ひかりのて

「ふーっ、やりきったあ……」
 葉が擦れて騒めきをたて、鳥のさえずりが満ちる。そんなのどかな森の風景にまったくそぐわない、あふれんばかりの武器の山を馬車に詰め込んだアグネアは、思い切り背伸びをしてため息をついた。
 砂漠の覇王たるク国の将軍が、リーフランドの街ウェルグローブの商人から買い取ったという武器を接収せしめたアグネアら一行は、その武器をリューの宿場にて待つ軍師カザンのもとへ運搬する準備をしていたのだった。
 その、決して誰もが気の進まぬ作業を依頼したのはアグネアの旅の連れのひとり、ク国の第二王子である剣士ヒカリ。今、彼は荷物を積みきった馬車をただただ見つめていた。どこまでも険しい顔付きで。
(……ヒカリくん)
 剣士の端正な横顔は彫刻のように真っ白だった。それを見て、アグネアは心を決める。
 ──やっぱり、放ってなんかおけないよ。


「ヒカリくん」
「……アグネア?」
 気遣わしげに呼びかけたアグネアに、ヒカリは一拍の間を経てから振り返る。物思いに耽っていたか、呆然としていたのか、とにかく彼の心がここにないのは明白だった。
 だというのに、アグネアが言葉を続ける前にヒカリはこんなことを言う。
「すまなかったな、そなたにまでこんなことを手伝わせてしまって。戦の準備など、そなたにさせたくはなかったが」
「っ……ううん、いいの」
 そんなことは全然いいんだよ、とアグネアは繰り返す。
「ヒカリくんの夢に……やらなきゃいけないことに必要なら、あたしはいいの」
「……すまない」
 謝り、そしてかたじけない、と独特の言い回しで礼を述べるヒカリ。彼の表情は険しいままで、そして決してアグネアの方を見ようとしない。それこそが、アグネアにとっては気になって仕方ないことで。
「あたしが言いたいのは、そういうことじゃなくって」
「アグネア?」
「ヒカリくん、何だか……何か、我慢してるみたいだから」
「……」
「我慢っていうか……国を取り戻すとか、友達と戦わないといけないこととか、そうじゃなくって……もっと別のことで、苦しんでるように見えたから」


 覇道を歩み続ける祖国を王道へ呼び戻さんとするヒカリの旅路は、森の田舎で平和に暮らしてきたアグネアには遠い世界にも思えてしまうほど過酷なものだ。
 それでも彼は己の理想のため、立ちはだかる者は全て──かつての友ですら斬って道を拓くという。その覚悟に、その背中に待ったをかけるほどアグネアは無粋でないつもりだった。
 だがヒカリの進む道には、立ちはだかる者たちとはまったく別の陰が差しているようにアグネアには見える。
 モンテワイズの闘技場で、そしてここで。試合で打ち勝った瀕死の相手を前に、ヒカリは二度苦しんだ。腰に提げた刀を手が白くなるほど握り締めて何かに耐える、そんな様子が見えた。


「ヒカリくんは……何か、見えない相手とも戦ってるんじゃないかって……それが心配なんだよ」
「……」
 ヒカリが初めてアグネアの方へ向いた。今度こそ呆然と黒い目を開いてアグネアを見つめている。やがて、彼はふっと目元を緩めて薄く苦笑した。
「やはり、友というものはよく友を見ているものだな。オーシュットにも似たようなことを言われた」
「オーシュットが?」
 思わず、アグネアは旅の連れのひとり、狩人オーシュットの方を振り返った。彼女も積み込み作業に一段落ついたようで、地面に座り込んでふわあ、とあくびをしている。
「俺の体から、二人分の匂いがするそうだ」
「……二人分の、匂い……」
 思わずすごいね、とアグネアはつぶやいてしまった。オーシュットの持つ人を超越した感覚と物の見方は、こうしてしばしば仲間たちを驚かせる。
 と、真剣に感心してからアグネアははっと我に返った。
「って、そうじゃなくって! 二人分って、どういうことなの? ……ヒカリくんが戦ってる見えない相手って……」


 訊かれて、ヒカリは黙って目を伏せていた。口を開こうとしない彼を見て、アグネアは急に罪悪感が湧いてくる。
 自分は、触れてはいけないことを訊ねてしまったのかもしれない。


「っ、ごめんねヒカリくん!」
 長い沈黙に耐え切れず、アグネアはぎゅっと目をつぶって頭を下げた。
「あたし、図々しいこと聞いちゃったね……言いたくないことならいいんだ、今のは忘れてっ」
「あ、いや」
 すると、ヒカリも幾分慌てたようにアグネアを制止した。
「頭を上げてくれ、アグネア。そなたが謝る必要はない」
「で、でも」
 おそるおそるアグネアが頭を上げると、ヒカリはなんと微笑んでいた。
「心配してくれたのだろう? その気持ちはとても嬉しい」
「ヒカリくん……」
「だが、そうだな……これは、あまりそなたに聞かせたくはない」
「……そうだよね、ごめん」
「誤解しないで欲しいのは、そなたの気遣いが不要というわけではなく、俺の中でも整理できてないからだ。……俺にも、本当のところはよく分かっていないんだ」
「そう、なの?」
 重ねて問えば、ヒカリはこくりと頷いた。真っ直ぐな眉の間にしわが寄ったその顔はどこか不安そうで、彼にしてはとても珍しい顔だった。
 今まで見たことのないヒカリの表情が、アグネアの胸を突く。
(不安、そうだよね)
 ヒカリの中に巣食っているらしい『見えない相手』のことも、彼が背負っている使命の重さも、アグネアには完全に理解することはできない。でも、それらを背負った彼の心境を想像することくらいなら。


「そうだよね、不安だよね……自分の中に、よくわからないものがあるって」
「アグネア……」
「あたしも、舞台に上がる前はうまくいくかわからなくって、たまにすごく怖くなることもあるんだけど……それを何倍もした感じなのかなって」
 想像して、精一杯寄り添う。そんなことしかできない自分が、アグネアはとても歯がゆい。ヒカリはいつだって、その剣で己の敵だけでなく、アグネアや他の仲間の前に立ちはだかるものを切り拓いてくれたというのに。
「でも、やっぱり違うかな……ごめんね、あたしから切り出したくせに、頼りなくって」
 ヒカリが心配なあまり真正面から訊いてしまったけれど、物事は真っ直ぐぶつかることで常に解決するわけではない。自分にも、ヒカリの前に立ちはだかるものを払う力があればいいのにと思う。
 けれどどうにもできないと解ってしまったアグネアは、仕方なく笑ってその場を収めようとした。
 しかし。


「……アグネア、ひとつ頼みがある」
「え?」
 思いがけず頼みごとをしたいというヒカリに、アグネアの背筋が伸びた。自分にできることがあるなら、と意気込んだ彼女に、ヒカリが告げたのは。
「もし、そなたがよければ、なのだが……手を貸してくれないか」
「手? うん、全然貸すよ! 何したらいい?」
「いや、そうではなくだな。……今、手を、俺の前に」
「??」
 いつになくぎこちないヒカリに戸惑いを覚えつつも、アグネアは片手をそっとヒカリの前に差し出した。
「こう?」
「ああ、それでいい。……嫌だったら、すぐ言ってくれ」


 次の瞬間、アグネアの手のひらをヒカリがそっと握った。


「っふぇ!?」
 突然の触れ合いに、アグネアの肩が跳ねた。青年の、常日頃から剣を握ってきた手は、アグネアの手よりも一回りも大きかった。
「ヒ、ヒカリくん!? ななななにやってんだべさ!?」
 驚きのあまり訛りが飛び出したアグネアに、ヒカリも同じくらい慌てた様子で謝る。
「すっ、すまない! そなたに無礼を働いているのは、分かっている……! だ、だが少しだけ、許してくれないか……そなたが、嫌でなければ」
「っ……」
 正直アグネアは恥ずかしかった、顔が熱くなっているのも感じるし、心臓は舞台が終わったときよりもドキドキと激しく鼓動している。
 でも、嫌なんかじゃなかった。そのうえ手を握るヒカリの顔に、迷子の子供のような必死さが浮かんでいるのに気づいてしまったら、なおさらヒカリの行為を無下にすることなんかできなかった。
「……いいよ、だいじょぶ」
 なんとか頷くと、ヒカリは明らかにほっとしたような表情を浮かべた。
「そうか。……かたじけない」
 そうして、いつの間に力の入っていた手を緩め、今度は両手で包み込むようにしてくる。アグネアはまた一段と頬が熱くなったように感じた。
 ヒカリはそのまま何分も、アグネアの手を捧げ持つように両手で抱えていた。


「そなたの手は、温かいな」
 そろそろアグネアの羞恥心が限界を越えそうになった頃、やっとヒカリがつぶやいた。
「そ、そうかな」
 多分それはヒカリくんがずっと握ってるからだよ、と言いたかったが、唇が強張っていてうまく伝えられない。もちろんそんなアグネアの心中など知らないヒカリがまたつぶやく。
「ああ。……俺は、やっぱり血などは求めていない」
 己に言い聞かせるような不穏な言葉に、アグネアははっと息を飲んだ。


「俺が求めるのは、守るべきなのは……これなんだ」


 己に向けた叱咤、そう読み取るべき口調ではあった。
 しかしなぜか、アグネアにはそれが何かに縋るようにも思えた。そう思うと、激しく揺らいでいたアグネアの心中が急に穏やかになる。
 ヒカリもまた、誰かに守られていいはずだ。たとえそれが剣によるものでなくても。
「ヒカリくんの手も、あったかいよ」
 彼に手を握られている間、ずっと自分の脇で宙ぶらりんになっていたもう片方の手で、ヒカリの手の甲に重ねるように触れる。
「ずっと国のために、友達のために……あたしたちのために戦ってきた、優しい手だよ」
 なんとなく、本当になんとなくだけれど、ヒカリの中に存在する『見えない相手』がヒカリにもたらす不安を、アグネアは感じ取った。
 瀕死の相手を前にして、皮膚が白くなるほど刀を握り締めたヒカリの手。まるで強制的に刀を抜くようヒカリを唆す『何か』。それが、先ほどヒカリが不意に零した言葉が示すことならば。


「もしも不安になったら、いつでも思い出して。そのために、あたしが……あたしたちがいるんだから」


 そうでしょ? と、アグネアはとびきりの笑顔でヒカリに語りかける。
「……ああ」
 ヒカリは頷いて、ようやくアグネアの手を自分の手から解く。森の澄んだ空気が、ひんやりと二人の手に戻ってくる。これから歩むべき現実も、また。
「ありがとう、アグネア。……とても、助かった」
「うん! それならよかったよ」
「もしも、俺がまた道を失いかけたら……その時はそなたの手を思い出そう。必ず」
「……うん」
 もう一度手を握ってもいいよ──なんて、言うことはさすがにできなかったが。それでもアグネアは笑顔のまま頷いた。この笑顔が、自分の存在が、ヒカリの道標になれるのならとても嬉しい。
 みんなを幸せにする、みんなが生きる希望を示す、それがアグネアの目指す“スター”だから。


「では、俺は武器を検めてくる。……アグネアはゆっくり休んでくれ」
「うん。ヒカリくんも無理しないで、ちゃんと休んでね」
 そういうと、ヒカリは微笑んで頷いた。
 馬車に向かう真っ直ぐ伸びた背を見送って、アネアはひとり道の外れに歩いていく。木漏れ日がステージライトのように差し込んでいる場所を見つけると、彼女はつま先でその中心に進み出た。そのまま軽くステップを踏み、軽やかにターンをして、木漏れ日を受けた白い手を真っ直ぐに掲げる。
 踏み荒らされ、武器が山と積まれた馬車が連なるこの場所は、とても舞台に相応しくはなかったが──それでも。
 戦場に漂う血の香りにも、荒地に吹き荒れる砂塵の中でも、自分の舞が、踊子として放つ光が届けばいいのに。そうして、大切な仲間に落ちる陰を照らせたらいいのに。
 アグネアはいよいよ馬車が出発の準備を整えるそのときまで、ひたすら踊り続けた。願うように、祈るように。



だいぶヒカアグにドリーム見ている気がする。字数が膨れ上がりすぎですね。
アグネアちゃんのような立場から、シリアスな状況に置かれた仲間へどのような働きかけをするかが、わたしにとってのオクトラ2創作における永遠の課題だと思ってます。なぜならうちの大陸の主人公なので!


privetter公開: 2023/5/12