手に靡くはトサカとベルベット

 とある夜、とある宿屋の一室にて、薬師アーフェンは薬作りに熱中していた。小さな机の上で薬草を数種類刻み、きっちり量ってからつなぎ材と合わせ、乳鉢の中で練り上げる。
 そうして懸命に作業と取り組んでいたところに、やや強めのノック音が聞こえた。


「なんだー?」
 振り向いて尋ねると、すぐに部屋の扉が開く。
「あら、いたのね?」
 入ってきたのは、旅の連れである踊子プリムロゼだった。片手に、湯気を上げるカップを持っている。
「プリムロゼ! どした? 具合でもわりぃのか?」
「違うわ、差し入れよ。ハンイットがお茶を淹れてくれたから」
 といって、プリムロゼが手に持っていたカップを机の上に置いた。すると、温かいお茶の香りがふわりと辺りに漂う。それをかいだ途端、アーフェンは自分が思っていたより疲れていたことに気づく。
「おぉ……こいつはありがたいぜ」
「それは良かったわ。酒場にも来ないからどうしたのかと思ってたけど、薬作ってたのね」
「おう。傷薬が底尽きかけてたからよ、ちとたくさん作っとかなきゃってな。……はー、美味いなこれ」
 一口飲んで、思わずため息を漏らす。どうやら随分根を詰めてしまっていたようだ。
 そんな彼に微笑みながら、プリムロゼが頷く。
「でしょう、ハンイットにも言ってあげてね。……最近、魔物と戦うことも多かったものね」
「なーんか、最近強い魔物増えてきた気がするよな? 先生もこないだ言ってたけどよ……ん、ご馳走さん。ありがとな」
 あっという間に飲み終えて、アーフェンは作業の続きに取り掛かる。疲れてはいたが、この先を考えるともう少し作っておきたかった。
 けれど、プリムロゼは部屋を出ていかない。机に少し寄りかかったまま、アーフェンの方をじっと見ている。その視線に、アーフェンは少々気まずくなって彼女に尋ねた。


「……どした?」
「せっかくだから、見学しようかと思って。いいかしら?」
「い、いいけど……」
「ありがと。それじゃあ、ちょっとお邪魔するわね」


 といって、プリムロゼがベッド脇に置いてあった椅子を持ち出してくる。作業机の脇に座ると、彼女は少女のように肘をつきながら、アーフェンの作業の様子をじっと観察し始めた。
(……。なんか、落ち着かねぇな)
 患者の家族が見ている前で薬の調合をすることは日常茶飯事ではあったが、人の視線を感じながらの仕事はどうしても手許に力が入りがちだ。それが、気になる相手の視線なら尚更だった。


 横目でちらりと見やる彼女の顔立ちは、唇にいつものような『魅せる為の』微笑みを作っていなくとも美しかった。それだけでも引き付けられてしまうのに、冗談を言ったりおしゃべりをしたりする時に笑う顔は、とても可愛らしいことをアーフェンは知っている。
 普段は姉のようにしっかりしているけれど、時折危うく映る時もある。
 短剣を握れば自らが傷つくことも顧みない姿に、いつしかアーフェンは彼女から目が離せなくなっていった。
 そのプリムロゼが、じっと自分の仕事を見つめている。そこに特別な感情などないことを知っていても、意識せずにはいられない。緊張して、薬を練る手が普段と違う動きをしてしまいそうだ。


 そんな時──ふわ、と、アーフェンの頭に何かが触れた。


(っ……?)
 とさかのように頭の上で跳ねている髪の間を、なにかがすり抜けていく。
 思わず振り向いた視線の先の、プリムロゼの、手が。
 分かってしまった瞬間、アーフェンはかっと頭に血が上った。


「な、ななぁっ!?」
 ひっくり返った声に驚いたのか、プリムロゼがぱっと手を離した。かと思うと、その手を口に当ててくすくす笑い出す。
「あら、ごめんなさい。つい触っちゃったわ」
「つ、ついって何……」
「ふわふわしてて、なんだか動物の毛みたいだったんだもの」
 もう一度触ってもいい? なんて言いながら、アーフェンが答える前にプリムロゼがまた髪に触れてくる。
 彼女の手はしなやかで、その感覚がたまらずアーフェンは作業机に突っ伏してしまう。
「……も、やめてプリムロゼ……くすぐってぇ」
「ふふ、ごめんね」
 プリムロゼは相変わらず笑っていたが、あっさり手を離してくれた。ほどなくして、かたんと椅子を片付ける気配がする。
「これ以上いたら邪魔でしょうから、退散するわね。おやすみなさいアーフェン、あなたも無理しないで早く寝るのよ」
「おぅ……おやすみ……」
 アーフェンは突っ伏したままよろよろと手だけ振った。扉が閉まる音がして、微かな足音が遠ざかっていく。
 やがてそれすら消えて、部屋が完全に静まり返った時。


「……っあぁぁも〜!!」


 ばね仕掛けの如くアーフェンは跳ね起きた。背もたれに乱暴にもたれ天を仰ぐ。顔は火照るほど熱く、胸がたまらなく苦しかった。
「なんなんだよ〜……プリムロゼ……」
 彼女と自分の間に特別な感情はないと知っている。けれどあんな風に触れられたら、勘違いしたくなるのが自然ではないだろうか。
 自分ばかり舞い上がったり悩んだりしているのが、自分のせいだというのになんだか悔しい。
「……ぜってー、やり返す……」
 呟いて、アーフェンは我ながらいい考えだと思った。彼女にはいつもしてやられているのだ、たまにはお返ししてもいいじゃないか。
 そう思うとなんだかすっきりして、アーフェンは再び猛然と薬作りに取り掛かり始めたのだった。
 しかし。


(プリムロゼの、髪、かー……)


 気がつくと、頭の中にプリムロゼの姿を思い描いていた。
 彼女は踊子として、いつも自身の美しさを磨いている。髪ももちろんそうで、アーフェンが見かける時はいつでも、綺麗に櫛を入れて頭の後ろでまとめ上げられていた。彼女が舞えば鳶色をした髪も一緒に靡き、光を受けて煌めくのだ。
 ──もし手で触れたなら、それはいったいどんな心地なのだろう。
 乳鉢を摺る手は、すっかり止まってしまっていた。


「……あー、ダメだ。集中できねぇ」
 アーフェンはがりがりと頭を掻く。一度ぷつりと切れてしまった集中の糸を、今夜はもう繋ぎ直せる気がしなかった。まだ傷薬は作っておきたかった量に及ばなかったが、しばらくは大丈夫だろう。多分。
(……手元狂って変な出来になるよかマシ、だよな……)
 心の中で言い訳がましく呟きながら、アーフェンは調薬の道具を片付け始めたのだった。



 そして翌日、アーフェンは朝食を取りに部屋から出た。すると。
「あら、アーフェンおはよう」
「お、プリムロゼ?」
 ──昨夜の今日でかよ。
 思わずどきっとしながら振り返って、アーフェンはさらに息を飲んだ。


「あなたもこれから朝食なのね?」
 微笑んだプリムロゼは、なんと髪を下ろしていた。櫛を入れただけの豊かな鳶色の髪が、優雅に垂れ下がっている。


 アーフェンが言葉を失っていると、プリムロゼが怪訝そうに「どうしたの?」と首を傾げた。
「あ、おう……なんか、あんたがいつもと違ぇから」
「あぁ、髪を下ろしてるからかしら?」
 彼女はさらりと自分の髪を手で梳いた。
「ちょっと寝坊しちゃって。みんなと朝食を合わせようと思ったら、まとめる時間がなかったの」
「そ、そっか……?」
 アーフェンは辛うじて返事をしたものの、その実ほとんど話を聞いていなかった。窓から射す朝日に照らされ、光沢を放つプリムロゼの髪から目が離せなかった。


 ──もし手で触れたなら、どんな心地なのだろう。昨夜考えてしまったことが、再びアーフェンの頭に蘇った。
 内なる声が、やり返すなら今だと囁く。アーフェンはそれに従って手を伸ばした。


「え……」
 プリムロゼが息を飲む。けれどアーフェンも同時に呼吸を詰まらせていた。
 指先に触れる感触は思い描いていた通り、いやそれよりもずっと柔らかく、すべらかだったから。
 まるで天鵞絨を撫でているようだった。一体どんな手入れをしたらこんな手触りになるのだろう。アーフェンは薬草を折り取るような慎重さでプリムロゼの髪を辿り、先程彼女がそうしていたようにそっと手で梳いた。鳶色をした髪の一筋一筋が絹糸のように、さらりと指の間をすり抜けていく。
 プリムロゼの瞳が、急に大きくなった。


「っ……ちょっと!」
 同時に、ぱしりと乾いた音。男の無遠慮な手を、彼女が払い除けていた。
 アーフェンは驚いて、火傷でもしたようにぱっと手を離す。
「乙女の髪に易々と触るものじゃないわ……!」
 そして、彼女は早足で廊下を歩き去ってしまった。
 
 ぽつりと残されて、アーフェンはようやく我に返る。さっきまでプリムロゼの髪に触れていた手を、ぼうっと見つめた。
(……さすがに、やり過ぎちまったか……?)
 結局怒られてしまった。ほんの少しだけのつもりだったのに、髪を梳くのは大胆過ぎたか……と、アーフェンは心の中で反省する。あとで顔を合わせたら、一言くらいは謝っておこうと決めた。
 けれど、本当にプリムロゼの髪は触り心地が良かった。もし拒否されていなかったら、いつまでも撫でていられた気がする。
「……」
 ──この感触、覚えとくくらいは……いいよな?
 今更のようにどきどきと高鳴る自身の心臓の音を聞きながら、彼は懲りずに決心するのだった。



 一方プリムロゼは、人気の少ない廊下の曲がり角に差し掛かった途端、ぴたりと脚を止めた。
「……っ」
 そっと手のひらを頬に当てる。そこはどうしようもなく熱くなっていた。足元だってふわふわしている。ぎゅっと瞼を閉じればすぐに、さっき髪に触れていた指先の感触を思い出してしまう。丁寧に梳った髪の一筋一筋を慈しむような、あの感触を。


「……なんで……」
 知らなかった。いつも大雑把な態度をした年下の青年が、あんな風に人に触れられるなんて。
 乳鉢だけでなく斧も握る男の手が、まるで恋人を愛撫するようにやわらかな仕草をするなんて。
 そして、そんなアーフェンの手に容易く掻き乱されてしまった自分の心も、プリムロゼは信じられなかった。


 彼はただの旅の仲間、少し気は合うけれど、それ以上でも以下でもない。だというのに、今自分を騒がせているこれはなんなのだろう。
 彼の優しい指先を反芻して、胸を高鳴らせてしまっている私は──。
「……っ、だめよ、プリムロゼ……」
 プリムロゼは思わず呟いた。これは、危険だ。一度脚をとられれば戻れない場所の瀬戸際に私は立っている。早く本来の、信じ貫くべき己を取り戻し、なんでもない顔で笑えるようにならなくては。
 そうだ、もうすぐ旅の仲間と朝食を取るのだ、こんな顔をしていてはいけない。早く食堂へ行かなくちゃいけない。けれど。
 せめて、この心臓の音が鎮まるまでは。
 廊下の暗がりに、火照った頬を冷まして貰うまでは、と。
 プリムロゼは自分の体をきつく抱きしめて、ひとり己を誘惑する感情の嵐に耐えるのだった。



TWINKLE MIRAGE 11/オクトラプチオンリー「旅人の手記」にて無配していたペーパーでした。
A41枚に収めようとしていたら致命的に意味が通らない文章が出てしまい、pixiv再録にあたって修正しています。
髪触るネタが好きなんだあ…。 イベント公開: 2019/7/21, pixiv公開:2020/11/21