その僅かな距離を跳び越えて
とある旅路、野営を張った夜のこと。
周辺に『仕事』ができる場所もなく、テリオンは焚き火の側で、持ち歩いている林檎を手持ち無沙汰に齧っていた。そんな時。
「林檎、お好きなんですか?」
涼やかな声とともに、ふわりと隣に腰を下ろしたのは白い姿。
「……なんだ、いきなり」
「いえ、ただ……テリオンさんはいつも林檎を召し上がっているので。お好きなんですか?」
旅の『連れ』のひとり、神官オフィーリアはなんの他意もない、という笑顔で同じことを聞く。
よくそんなどうでもいい話を振ってくるもんだ、この俺に──話相手なら他にいくらでもいるだろうがと、テリオンは談笑したり作業に没頭したりしている他の六人の連れを見やった。けれど、オフィーリアはテリオンの倦厭する様子も意に介せず、にこにこと笑顔を向け続けている。
「……別に」
何の邪気も他意もない、純粋無垢そのものの問いかけにどうにも押されて、テリオンは仕方なく口を開いていた。
「どこにでもあって、盗っても気づかれにくいしな」
それを聞いて、オフィーリアの顔がほんの少し強張る。
「……そうですか?」
しかし、それでもオフィーリアはテリオンから目を離そうとはしなかった。
なぜか、時折彼女はこういう所がある。テリオンの何がそんなに気になるのか、返した言葉の奥にあるものを見透かそうとでもしているように、その澄んだ琥珀の瞳をいつまでもしっかりと向けてくるのだ。
そして、テリオンはその瞳の光を見るとなぜか、居心地が悪くなって仕方ないのだった。
はぁ、とため息をついて、テリオンはこう付け加えた。
「……それに、案外日持ちも腹持ちもする。……嫌いではないさ」
「そうですか」
オフィーリアは笑って、やっと瞳をテリオンから離した。それでまた、どうでもいいことを話し出す。
「わたしも、林檎は好きなんですよ。ちょっとした思い出があって……そうだ、少し待ってて下さいね」
脈絡なく立ち上がったオフィーリアは、急いた足で連れのひとり、狩人ハンイットのところへと向かった。そして彼女と二言、三言話すと、何やら小さな板とナイフを持って戻ってくる。
「……。何をおっ始めるつもりだ?」
「テリオンさん、林檎を一つ貸してくださいますか?」
「……持ってると思うのか?」
「持ってますよね」
「……はぁ」
なんだってこの女は自分の言ってることをこんなにも信じられるのか。あまりにも無自覚に強引なおねだりへ半ば呆れつつ、テリオンは懐に持っていた林檎を一つ、オフィーリアに手渡す。
ありがとうございます、と微笑んだ彼女は、林檎を左手に、ナイフを右手に持って、小さなまな板の上で林檎を切り分け始めた。
もちろん林檎をご所望なのだから、食べるつもりではあるのだろう。だが、碌に食卓もないこの場所でわざわざ林檎を切るなんて、盗賊に言わせれば効率が悪い。
と、思いつつ盗賊は神官の手つきを眺めていた。彼女は皮が付いたままの林檎を8つに割って芯を取ると、奇妙なことに皮に2ヶ所切れ目を入れる。それから一方の端からナイフを入れて、皮を剥き始めた。
オフィーリアは皮の下に潜らせた刃にしっかり親指を当てて、しょりしょり、と調子よく皮を剥いていく。一連の危なげない手つきに、案外こいつは器用なのかとテリオンは無意識に評価していた。
そして。
「はい、できました!」
達成感たっぷりに、オフィーリアは出来上がった林檎をテリオンに差し出した。
「……なんだ、これは」
中途半端に剥けた林檎の成す意味がわからず、彼は眉を顰めた。その薄い反応に、目の前の神官様はご不満のようで。
「うさぎですよ。ほら、これが耳で」
眉を心なしか吊り上げながら、オフィーリアは耳を模した皮を摘んで説いてみせた。
一応それで言いたいことは分かったが、まるで子供騙しだ。くだらん、そう思わざるを得ない。
「なんでまた……」
呆れた顔を隠さずにため息をついても、オフィーリアはめげずに言い募る。
「さっき言いましたよね、ちょっとした思い出があるって。……これ、昔リアナが作ってくれたものなんですよ」
「……リアナ、か」
リアナという少女のことを話に聞いたことは──何度もあった。本来式年奉火の儀式を担うはずだった、オフィーリアの『きょうだい』とでも言うべき存在。
ああ、そうかよと。きょうだいのことをオフィーリアが語る度、テリオンは決まって気分が悪くなる。忘れようとしていたはずの何かの気配を自分の中に感じてしまうからだ。
だが、楽しそうに思い出を語るオフィーリアを遮るだけの度胸も勇気も、自分にはないのだった。臆病者めと嗤う声がどこかで響く。
残りの林檎にも兎の細工をしながら、オフィーリアは語り続ける。
「小さい頃わたしが熱を出して、寝込んでいた時のことです。外では遊べないし、でも具合が悪いせいでご飯も食べられなくて、すっかり落ち込んでいました。そんな時、リアナがこれを作ってくれたんですよ」
また一羽、オフィーリアの手の中で赤い耳の兎が生まれた。
「とってもかわいくて、リアナの気持ちが嬉しくって。熱が高くて食欲もなかったのに、それだけは食べられたんですよ。美味しかったなあ……」
「……ふん」
「だから、林檎がお好きなテリオンさんにも、食べて頂きたいなって思ったんです。はい、どうぞ」
「……」
ぴょこん、と耳を揺らして、目の前に林檎が差し出された。テリオンは憮然と、小細工された林檎とそれを捧げる神官を見比べる。
オフィーリアはただただ純粋に、思い出で味わった幸せをテリオンに分け与えようとしていた。同じ幸せを分かち合いたいのだと、無邪気に勧める顔がそう訴えていた。
──心底どうでもいい。思い出話に俺を巻き込むな。そう切り捨てても良いはずなのに。
「ね、かわいいでしょう?」
なぜ、彼女が相手だとそれができないのだろう。
テリオンは深くため息をついて、渋々林檎を受け取る。そして、おもむろにそいつを頭から齧ってやった。
しゃくしゃく、とわざと荒っぽく咀嚼する。林檎はいつもと変わらず、食べ慣れた、それなりの味がした。
「あぁ、美味いな」
林檎なのだから、美味いのは当たり前だ。しかし、オフィーリアはお気に召さなかったようで。
「て、テリオンさんっ! いきなり頭から食べるなんて酷いですよ!」
──と、なんとも理不尽な説教をおっ始めたのである。
「はぁ? 腹に収まれば同じだろうが」
「せめてお尻から食べてくださいっ! 兎が可哀想じゃないですか」
どっちにしても同じだろうがよ。言うとまた無意味に叱られるだろうから、テリオンは腹の中で呟いた。けれど、ぷんすかと怒るオフィーリアを見ていると不思議に溜飲が下がっていく。
せっかく剥いたのに──とは、彼女は言わないけれど。そう言いたげに俯いた姿を見て、まあ勘弁してやるかと折れることにする。
「分かったよ。……じゃあ、もう一つ貰ってもいいだろ?」
「……!」
テリオンの譲歩を聞いて、オフィーリアは祈りが通じたとばかりに顔を上げた。
「はい、勿論です!」
彼女が林檎を持って、テリオンを真っ直ぐ見つめる。
その瞬間、白い毛並みの兎がぴょんと跳ねて、
「どうぞ、召し上がれ」
テリオンの胸の中に飛び込んできた、と思ったのは。
「……あぁ」
──きっと、気のせいだ。断じて。
テリオン相手にちょっと強引なオフィーリアさんが好きです。ちょっと強引過ぎたかもしれない。
「せめてお尻から齧ってください」と怒るオフィーリアのシーンは、いつかサントラジャケットでSS書けたらその時にと取ってあったのですが、永遠にお蔵入りになりそうだったのでここぞとばかりに投入したものです。
privatter公開: 2020/12/15