を稼いでくれている。ここ数日彼女は毎日この酒場で踊っていて、トレサ自身も一日の終わりにプリムロゼが踊る姿を見るのが楽しみだった。
 プリムロゼの踊りは軽やかで、躍動感に溢れていて、そしてもちろん美しい。しなやかに伸びた指先、床を踏む足音、艶やかに靡く鳶色の髪、手足に填めた輪飾りが奏でる鈴音まで、見る人の目を惹きつけてやまない。
 そして何より、ひと足ごとに色を変える彼女の表情こそ、陶酔するほど人々を魅了してしまうのだ。


「はわー……」
 周りと同じように魅了されたトレサがぽーっと見ている間に、プリムロゼが踊りを終えた。舞台の中央で優雅に一礼するのを見て、観衆がやんやと喝采を上げる。
「いいぞ、プリムロゼ!」
 トレサも拍手をしようとしたところで、よく聞き知った大きな声が連れの名前を呼ぶ。見回してみると、やっぱり『彼』がそこにいた。
(ああ、まーたアーフェンがいるのね)
 舞台の前に集まった観衆たちの後ろで手を振っていたのは、薬師を務める大柄な青年で、彼もまたトレサの旅の連れだった。
「ふふ、ありがと」
 連れが呼びかけているのにも構わず、プリムロゼは美しい笑顔で観衆たちに挨拶して回る。そんな様子は、さすがに彼女が長年この仕事に手馴れているだけあった。トレサだったら、きっと一度はアーフェンを睨みつけずにはいられないだろう──だってなんか恥ずかしいじゃない。
 薬師アーフェンは、プリムロゼが踊るときはたいてい酒場にいて、ずっと声援を送っているのだった。知り合い同士でお互い平気なのかしら、そんな風にトレサは思ってしまう。


 やがてプリムロゼは挨拶を終えると、サービスとばかりにテーブルの間を縫ってお酌をし始めた。本来そこまでしなくて良いはずなのだが、彼女のお酌のおかげで客入りは増えたそうで、酒場のマスターは満足げだ。おまけにその分給料にも色がついているらしい。
 そして一通りお酌を終えた彼女は、いつも最後にはアーフェンと二人、杯を交わすのだった。
(仲良しねえ……)
 付け合わせのリンゴを齧りながら、トレサは二人をじっと観察する。
 というのも、最近アーフェンがどうもプリムロゼのことを特別気にかけている節があったからだ。それは酒場でのひとときに限らず、旅の合間でも感じることがある。
 一方で、プリムロゼは旅の連れの他の男性と関わっている時と、アーフェンを相手にしている時で態度にそう差があるようには見えない。毎回酒場に行く度付き合っているのだから、アーフェンと話すことが嫌ではないのだろうけれど。
 
(でも、本当にプリムロゼさんはいいのかしら?)


 トレサ自身、アーフェンとは年が近いこともあってよく喋るけれど、なんというか──恋人、と彼を位置づけるのは、ちょっと、考えにくかったのだ。庶民派の自分だってそうなのだから、貴族生まれで立ち居振る舞いも上品なプリムロゼからしたら、なおさらじゃないだろうか? いや勿論、アーフェンだっていいところがあるのは知ってるけれども。
(もしもプリムロゼさんが無理に付き合ってるんだったら、なんとかしてあげたいわ)
 同じ女だし、あたしはプリムロゼさんの味方だ。
 ついでにアーフェンとも仲が悪いわけではないから、アーフェンに何かを伝えることもできるはず。
 そんな風に考えつつ、皿に残っていたリンゴの最後の一かけへ手を伸ばそうとする。と、ひょいとそのリンゴが横合いから伸ばされた手に取られてしまった。


「……何、身にならんものを見てるんだ」
「ちょっ、テリオンさん!」


 素知らぬ顔でリンゴをしゃくしゃく咀嚼していたのは、やはりトレサの旅の連れである青年、盗賊テリオンだった。
「あたしのリンゴが……!」
「ぼけっと下らないもの見てるからだよ」
「でも人のリンゴ取っていい理由にはならないわよっ!」
「わかった、わかった」
 テリオンはやれやれと外套の下から新しいリンゴを取り出し、手持ちの短剣でぱっくりと二つに割ってトレサに渡した。
「釣りはいらんぞ」
「……なんだか釈然としないわ……」
 もらったリンゴを頬張りながらトレサは呟く。しかしテリオンがよこしたリンゴもなかなか美味しかったので、大人しく飲み込むトレサであった。
 とはいえだ、こっちの方は大人しく飲み込めない。
「テリオンさんもあの二人、仲いいと思う?」
「というか、薬屋の方だろ。よく飽きないもんだ」
 呆れたようにテリオンは薬師の方を一瞥する。
「あいつ、自分から俺に言ってきたからな。『最近、あいつのことが気になって仕方ねえんだ』だとか……俺に言ってもどうにもならんだろうに」
「えっ、テリオンさんそういう話するの!?」
 別の意味で驚いたトレサは俄然身を乗り出した。まさかこの盗賊の青年が恋愛話を人とするなんて青天の霹靂だ。
 テリオンは不味いものを見る目でトレサを睨みつけた。
「するか。薬屋が言ってきたと言ったろう」
「えええ……でも、何か答えたんでしょ? なんて言ったの?」
「俺が何を言ったところで心変わりするつもりはないだろ、と言ってやった」
「……そ、そっか」
 身も蓋もない回答だったが、たぶんそれが真実なのだろうとトレサも分かった。テリオンはふんと鼻を鳴らす。
「はっきりしないまま薬屋が俺に絡むのは迷惑だ。トレサ、気になるのならお前がなんとかしろ」
「えっ、そう来ますか」
 テリオンは、黙ってリンゴのもう半分をトレサへ押しつけた。


   ◆


 テリオンに言われたから、ではないが、トレサは二人からちゃんと話を聞いてみたいと思った。
 邪魔をしたいわけではない。ないけれど、プリムロゼがもし困っていたら力になりたいし、アーフェンがどこまで自覚して彼女を想っているのかも気になった。
 とはいえ、トレサも年若い少女だ。本音は『恋愛』というものが身近で起こっていることへの好奇心が大部分ではあったが。
(あんまり人の……恋、って口を出したら良くはないんだろうけど……でも、気になるわよね?)
 恋に効く云々、は品物を扱う時にもよく聞く文句だが、まだ恋を知らないトレサは恋の何がそんなに人を引きつけるのか、ぴんと来ていなかったのが正直なところである。ライバルたる商人アリーの口上に負けたくはないし、この際きちんと知ってみるべきだろう。
 うん、今度どっちかと二人になったら聞いてみよう。その機会は、やがてすぐに訪れた。


「じゃあ、野営の準備をしようか」
 とある川沿いの街道での日暮れ時、連れの学者サイラスがそう言って、狩人ハンイットもここなら安全だし過ごしやすいだろうと請け合った。そこで旅人たちはそれぞれ野宿の準備を始めたのだが、たまたまトレサがアーフェンと薪拾いの仕事に任命されたのである。
「お、トレサと二人ってのは久しぶりだな!」
「へへん、よろしくね」
 いつもの兄貴っぽいアーフェンを前に、いつもの快活な笑顔で答えたトレサは、腹の内で密かに快哉を上げていた。みんながそれぞれ作業に取りかかっている今なら、他人に例の話を聞かれることはないだろう。トレサは薪を拾いながら、少しずつアーフェンをみんなから離していった。そして。
「ん、結構遠くまで来ちまったかな……? でもここ、乾いた枝が多くていいな」
 ついでに薬草も摘めないかな、と気楽に呟くアーフェンへ、トレサはとうとう本題を切り出した。


「ところでアーフェン、ちょっと気になってたんだけど……」
「ん? なんだよいきなり」
「最近、プリムロゼさんとすっごく仲良しじゃない?」
「ッ……!?」


 がらがらがしゃん、と、アーフェンは腕に抱えていた枝を全部落としてしまった。
「と、と、トレサ! なんだよいきなり」
「だって気になるんだもの。この間の酒場でだって、ずーっと二人で喋ってたじゃない。……それに、傷の様子見るときも毎日絶対プリムロゼさんに声かけるでしょ。あと、薬師のお仕事をプリムロゼさんがやった時も」
「あー、わかったわかった!」
 慌ててトレサの言葉を遮るアーフェンの顔は、リンゴも顔負けなくらい真っ赤になっていた。
 ああ、これはテリオンの言う通りなのだと思う。つくづく分かりやすい男だ。
「好きなのね、つまり」
「……好き、っつうか……」
 今度はばつの悪そうにアーフェンが頭を掻く。彼はややあってからトレサの方へ体を屈め、声を(彼にしては)低くして言った。
「誰にも言うなよ?」
 言わないわよ、とトレサがきっぱり請けあうと、ようやく彼は語り始めた。
「気になんだよ、単純に。……あいつ、笑うのうまいだろ」
「うまい、って?」
 トレサは首を傾げた。なんだか話が思っていたのと違う風向きになりそうで。アーフェンはそっぽを向きながら、不器用に言葉を続ける。
「ちっとくれえ痛くても、平気な顔して笑ったり踊ったりすっからよ……」
「……」
 確かに、プリムロゼはいつでも毅然と顔を上げて踊り、行く先で美しい笑顔を振りまいている。彼女が苦しんだり痛がったりする顔を、トレサは見たことがない。
「でも、痛くねえはずがねえんだ。あいつだって、一人の人間だからよ。……実際、聞いてみるとそん時初めて脚ひねってたとか言ったりすんだよな」
「……そう、だったんだ」


 いつでもトレサにとっては、プリムロゼは頼れる『お姉様』だった。
 だから一緒にいて楽しくて、彼女を本当の姉のように慕っていた。
 彼女が影を背負っていることも分かっていたけれど、それは自分と接している時は関係ないと思い、敢えて気にしないように振舞っていた。プリムロゼの方がそう望んでいるようにも感じていたからだ。
 だからアーフェンのように、彼女が笑顔の下に隠したものを見ようともしていなかった。


「でもよ、プリムロゼが踊ってるとこを見るのが好きなのはホントだぜ。踊ってるときのあいつは本当に楽しそうにしてるからよ」
「うん、それはあたしもそう思うわ」
「ん、だからさ。俺はあいつがいつでも楽しく踊れたらいいなって思うし、そのために俺にできることがあったら、何でもしてやりてえって思うんだよな」
 余計な世話かもしんねえけどな──そう言って照れたように笑うアーフェンに、トレサはすっかり感銘を受けていた。呆然と隣に立つ青年を見上げて、彼の言葉を噛み締める。
「な、なんだよ」
「ううん。なんか、いいなって思って」
「へ?」
「うん、見直しちゃったわ。アーフェンのくせにいいこと言うじゃない!」
 ぐっ、とトレサは胸の前で拳を握りしめた。彼女の言い草においおい、とアーフェンが肩を落としたが、本当に感動したのだ。
 誰かを深く想うこと、それが身近な人たちの中でまさに芽生えていること。普段気安く接している人の、こんなにも優しい一面を見られたこと。何もかもが「いいな」と思うし、そう思えるのがとても嬉しい。
 だから、自然とトレサの口からこんな言葉が零れていた。


「ねえ、何かあたしにできること、ないかしら?」
「え?」
「あたし、応援したいの。二人のこと!」
「えええ……急に言われてもなぁ……気持ちは嬉しいけどよ……」
 しばらく困ったように唸っていたアーフェンだったが、やがておずおずとこう言った。
「じゃあよ、一つだけ……俺があんな感じでプリムロゼに構うの、嫌がってねえかなってことだけ、聞いてくんねえかな」
 もし嫌だとしても隠されていたら、俺には分からないからとアーフェンは言う。
「俺にゃ言いにくいだろうし……トレサにだったらプリムロゼも話しやすいだろ。だから、そんだけ頼むわ」
「うん、分かったわ」
 あくまでもプリムロゼを気遣おうとするアーフェンの心意気もいいな、と思う。よし、とトレサは心の中で拳を作って、次の機会を待つことにした。


   ◆


 しばらくして旅人たちは大きな街に着き、再び数日そこへ留まることになった。薬師アーフェンが街の人に頼まれて、患者の面倒を見ることになったからだ。なかなか難しい病状のようで、治療にはしばらくかかるらしい。そこで、旅人たちのうちの何人かは街を離れて別行動を取ることになった。
 けれどプリムロゼは、大きな街の酒場なら仕事もあるだろうからと、街に留まることを選んだ。もちろんトレサも、商売は大きな街の方がいいというもっともらしい理由をつけて、街に残ったのだった。
 そして、その夜。


「うーん、ここのスープも美味しいわ!」
 いつかのように、トレサは一日の終わりを酒場の料理で労っていた。このスープは根菜をよく煮込んでいて、野菜から染み出た出汁が実に美味しい。ひとしきり味わったあと、トレサは横目で彼女の舞台を見やった。
「ヒューヒュー、最高だぜ!」
「もう一度、もう一度だ!」
 好き勝手喝采を浴びせる観衆の中に、いつもの青年の声はない。アーフェンはきっと今も患者の治療にあたっている。なんだかそれはそれで寂しい感じがして、トレサは見方が変われば気持ちさえこんなにも変わるのだとしみじみ思った。
 踊りを終えて礼をしたプリムロゼに、トレサは心からの拍手をする。それからやはりプリムロゼがお酌を始めたので、トレサは頭の中で今日の商売の勘定をしつつ、彼女と話をする機会をうかがっていた──が、その時はほどなくしてやってきたのである。


「トレサ、見に来てくれてたのね。ありがと」
「あれ、プリムロゼさん?」
 声をかけられたトレサは、驚いてぱっと顔を上げた。お客の数の割に、彼女が仕事を終えるのが早すぎる気がしたのだ。
「お酌してたんじゃないの?」
「いいのよ。……まあ、本当はお客のお相手に疲れて、逃げてきちゃったんだけどね」
 珍しい苦笑いとともにプリムロゼがトレサの隣に座った。通りがかったバーテンを呼んで、トレサと揃いのブドウジュースを頼む。疲れたというのは本当なのだろう。
「そっか……やっぱり大変よね、お給仕もするのって」
「いつもはアーフェンがいるから、お客もあんまりうるさくないんだけどね」
 プリムロゼの口から出てきた名前に、トレサはえっと目を丸くした。
「そ、そういうもんなの?」
「まあね。連れがいるって分かると、少し遠慮するみたいだわ」
「へええ……ちゃんと役に立ってるのね、あんな騒いでるだけなのに」
 いわゆる虫よけってやつ? とトレサは呟いて、これはひょっとして、気になっていたことを自然に聞けるいい機会ではないかと思い当たる。ここでやってきた商機を逃してはいけない。
「じゃあ、プリムロゼさんはお客と話したくないから、アーフェンと話してるの?」
「そうねぇ……ま、せっかく連れが声かけてくれてるのに、応じないのもね」
 言葉はいつもの彼女らしいつれなさがあったが、くすりと笑った表情を見ると、単にそれだけじゃない気がする。
 そこで、トレサはもう一歩踏み込んでみた。
「ふーん。じゃ、ほんとはアーフェンとも喋りたくなかったりする?」
 それを聞いて、プリムロゼがちょっと眉を上げた。トレサはその反応にちょっと肩を強張らせた。──まずい、言いすぎたかしら?
 プリムロゼは、やがておかしそうに微笑んだ。
「なぁにトレサ、もしかして、心配してくれてるのかしら?」
「……だって、見ててアーフェンがしつこい感じするんだもの。気になっちゃって」
 気まずくなってブドウジュースをすすったトレサの頭を、プリムロゼが優しく撫でた。
「大丈夫よ。嫌だったら適当にあしらって帰ってるわ」
「……そうよね、プリムロゼさんならそうするわ。……そっか、嫌じゃなかったんだ」


 ──よかったね、アーフェン。
 トレサは心の中で呟いた。これで任務は果たせたし、いい結果まで得られたのだから大成功だ。
 だからすっかり安心して、ついこんなことを言ってしまった。


「でも、ちょっと意外だわ。プリムロゼさんとアーフェンが気が合うなんて。いつも結構長いこと喋ってるもの」
「あら、そうだったかしら」
 プリムロゼがそれこそ意外そうに首を傾げたので、トレサはそうよ、と大きく頷いた。
「だって、プリムロゼさんあたしたちと飲む時、いつも色んな人のところを回ってるじゃない? 決まった誰かとずっと話してるの、珍しいなって思ってたのよ」
「……そう、だったかしら」
「そーよ~。だからてっきり、アーフェンが話し続けるせいでプリムロゼさんが離れられないんだと思ってたの。違うみたいで良かったけどね」
「……」
 残っていた野菜のスープを快調に頂きながら、トレサはお喋りを続ける。
「アーフェンと話すの、楽しい?」
「楽しい、というか……そうね、あまり気を遣わなくても済む、って感じかしらね」
「あはは、ちょっと分かるわ。あたしもアーフェンと喋る時は気を遣うなんて考えたことないもの! あの人も喋るからあたしも遠慮しなくていいやって感じで」
「……そうね……」
「あっ、あと一つ気になってたことがあるんだけど」
「あら、何かしら」
「プリムロゼさんて、すごいわよね? 毎回アーフェンがおっきな声で応援してても、普通に踊ってるし、笑顔もサービスしちゃってるし。あたしだったら毎日仕事見に来られると恥ずかしいって思っちゃうなって」
「それは当然よ、私は専門家なんだから。……でも、アーフェンが来ていて嫌だと思ったことは、ない、わね……」
「えっ、すごい! さすがお姉様」
「……むしろ、踊ってる時にあの人の顔を見たら、なんだか」


 そこで、ぷつりとプリムロゼの言葉が途切れる。


「……プリムロゼさん?」
 唐突な沈黙を不思議に思って、スープの椀から顔を上げてプリムロゼを見やる。次の瞬間、トレサは息をのんだ。
 ──プリムロゼの頬が、赤く染まっていた。
(え……?)
 唇は言葉の続きを探すように半分だけ開いたまま止まっていて、瞳はどこを見ているとも言えないようにぼんやりとしている。
 今まで見たこともないようなプリムロゼが、そこにいた。


「プリムロゼさん、どうかしたの……?」
 もう一度声をかけると、プリムロゼはびくりと肩を強張らせた。かと思うと、すくっとその場から立ち上がる。常ならぬ彼女の様子に、トレサは戸惑った。
「だ、大丈夫? 顔赤いわよ?」
「トレサ」
「っ、はい!?」
 突然鋭く名を呼ばれ、反射的にトレサの背が伸びる。
 何かヘンな事言ったかしら? と冷や汗が滲みそうになったところで、プリムロゼは思わぬことを言ってきた。


「明日の夜も、食事はここでするわよね」
「え? う、うん、そのつもりだけど……」
「だったら、ここの名物ブドウパフェ大盛りを奢ってあげるわ。約束よ」
「ええっ!?」


 ブドウパフェ! トレサは飛び上がった。酒場が提供する唯一のデザートにして、最高級のメニューだ。もちろんトレサだって食べてみたいと思っていた、でもなんで急に?
「プ、プリムロゼさん、どうして」
「お姉様の好意はおとなしく受け取っておきなさい。じゃあ、おやすみ」
 きっぱりとそう言ったプリムロゼは、踵を返して酒場を出て行ってしまった。あとに残されたトレサは頭の中を疑問符で満たすばかりだ。
「ど、どういうこと……?」
 スープの最後のひと匙を掬うのも忘れて、ひたすらトレサは頭を捻っていた。
 ──まったく訳がわからない、プリムロゼの表情の理由も、急に高級デザートを奢ると言ってきた理由も。


 トレサは知らなかった。彼女の深く考えずに投げかけていた言葉が、プリムロゼに新しい気付きをもたらしていたことを。


 やがてアーフェンが、「プリムロゼの様子がおかしくなった!」と焦ってトレサへ相談を持ち掛けてくるのだが、それはまた別の一ページに譲るとしよう。



オンラインイベント「オクトラ限界集落 第二沼」にてDL公開していました。
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イベント公開: 2020/10/17, pixiv公開:2020/11/21