美しい仮面の下に隠された傷を想う

「今、ひとつの魂がオルステラの大地に還ります」


 砂風が荒ぶるサンランド、その乾ききった崖の下で、涼やかな声が聖句を紡ぐ。今し方死の門を越えた“彼女”の魂の、永遠の安らぎを願って。
「終焉の門は彼女を迎え入れ、やがて我らを照らす星とせん」
 金髪を砂風に煽られながら、神官オフィーリアは死者を送る言葉を唱えていた。これほど自分が無力だと感じることはそうないだろうと打ちひしがれながら、それでも沈む砂地にしっかりと足を張って、己にできる最後のことをやり遂げようとしている。


「……彼女の魂に、聖火のお導きがありますように」
 最後の句を捧げたオフィーリアは、採火燈から採った星の炎で砂漠の花を燃やした。蒼い光を放つ炎はあっという間に一輪を燃やし、大地に還らんとする“彼女”の魂の手向けとなる。
 祈りを終えたあとには、しばし風の吹く荒んだ音だけが辺りを満たす。やがて、オフィーリアの後ろで芯のある女の声がつぶやいた。
「……ありがとう、神官さん」
「プリムロゼさん……」


 オフィーリアは振り返って、たった今葬った“彼女”ユースファの友人だった女性を見やる。女性──踊子プリムロゼは砂風に鳶色の髪と真っ赤な薔薇のような衣装を煽られながら、不毛の大地をしなやかな脚でしっかりと踏みしめていた。
 プリムロゼは髪をかき上げると、美しい顔に微笑みを浮かべてこう言った。
「あなたがいて、良かったわ。私ひとりでは、ろくなことをしてあげられなかったでしょうから」
「そんな……むしろ、このぐらいのことしかできなくて……」
 オフィーリアは俯いた。もしもっと自分が神官として研鑽を積んでいたなら、死の門を目前とした魂を呼び戻す唯一の魔法──【復活魔法】を試すこともできただろう。しかし、今の自分はあまりにも無力で、ただユースファを送ることしかできない。
「あまりにも……理不尽です……ユースファさんは、プリムロゼさんを助けてくれただけなのに」
「ええ、そうね。……でも、残念ながらこの世界はそんなものなのよ、神官さん」
 神官さん、と、その言葉の残響にこもった硬質なものを感じて、オフィーリアははっと顔を上げた。
「だから、前を見て……歩き続けていくしか、ないのよ」
「……プリムロゼさん」
「さ、私はもう行くわ。世話になったわね」
 真っ赤な衣装を翻し、プリムロゼはあっさりと小さな墓へ背を向けた。為すべきことは果たした、だから次へ向かうだけ。
 そう言わんばかりの華奢な背中に、オフィーリアは思わず呼びかけていた。


「わたしも行きます!」


 風鳴りを突き抜けたその声に、プリムロゼは脚を止めた。
 ちらりと向けられた翠玉の瞳に、友人へ向けられていた温かみは欠片もなく。
「どうして? 私にはもうあなたは必要ない。あなたも、私についてくる必要はないでしょ」
「そ、それは……」
「あなたにも、為すべきことはあるんでしょうし。ねえ、『神官さん』」
 オフィーリアの頭に、自らが為すべき式年奉火の儀のことがよぎる。次にオフィーリアが向かうべきは、聖火が燃えるセントブリッジ。しかしプリムロゼは北のスティルスノウを目指すという。
 ふたりの旅路は目的地を異にしている。わかっている。だが──


「それに、私がこれから何をするのか、あなたは知っているわよね」


 更に突き放すようにプリムロゼが言った。それには答えるまでもない、このサンシェイドの地下道を通る前に彼女自身が説明した通りだ。
 仇討ち、それが彼女の旅の理由。虐げられても、罵声を浴びても、長い間プリムロゼが踊子として生きていたのは、父親を殺した3人の男を彼女自身の手で討つため。
 つまり、誰かの命を奪うのがプリムロゼの目的だ。当然神官ならば、聖火教を信奉する者ならば看過できないことのはずだった。それを理解していて、プリムロゼは刃のような視線を神官へ向ける。


「もし、あなたが私を止めるつもりなら、それは無駄よ」
「いいえ、止めるつもりはありません」
 これまで口ごもっていたオフィーリアだったが、この時は即座に首を振って否定した。
「あなたの苦しみを知らないわたしに、そんな権利はないですから」
「……」
 はじめて、プリムロゼは翠の瞳を見開いた。意外とでも言うように。
 そう、オフィーリアは初めからプリムロゼを止める気などない。彼女に同行したいと願うのはそんな安い理由じゃない。
「じゃあ、どうして……?」
「わたしが、プリムロゼさんと一緒にいたいからです」


「……」
 プリムロゼが唇を噛む。まるで傷ついたようなそんな表情は、初めてだった。
 きっとこの人は美しい姿の下に、そんなものをたくさん隠している。オフィーリアがサンシェイドの寂れた通りで、短剣を思い詰めた顔で凝視していたプリムロゼを初めて見たときに感じたのは、きっとそういうものだった。
 だから、オフィーリアは彼女について行ったのだ。


「プリムロゼさんは、本当に強い人だと思います。わたしなんか必要じゃないのは、その通りだとも思います」
 だからといって、いくら強い人間なのだとしても、傷ついていないはずがない。
 友人を失って、長い間過ごしていた場所を身一つで飛び出して、不安も恐れもまったくないなんてことはないはずだ。
「でも、お一人では不安だと思います。わたしがフレイムグレースからここまで来るときも、そうでしたから。……だから、せめてリバーランドまでは一緒に行きませんか」
 ふたりの旅の目的地は違う。わかっている。けれどそれでも、今この一瞬の交わりを手放したくはないと、オフィーリアは強く願うのだ。
 危険も不安も、そして同じくらいの喜びももたらすであろうこの旅路を、一緒に分かち合う人がいてくれたらいい。オフィーリアにとっても、プリムロゼにとっても。
「ここでわたしとプリムロゼさんが出会ったのは、聖火のお導きだと思うんです。そうじゃなければ、わたしも通り過ぎてしまったに違いありませんから。
 だから……わたしは、もう少しプリムロゼさんと一緒にいたいです。せっかく会えた、同じ年くらいの、旅をする女の子ですし!」


「……まったく」
 プリムロゼは茫然とオフィーリアの主張を聞いていたが、やがて呆れた苦笑いをはっきりと浮かべた。
「とんでもないお人好しね、あなたって」
「そ、そうでしょうか」
「ま、そうでなきゃこんなところまでついて来ないわよね。……そこまで言うんなら、仕方ないわ」
 さく、さくとサンダルが砂を踏んで、オフィーリアに近づいた。
「ユースファがお世話になったのに免じて、一緒に行ってあげる。確かに、あなたがいれば旅も助かるでしょうし、女同士なら遠慮もいらないしね」
「プリムロゼさん……! ありがとうございます」
「ええ。これからよろしく、オフィーリア」
 姉のように微笑むプリムロゼへ、オフィーリアが手を差し出し、握手を交わす。手袋越しに感じるプリムロゼの手はいかにも踊子らしくしなやかで、そして確かに温かかった。
 この砂漠の日差しにあって、しみひとつ無い手のひら。いったい、どんな風に手入れをしているのだろう。あとで聞いてみよう、とオフィーリアは思った。そのための機会は、これからたくさんあるのだから。
「はい、よろしくお願いします!」


 二人にどんな運命が待ち受けているのか、いまはまだ誰も知らない。
 けれど、この出会いは旅のもたらす尊い宝物のひとつになるだろう。そう確信したオフィーリアは、心からの笑顔でプリムロゼを迎えるのだった。



Breakの4人組でオルステラを旅しようと思い、オフィーリア主人公→プリムロゼを仲間にする記録を書いたものでした。
続きは…いつやろうかな(プレイも含め)
privatter公開: 2020/10/6