花弁の行方
2000文字の必然
薬師アーフェンは旅路の果てを迎えた後も、大陸中の病の治療に尽力することを誓い、その通りに己の信じる道を歩み続けた。どんな病にも、どんな病人に対してもできる限り最高の薬を作り続け、やがて彼の足取りと腕は、いくつもの街で流行病を収束させるまでに至る。
そうして各地を巡るうち、かつての旅の連れと再会し杯を交わしたこともあった。だが同じく大陸中を旅しているはずの踊子プリムロゼには、別れを告げられた後一度も会うことがなかった。それでも、一緒に行かないかと誘った時の彼女の表情を、アーフェンは忘れてはいなかった。
──いまは、一人で信じるものを探したいのよ。
そう答えた時のどこか寂しそうな顔を、片時も。
ある日とある町で、アーフェンが流行病の治療に一区切りつけた時のこと。酒場で己の労をねぎらう彼に、住民の一人が感謝とともにこんな噂を教えてくれた。
「これだけ流行病が落ち着いてくれりゃ、そろそろ紅の女神さんが来てもおかしくないな」
「何だそりゃ?」
エールを飲みかけた口を開いて、アーフェンはその住民に訊ねる。
「知らないか? 最近、流行病があった街にばっかり来る踊子さんがいるってさ。真っ赤な衣装着て、それはそれは綺麗な舞を見せてくれるって。見た人はたちまち魔法みたいに楽しくなるって評判なのさ」
「ほお……?」
記憶を、いや心の奥をくすぐる何かに、アーフェンは気づいた。真っ赤な衣装は分かる、しかし、見た人を楽しくさせる魔法の踊りというのは。いつか自分は誰かのことを、そんな風に言ってみせはしなかっただろうか?
「いつも病気が収まりかけた頃になってやってくるんで、その踊子さんが来たらもう安心だってね。吉兆みたいに言われてるよ」
それを聞いて、いよいよアーフェンは黙り込んだ。たった一人で辿ってきたはずの旅路に、誰かの面影を見た気がした。あの時に寂しそうな顔を浮かべた、誰かの幻を。
「あんた、明日にはここ出るって言ってたけど、もう少しここにいたらどうだい? もしかしたら、女神さんに会えるかもしれないよ」
「……あぁ、そうさせてもらおうかな」
答えた言葉の端は、ほんの少しだけ掠れていた。
──もしかしたら、自惚れでなければ。彼女が、追いかけてきてくれているのだとしたら。
その甘美な期待は、かつて旅路を共にしていた頃から抱き、そして押し隠していた想いに、再び葉を伸ばさせるには十分すぎる光だった。
それから数日後の夜。アーフェンが酒場を訪れると、そこはにわかに活気づいていた。なんでも紅の衣装を纏った、病の終わりを告げる女神とも呼ばれる踊子がやってきたという。そんな人々の囁きを聞いて、アーフェンは心臓を高鳴らせた。やっぱり、彼女だったのだ。
彼は足が浮くように軽いのを感じながら、酒場のマスターに思い切って声をかけた。
「なあ、あそこのテーブルにグラスふたつ、用意してくんねえかな」
やがて舞台に立った踊子は、アーフェンの記憶と変わらず美しく、誇り高く咲く薔薇だった。手を叩いて歓迎する客たちに等しく艶やかな笑顔を投げかけ、しなやかな身体を惜しみなく躍動させる。病める者も健やかな者も皆歓喜して、生きて楽しい時間を過ごす喜びを分かち合った。彼女の踊りには、昔からそんな魔法があった。
客たちが期待する見事な舞を魅せきったプリムロゼは、舞台を降りると真っ直ぐアーフェンのところへやってきた。踊っている時はおくびにも出さなかったが、客の中に自分がいたことに気づいてくれていたのだ。
「よ、プリムロゼ。久しぶりだな」
ちょうどいいタイミングで、バーテンがグラスに葡萄酒を注いでくれる。彼女の名を象徴するような、美しい色がグラスを満たした。
「久しぶり。気が利くじゃない」
微笑んだ彼女は、やはり共に旅をしていた時を彷彿とさせる、相変わらずの調子で。だからこそ、自然とアーフェンの口から言葉が零れ落ちていた。
「ずっと、会いたかったんだ」
「……!」
その時のプリムロゼの顔を、アーフェンはこの先もずっと忘れないだろう。彼女の表情から薔薇の花弁がほろり、ほろりと散って、代わりに桜草が花開いたように、頬が柔らかな色で染まるさまを。
それは初めてプリムロゼが見せた、踊子としてでも、もちろん復讐者としてでもない──彼女の内側に隠されていた少女がはにかむ姿だった。
目を見張るアーフェンの前で、プリムロゼは震える声で答える。
「……会いたかったのは、私の方だわ」
グラスを取ることも忘れテーブルの上で握り締められた華奢な手の上に、アーフェンの無骨な、しかし温かな手がそっと重なった。
この手を取ることを、彼はずっと望んでいた。そして諦めきれず胸に秘めていた想いを、彼女の前で言葉にすることを。
「なあ、プリムロゼ。……俺たち、やっぱ一緒に行かねえか」
オンラインイベントで色んな方にアフェロゼ好きです!って言って頂けたのが嬉しくて書きました。
薔薇が桜草に変わる瞬間はいいものだな…と思っています。
※伸縮小説とは:同じお話を100文字・400文字・800文字・2000文字で書くやり方。発案は氷砂糖さんという方です。