プティ・アムールをめしあがれ!

 神官オフィーリアは、固唾を飲んで見つめていた。
「……」
 旅の連れ八人の中でも、随一の料理の腕を持つ女性、狩人ハンイットの反応を。
 今ハンイットは、鍋からひと匙スープを掬い、ゆっくりと口に含んでいる。そして。


「……うん、美味しいぞ。合格だ」


「本当ですか!」
「ああ。さすがオフィーリアだ、飲み込みが早いな」
「ありがとうございます!」
 大いにホッとして、オフィーリアは仲間たちの分のスープを取り分け始めた。
 彼女は最近、ハンイットから本格的に料理を習い始めていたのだった。素直に技術を飲み込んでいくオフィーリアを見て、ハンイットもまた嬉しそうに目を細める。
「調理器具の扱いもだいぶ慣れてきたし、次はお菓子作りに挑戦してみてもいいかもしれないな」
「お菓子……ですか?」
「ああ。料理よりも厳密に手順を踏むのと、量をきっちり計らないといけないから少し難しいんだが、今のあなたならきっとできると思う。何か、作ってみたいものはないかな?」
「……」
 言われて、オフィーリアは少し考えた。もちろんお菓子作りは憧れの技だからやってみたいのはやまやまだが、何を、と言われるとすぐには思いつかない。
「まあ、急がなくてもいい。何か思いついたら教えてくれ」
「はい……」
 苦笑するハンイットに頷いて、オフィーリアはまた考えた。
 せっかくだから、旅の連れであるみんなが喜んでくれそうなものを作りたい。けれど彼らの好きな物はなんだろう?
 その時、テーブルの隅に置かれた果物籠に目がいった。――ある人物の好物だ。
 果たして、作ったところで彼は食べてくれるだろうか。分からないけれど、もうこれしか思いつかない。
「あ、あの……ハンイットさん!」
 オフィーリアのリクエストを聞いたハンイットは、もちろんいいぞ、と頼もしく微笑んでくれた。


   ◆


 数日後の昼下がり、とある宿屋の食堂にて。
「よし、これで全部だな」
「わあ……すごいです!」
 テーブルに並べられたのは、ボウルやふるいやスプーンといった数々の調理器具に、小麦粉、バター、卵――そして、真っ赤なりんご。
 これらの品々は、今日作るものに備えて商人トレサに調達してきてもらったものだ。出来たらあたしにも食べさせてね、という約束をお代の代わりにして。
「さすがトレサだな、どの材料も新鮮で美味しそうだ」
 りんごの艶と匂いを確かめて、ハンイットがつくづく感心する。隣に立つオフィーリアはもう待ちきれなかった。
「あの、ハンイットさん、今日もよろしくお願いします!」
「ああ。今日これから作るのは――アップルパイだ」
 薄く切って煮詰めたりんごをさっくりしたパイ生地で包んで焼き上げたこのお菓子は、ポピュラーでありながら調理にはさまざまな工程が必要だ。
 簡単過ぎず、難し過ぎず。何より、みんなが喜びそうなメニュー。ハンイットは良い選択だ、とオフィーリアを励ました。
「一緒にがんばろう。……喜んでもらえるといいな」
「はい! ……えっ?」
 勢いで頷いてしまったオフィーリアだったが、はたと違和感を覚える。なんだか、ハンイットの微笑みがとても意味ありげだったような。
 けれど、ハンイットはもう材料を手に取って準備をしていた。
「さて、お菓子作りは最初に材料を全てすぐ使える状態にしておくのが肝心だ。まずは小麦粉をふるいにかけるところから行こう」
「は、はいっ!」



 それから、砂時計を二回ほどひっくり返した頃。
 粉と卵とバターは薄黄色のパイ生地に姿を変え、真っ赤なりんごは丁寧に皮を剥いて、薄切りにしてから煮詰めたのでなめらかな蜂蜜色に変わっていた。
 あとは、パイ生地の上にりんごを並べて焼くだけだ。
「ここまでよくやったな、オフィーリア。あともうひと頑張りだ」
「はい……!」
 オフィーリアはため息をついて、額に浮いた汗をハンカチで拭き取った。確かにお菓子作りというものは料理とは少し勝手が違う、普段料理に取り組む時の倍は神経を使っている気がする。
 でも、着々と出来上がっていく様子を見ていると、本当に美味しく作れるのではないかと思える。つきっきりで教えてくれるハンイットには大感謝だ。
 そこへ――。


「あら、何だかいい匂いがするわね」


 艶やかな髪を揺らして食堂に現れたのは、踊子プリムロゼだった。彼女は何か起こっていることを察して、目を輝かせた。
「お菓子? 何作ってるの?」
「プリムロゼさん! ええと、今アップルパイを作っているところなんです」
「あとはもう焼くところまで来ているんだ」
「そうなの! いいじゃない」
 ハンイットの口添えに頷いたプリムロゼは、オフィーリアがパイ皿の上に成形している生地を覗き込んだ。
「へええ……焼く前はこうなっているの? 私、初めて見たかもしれないわ。いい匂いは……そう、このりんごね。美味しそうだわ」
「ありがとうございます!」
 まだ出来上がる前だが、仲間に褒められれば嬉しい。オフィーリアは顔を綻ばせた。
「これもオフィーリアの料理修行の一環なのかしら、ハンイット?」
「ああ、今日のメニューはオフィーリアのたってのリクエストなんだ。きっと美味しくできるぞ」
「ふーん……」
 ハンイットの言葉を聞いて、プリムロゼは何かぴんときたらしい。ちょっと、と声を潜めると、オフィーリアの袖を軽く引っ張った。


「なんですか?」
「ひょっとして……テリオン?」
「え? あ、……あの」


 唐突に囁かれた人物の名前に、オフィーリアの顔はりんごに負けないくらい真っ赤になってしまった。
 確かに、お菓子を作ると聞いてオフィーリアが頭に浮かべていたのは彼だ――それをプリムロゼ相手に誤魔化せるほど、残念ながらオフィーリアは演技が得意ではなかった。
「えっと……わ、わたしは、その……っ」
「うふふ、彼がりんご好きなのはみんな知ってるわよ」
「……!!」
 追い打ちのような囁きに、オフィーリアは今度こそ言葉が出なくなってしまう。乙女ならではの初心な反応を見て、プリムロゼはくすくすと笑った。
「恥ずかしがらなくていいの。いいじゃない、誰かの為に作るって、それだけで料理を美味しくする魔法よ。きっと上手くいくわ」
「プリムロゼさん……」
「出来上がりが楽しみね。……もし良かったらだけど、私もご相伴に預かってもいいかしら?」
「!」
 もとより、オフィーリアはそのつもりでもあったのだ。悪戯っぽく微笑むプリムロゼに、オフィーリアも笑顔ではい、と答えたのだった。


 それからさらに、砂時計を一回ひっくり返した頃。
 かまどの中にパイを入れている間、三人の女性はオフィーリアが剥いたりんごをおやつにお茶を飲んでいたのだが、だんだんパイの焼けるいい匂いがしてきた。
「そろそろですかね……」
 出来上がりが気になるオフィーリアは、座っていても落ち着かない。それを、ハンイットが穏やかに窘めた。
「まだだ、焦ると生焼けになってしまうからな。あともうちょっとだ」
「りょ、了解です」
「ふふっ、気になるわよね。私も気になるわ、いい匂いしてきたもの」
「そういえば、みんなはどうしてるんだ?」
 気を紛らわせるように、ハンイットが質問を投げかけた。
「サイラスはいつもの如く部屋に篭ってるし、トレサも今日は仕入れた品の整理をしていると言っていたが」
 答えたのはプリムロゼだ。
「オルベリクも今日は宿でゆっくりすると言ってたわよ。……アーフェンは薬草の仕入れに出かけてるし、テリオンはどこへ行くとも言わず外にいるようだけど」
「……!」
 気になる人物の名前を聞いて、オフィーリアがぎゅっとカップを握りしめる。
「案外あの二人仲いいから、もしかしたら一緒に帰ってくるかもしれないわね」
 プリムロゼが冗談ぽく言ったのに、ハンイットがくくっと笑った。
「焼きたての時に帰ってくるといいな。……案外、本当にそうなるかもしれないぞ。アーフェンはこういう時にひょいと現れることが多いから」
「確かにね。そういうところ、運がいいのよね」
 二人の会話を聞いていたら本当にそんなことが起こりそうに思えてきて、オフィーリアはますます落ち着かなくなってきた。今かまどの中はどうなっているのだろう、二人はいつ宿に帰ってくるのだろう?



 りんごを齧りながらじりじりと待っていると、ハンイットがとうとうこう言った。
「うん、そろそろ良い頃だ。オフィーリア、かまどを開けてみよう」
「! はいっ」
 オフィーリアとハンイットが並んで調理場のかまどの前に立ち、一歩後ろからプリムロゼが覗き込む。
 ハンイットがかまどの戸を開くと、一気にパイ生地の焼けた香ばしい匂いと、りんごの甘い匂いが調理場に広がった。
「よし、大成功だ」
「わあ……!!」
「やったわね、オフィーリア!」
 出来栄えを見たオフィーリアは顔を輝かせ、プリムロゼが手を叩く。
 食堂のテーブルにパイを持ってくると、表面は綺麗に茶色の焦げ目がついていて、全体は濃いめのきつね色に焼き上がっているのがよく分かった。少なくとも、見た目だけなら誰がどう見ても成功だと言える出来だ。
「すごいです……ハンイットさん、ありがとうございます!」
「とんでもない。オフィーリアが頑張ったから成功したんだ、よくやった」
「ほんと、すごく美味しそう。早く切り分けてちょうだいな」
「はいっ、早速!」
 プリムロゼに急かされて、オフィーリアがナイフを取った。その時だ。


 がちゃ、と扉の開く音。そして。
「よお、何か作ってるんだって?」
 現れたのは薬師アーフェンだった。その後ろに盗賊テリオンの姿も見つけて、オフィーリアはどきっと緊張してしまう。――本当に、二人で帰ってきた!


「……本当に帰ってきたな」
 ハンイットが二人を振り返って苦笑した。プリムロゼは口に手を当てながらくすくすと笑う。
 そんな女性二人の反応に、アーフェンは目を丸くした。
「ん? 俺なんかおかしいことした?」
「いいや、なんでもない。誰かから聞いたのか?」
「ああそうなんだ、さっき帰ってきたとこなんだけどよ、宿の女将さんからな、お連れさんが美味しそうなもの作ってますよって。な、テリオン?」
「……俺は別にいい、って言ったんだがな」
 無理矢理連れてこられたらしいテリオンは、面倒そうに眉を顰めている。そんな彼の背中を、プリムロゼが嬉々として押した。
「まあまあ、そんな事言わないで。せっかくオフィーリアが作ったんだから」
「……オフィーリアが?」
 聞かれたと思って、オフィーリアは慌てて頷いた。
「は、はいっ! ハンイットさんに教えてもらって、アップルパイを、皆さんに……食べて欲しくて作ってみたんです。とっても美味しそうにできたので、ぜひっ」
 いよいよ食べてもらえるのかと思うと、どきどきして自然と早口になってしまう。うまく言えただろうか、自分でもわからない。
「……」
 テリオンがいいともいやとも言わずにいる間、先にテーブルまで行ったアーフェンが、焼きたてのパイを見つけて歓声を上げた。
「すげえ、美味そう! ……な、食ってもいい?」
「もちろんです、どうぞ!」
 オフィーリアが振り向いて頷くと、アーフェンは切り分けたパイを喜び勇んで一口齧った。さく、とパイ生地の崩れる音がする。
「! すげえ、こりゃ美味いぞ」
 第一声が思った以上に好感触そうで、オフィーリアがひとまず胸を撫で下ろした時だった。


「ちょっと、アーフェン!」
「あだだっ!?」
 唐突にアーフェンが悲鳴を上げた。恐ろしく目を釣り上げたプリムロゼが、アーフェンの耳を思い切り引っ張ったのである。
「ちょっ、なにすんだよぉ……!?」
「何ひとりで先走ってるのよ! あっほら、行っちゃうじゃない」
「へっ?」


 目を丸くしたアーフェンに倣って、オフィーリアもプリムロゼの指した方へ首を向けると、呆れた表情のテリオンが食堂のドアを開けようとするところだった。
「あっ……!」
 オフィーリアは慌てた。もしかして、テリオンはアップルパイが好きではないのだろうか?
 そこへ、すかさずハンイットが声を掛けた。
「テリオン、食べないのか? 美味しく焼けているぞ」
「……」
 呼び止められたテリオンは、あきらかに苦い顔をして呟いた。
「……今はそういう気分じゃない」
「あら、そんなこと言わずに食べていきなさいよ」
「……」
 プリムロゼが促しても、反応が渋い。オフィーリアの、パイを載せた皿を握る手に力が入る。
 そんなオフィーリアの様子と、テリオンの反応を見比べて、アーフェンはどうやら事態を察したらしい。


「……テリオン、ちーと耳貸せ」
「は? 何を……ッ!?」
 がし、とテリオンの肩を組んで、アーフェンが低い声で言った。
「なーに意地張ってんだよ?」
「……何の話だ」
「あんたがりんご好きなことくれえ、みんな知ってんだよ」
「……」
 途端、テリオンは反論を止めた。石のように黙った彼に、アーフェンが畳み掛ける。
「一生懸命考えて、作ったんだと思うぜ? 受け止めてやれって」
「…………」


 アーフェンが腕を離す。いったい彼は何を言ったのか、オフィーリアの方に向き直ったテリオンはもう渋い顔をしていなかった。
 それにほんの少しだけ勇気づけられたオフィーリアは、一切れのパイを手にもう一度お願いしてみる。
「あの……焼きたての今が一番美味しいので、テリオンさんもぜひ」
「……」
 そうしながらも、オフィーリアは見守るプリムロゼ、アーフェン、ハンイットの視線をひしひしと感じる。テリオンが気まずそうにしているのは、同じ理由だったのかもしれない。それでも、テリオンは差し出された皿を受け取った。
「……!」
 そのまま明後日の方を向いてパイを齧るテリオンの反応を、オフィーリアは固唾を飲んで見つめていた。心臓がどきどきと苦しくて、ローブの裾をぎゅっと握りしめてしまう。
 そして。


「……美味い、んじゃないのか」


 いつにも増して低い声だったけれど、その言葉はちゃんとオフィーリアにも聞こえた。
「……わあ、良かった……! ありがとうございます」
 ほっと顔が緩んでしまう。良かった、食べてもらえたし美味しいとも言ってもらえた。
 ちゃんとできるか不安だったけれど、一生懸命作ってみて本当に良かった。


 そんなオフィーリアの表情を目の当たりにしたテリオンが、すっかり食べる動きを止めていたのに、幸か不幸かオフィーリアは気づかなかった。弾む足取りで、残りのパイを切り分けにテーブルへ向かっていたからだ。
「……」
 再び黙ってしまったテリオンの背中を、アーフェンが小突いた。
「な、食って良かったろ」
「……やかましい」
 にやにやするアーフェンに、テリオンが思い切り冷たい眼をくれてやる。
 顛末を見届けて、プリムロゼが安心したとばかりにほっと息をつき、ハンイットがそろそろ、と声を上げた。
「部屋に残ってるみんなも呼ぶか。もう少しで夕食になってしまうが、パイがあたたかいうちにお茶会にでもしよう」
「あら、いいわね。そうと来ればアーフェン、お茶淹れるの手伝ってちょうだい」
「あいよー」
 ハンイットが宿の部屋で休んでいる三人を呼びに行き、プリムロゼとアーフェンは調理場へお茶の支度をしに出ていった。


 残ったオフィーリアは、人数分の食器を揃えるなどしてテーブルを調える。そうしながらも、足元も気分も安堵感でふわふわしていた。なんと言っても、今日最大の目標を達成できたのだから。
 そこへ、不意に低い声がかかった。
「……オフィーリア」
「はい?」
 振り返ると、テリオンが皿を差し出していた。――パイ屑ひとつない、きれいな状態で。
 彼は相変わらずの低い声で、けれどはっきりこう言った。


「……次は、あいつらがいないところで頼む。……毎度こう騒がれてはかなわんからな」


 最後にありがとう、と一言呟くと、テリオンはオフィーリアに皿を渡して食堂を去ってしまった。
「…………」
 オフィーリアは、しばらく呆然と立ち竦んでいた。今、彼はなんと言っていたか。
(つ、次って……言ってました?)
 自問して、あらためて言葉の意味の大きさに気づいたオフィーリアは、うわっと顔を熱くした。
 ――今ここに、誰もいなくて良かった。
 こんなところをみんなに見られたら、恥ずかしくて逃げ出してしまうかもしれない。
 たった今、大きな秘密ができてしまった。誰にも言えない、というよりは言いたくない、大切で、煌めくような秘密。


(……ひとりでも作れるように練習しなくっちゃ。それで、いつかテリオンさんをびっくりさせるんです)


 焼きたてのパイを持って、彼の泊まっている部屋を訪ねる。そんな有り様を、気が早いと思いつつも想像せずにはいられない。
 パイに込めた小さな恋心は、彼女と彼との間で確かに香ったようだった。



発想がn番煎じな感じですが、何かを一生懸命作るお話って書くのが好きなので…。
この二人も職業とか性格とか抱える物とかがつくづく磁石のような感じで好きです(うまく表現できないですが笑)
pixiv公開: 2018/9/11