君が幸福を願う夜

 海が近く、一年を通して温暖なコーストランドにも少し冷たい風が目立つようになった頃のこと。
 年齢も、職業も異なる八人が集まる一風変わった旅連れの、そのひとりである神官オフィーリアが突然こう言い出した。


「すみません……わたし、これからどうしてもフレイムグレースに帰らないといけないんです」
「ん? なんか訳でもあるのか?」
 薬師アーフェンが当然の疑問を口に出すと、オフィーリアはおずおずと説明した。
「実はもうすぐ聖火教の祝祭がありまして、大聖堂で行う行事の準備に帰らないといけないんです。式年奉火も終わっていますから、わたしも説話をしなくてはいけなくて」
 そこまでオフィーリアが言うと、何かに思い当たったらしい学者サイラスがぽん、と手を叩く。
「ああそうか、もうすぐ『円卓の祀り』だったね」
「なるほど、もうそんな時期だったか」
 祝祭の名を聞いて納得した剣士オルベリクが頷いた。他の旅人たちも幾人かがああ、と声を上げたが、育ちからかそういったことに疎い狩人ハンイットは首を傾げる。
「『円卓の祀り』? わたしは聞いたことがないな」
 それを聞いて、学者サイラスが蒼い目をきらりと光らせた。
「ほう、それは興味深い。総本山のフレイムグレースがすぐ近くにあるにもかかわらず、シ・ワルキでは聖火教の祝祭を執り行う習慣が薄いのかな?
 いいかい、『円卓の祀り』というのはね……」
 サイラスによる解説をかいつまんで記すと、このようになる。


 『円卓の祀り』は、聖火神エルフリックをはじめとしたオルステラ大陸を見守る十二柱の神々が、初めて一つのテーブルに会したことに端を発した聖火教の大きな祝祭である。神々はこの集いで、オルステラ大陸すべての生きとし生けるものの命を守り育むこと、そして大陸を脅かす魔神ガルデラを討つことを誓い合ったのだという。
 それが転じて、今では教徒たちが共に生きる家族や友人、恋人たちとの絆を喜び、互いの健康と幸福を祈る行事となっている。そういった万人に通ずる祝祭の性格から、日頃あまり聖火教に関心を持たない人々にもこの行事は広まっているのだ。


「……というわけなんだ。オフィーリア君、これで合っているかな?」
「ええ、とても分かりやすい説明でした! さすがサイラスさんですね」
 オフィーリアがにっこりと微笑んだ。対してハンイットはやや顔を引きつらせながら頷く。
「相変わらず長いな、サイラスの話は……だが、周りとの絆を喜ぶ祭りというのはいいことだな」
「そうなんですよね。とても大事なお祭りですから、フレイムグレースの神官たちも、今頃一生懸命準備しているはずなんです。……リアナも帰ってくるはずですし、わたしも急がないと」
 だからわたし一人でもフレイムグレースに行く、とオフィーリアは言う。けれど旅人たちはそれに同意しなかった。
「なんだよ水くせえな、別に俺たちも一緒に行くぜ?」
「うん。聖火教の本尊であるフレイムグレースでどんな風に祝祭を行うのかとても興味があるし、何よりオフィーリア君が説話をするというのなら、それはぜひ聞いてみたいからね」
 俺もだ、とオルベリクが頷けば、商人トレサが目を輝かせながらこう言った。
「それに、お祭りに因む品物を売る出店なんかもたくさんあるって聞いたわ! ねえオフィーリアさん、本当?」
「あらトレサ、聖火教の行事なのに商売っ気出しちゃって」
 踊子プリムロゼが苦笑したが、オフィーリアは意外にもにこやかに肯定する。
「ええ、祝祭の時期には外からたくさんの方が来ますから、大通りはとても賑やかになりますよ。温かい食べ物や飲み物を出してくださるお店もあって、わたしもこっそりリアナと一緒に食べたことがあります」
 その頃のことを思い出したのか、オフィーリアは鈴を振ったようにころころと笑う。そんな彼女を見て、ハンイットもまた微笑んだ。
「わたしは祝祭のこと自体知らなかったし、祭りを見てみたい気持ちはあるな。オフィーリアの話も楽しみだ」
「……って流れだけど、お前はどうなんだ? テリオン」
 話題が変わってから一言も言葉を発さない盗賊テリオンに、アーフェンが尋ねた。どこか意味ありげに笑みを浮かべながら。
 その表情に含むものを察してかテリオンは眉を顰めたのだが、この状況で口にできる答えなど一つしかありはしない。
「……別に俺は構わない」
「わあ……皆さん、ありがとうございます。精一杯おもてなしさせて頂きますね」
 オフィーリアが嬉しそうに手を合わせてお礼を言った。いいってことよ、とアーフェンが笑えば、他の旅人たちも次々頷く。


 それから八人はフレイムグレースへの道程を話し合っていたのだが、不意にプリムロゼがこう零した。
「……また靴を調達しないといけないのよね」
 それを聞いて、旅人たちはああ、と苦笑のようなため息のようなものを漏らす。
 プリムロゼは踊子用のサンダルを旅路でも愛用していて、余程のことがない限りは履き変えようとしないのだ。これで慣れちゃってるのよ、と言って。
「さすがに、雪道はサンダルじゃ無理だものね。どこかで買わなきゃ」
 トレサが顎に手を当てながら考える。商人である彼女のことだ、すでにフレイムグレースへの道中のどこで履き物を買うかを思案しているのだろう。
 一方でオルベリクが言う。
「いっそのこと、ちゃんとブーツを買ったらどうなんだ? すぐに捨てるからって安い物を買うから履きにくいんだろう」
「そんなこと言ったって、ブーツじゃ踊りにくいのよ? 【獅子の舞】だって効果落ちるわよ」
「……歩く安全には変えられないと思うが」
「それに、靴下を履かなきゃいけないのも困るのよね。足を踏む感覚が変わっちゃうから」
 職業上の価値観なのだが、本気で嫌がっている様子のプリムロゼにオルベリクがやれやれとため息をつく。
 そんな時、思案に暮れていたはずのトレサが急に声を上げた。
「ねえねえ、靴下っていえばさー、みんなは贈り物貰った?」
「おお、貰った貰った! 十二神の遣いからの贈り物だろ?」
「……なんのことだ?」
 またも首を捻ったハンイットに、オフィーリアが説明した。
「子どもは『円卓の祀り』の前の夜に、暖炉やベッドの近くに靴下を吊るしておくんです。そうすると、夜中にオルステラ十二神の遣いがやってきて、一年いい子にしていたご褒美にその子の欲しいものが贈り物で届くんですよ」
「ほう……神の遣いが本当にいるのか」
「もちろん、実際は親とかがくれるのよ。小さい時は本当に神の遣いがくれるんだって信じてたけど」
 トレサが昔を懐かしむように笑った。
「あたしは帽子を貰った時が嬉しかったなぁ。みんなは何貰ったの?」
 アーフェンは新品のナイフ(一人前の男になったような気がしたもんだ、と彼は笑った)、プリムロゼはバレッタ(普段使わないような飾りだったわね、と思い出していた)、オフィーリアは物語の本に手製の栞(お花を見るだけで嬉しかったです、と頬を染めた)――などなど、各自が思い思いのものを挙げる。
 そんな年下の面子の会話を聞いていたサイラスが、不意にこんなことを言い出した。


「ところで、キミたちは十二神の遣いの正体を知ってるかい?」
「ん? どういうことだ先生? さっきトレサが言ってたろ、親とかだって」
「確かにそうなんだけど、それではあまりに情緒がないだろう。靴下に贈り物を入れた主が誰かわかった時、キミはがっかりしなかったかい? アーフェン君」
「いや、まあ……そうだけどよ」
「お前の口から情緒という言葉が出るとはな……」
「おやオルベリク、私も少年だった時にはそれなりに夢を見たものだよ? 今も多少は未来に夢を見ているつもりだし、情緒がないというのは心外だな」
「それで、サイラス先生。神の遣いの正体はなんなんですか?」
「ああ、また話題が逸れてしまったね。すまない」
 軽く詫びると、サイラスは話し始めた。曰く彼は少年だった昔から好奇心旺盛で、『十二神の遣い』の正体にも、年齢が十に届く前から薄々気づいていたらしい。
「けれど、どうにも納得がいかなくてね。本当に神の遣いがいないのであれば、わざわざそんな話を持ち出してまで贈り物を渡したりしないだろう。だから、当時の私は図書館でいろいろ調べたんだよ」
「ふふ、サイラスらしいわ」
「それで、答えは見つかったのか?」
 ハンイットが訊くとサイラスは頷いて、講義を続けた。
「言説はいろいろあったが、個人的にとても感銘を受けた説がひとつあってね……そもそも、『円卓の祀り』という祝祭は家族や大切な人たちとの絆を祝う日だろう? だからその日を迎えるにあたって、祝祭の前日の夜にはみんなが一斉に大切な人たちの幸福を願う。その願いが形になったものが、祝祭の日の朝に届く贈り物なのさ。
 というわけだから、『十二神の遣い』の正体とはこの世に生きる人々すべてのことであり、子どもが神の遣いの正体を知るということは、その子どももまた神の遣いとなれるまでに成長した証なんだよ」
「はぁー、なるほどな」
 アーフェンが感嘆の声を上げ、トレサも腕を組んで頷いた。
「言っていることは結局神の遣いは人間ってことだけど、素敵なお話ね」
「そうですね」神官オフィーリアもにっこりと頷いた。「神の遣いはひとりひとりの心の中にいて、人の幸せを願う時に姿を現すんですよ」
「なら、信心深くなかったわたしも神の遣いにはなれるということなんだな」
「そういうことだね、ハンイット君。もっとも、十二神の遣いでなくたってキミの優しさというか、気配りは私たちもいつも感じているけれどね」
「……また、お前はそういうことを言う……」
 眉を顰めたハンイットの言葉に、旅人たちから笑い声が上がる。
「もー、先生相変わらずなんですからー。それはともかく、あたしも今年はちょっと頑張ってみようかしら。せっかくフレイムグレースで祝祭を迎えられるんだもの!」
「頑張るって、商売をだろ?」
 アーフェンはからかうつもりでそう言ったのだが、トレサは大真面目に頷いた。
「当たり前よ! お客さんの望むものを届けるのが商人の役目だもの。『円卓の祀り』だからこそよ」
「おう、そうか。じゃあお手並み拝見てとこだな」
「まっかせて〜!」
 トレサが胸を叩き、それにも旅人たちが笑い声を上げる。


 そんな和やかな連れの様子を一番後ろで見ていたテリオンが、低い声で呟いた。
「……人の幸せを願う日、か。俺は……」
 しかし、ちょうどフロストランド地方から吹いた北風が、言葉の続きをどこかへさらってしまう。
「ん? テリオン、なんか言ったか?」
 呟きを聞きとがめたアーフェンが尋ねるが、テリオンはなんでもないと首を振る。
「……別に。目的地は決まったんだ、とっとと行くぞ」
 そして、八人の旅人たちは聖都へ向かう足を早めるのだった。
 それぞれの胸に灯り始めた、それぞれのささやかな願いを、向かう先の景色に馳せながら。