君が幸福を願う夜

   *


  彼らが聖火の都フレイムグレースに着いたのは、祝祭の二日前のことだった。太陽はほとんど沈みかけ、雪の降り積もった景色には一面薄紫色をした影が覆い被さっている。
 降りしきる雪で霞んだ景色の中で、都に光る暖かい色の灯火を見つけたなら、人はどんなにほっとすることだろうか。旅慣れた八人にとっても、それは例外ではなかった。


「すっかり遅くなってしまったな……完全に日が暮れる前に着けて僥倖だ」
 先頭に立って雪と魔物を掻き分けていたオルベリクが、重々しくため息をついた。
「悪ぃなオフィーリア、急いでたのによ」
 同じく先頭で道を作っていたアーフェンが振り返ると、オフィーリアはとんでもないと手を振ってみせる。
「いえ、お二人のおかげで早く着けたと思います! まさかこんなに雪が積もっていたなんて思ってませんでしたから」
「確かにな……リンデははしゃいでいたが、人間にはちょっとな」
 雪豹のリンデにとって、雪による悪路はむしろ遊び場のようなものだ。勝手に脇道を歩き回っていたリンデを、ハンイットが苦笑しながら呼び戻す。
「でもすみません、ここまで着いてきて頂いたのに申し訳ないのですが……わたしはすぐ大聖堂へ行かなくてはいけなくて」
「準備がいろいろあるんだろう? 私たちのことは気にしないで、行ってくるといい。当日はみんなで大聖堂へ行くからね」
 サイラスの言葉を受けて、他の旅人たちも次々頷く。オフィーリアは彼らにぱっと頭を下げた。
「ありがとうございます! ……それでは、祝祭の日にまた! 楽しんでくださいね!」
 そしてくるりと旅人たちに背中を向け、雪の積もった石畳をものともせず走っていってしまった。彼女の立場を考えればもっと早く着いていなければいけなかったのは間違いないので、焦っているのだろう。


「……あいつ、転ぶなよ」
 そんな彼女の背中を見送りながらぼそりとテリオンが呟いたのを、プリムロゼが耳ざとく聞きつけた。
「あら、心配ならついていけば?」
「……。必要ないだろう」テリオンはふいと視線を街に向けながら言った。「それに、俺たちこそ早く行かないと宿が取れんぞ」
「わぁー、もうお店終わっちゃってるわ! そりゃそうよね」
 一足先に街の様子を見に走っていたトレサが言った。都の目抜き通りには確かに屋台の類が数多く出ていたようで、品物を積んだ荷車やにわか作りのテント、荷車に吊り下げたランタンなどが雪混じりの景色にぼんやりと浮かんでいる。だがほぼ日が沈んだ今、通りを行く買い物客はほとんどおらず、商人たちはだんだん薄くなる明かりの中店仕舞いに追われているようだった。
「どんなものを扱ってるかだけでも聞きたかったんだけどな……」
 がっかりして肩を落としたトレサに、サイラスがまあまあと声をかける。
「あとで酒場に行けば話が聞けるかもしれないよ。まずはテリオンの言う通り、私たちも宿を取らないとね」
「はぁーい」
「宿も空いてるかどうか、というところだな。巡礼客も来ていることだし」
 難しい顔をしたオルベリクが、すたすたと宿の方へ歩いていく。その背中を見つけて、プリムロゼが後を追った。
「ちょっとオルベリク、待ちなさいって……っきゃ!」
 プリムロゼが小さく悲鳴を上げた。フロストランドに入る手前で調達した、履きなれないブーツの底が雪道で滑ったのだ。
 彼女自身倒れるかと思ったその時、腕を掴んだのはアーフェンだった。
「おっと……大丈夫か?」
「っ、え、ええ……大丈夫」
 アーフェンの手を借りながら体勢を立て直しつつ、ありがとう、とプリムロゼが気まずそうに頬を染める。
「履き慣れてないんだから無理すんなよな。……つうか、その靴本当に合ってんのか?」
 フレイムグレースまでの道中、彼女が歩きにくそうにしていたのがアーフェンはずっと気になっていたのだ。もっとも、雪国を旅する時はいつものことだったが。
「サンダルの方で慣れてるって言ってるでしょ。……平気だから、気にしないで。ありがとう」
 といって、やはり重たい足取りでプリムロゼは通りを歩いていく。そんな彼女の背中をじっと見ながら、アーフェンは考えた。そして。
「……なあトレサ!」
「なによーアーフェン?」
 振り向いた商人の少女に、青年は真剣な顔で頼み込む。
「ちと、ものは相談なんだけどよ……」


 一方で、宿探しはなかなかうまくいかなかった。やはり祝祭が近いということで、普段訪れない巡礼客が大勢泊まっているのだ。
「どう頑張っても四人まで、ということか」
 最後の宿から出てきたオルベリクの報告を聞いて、テリオンがため息をついた。街中を探して四人部屋がひとつか二人部屋がふたつ、それが精一杯らしい。
「俺はどこででも寝られるから、宿は構わん」
「馬鹿野郎、こんなとこで野宿したら凍死するか、良くても凍傷起こすに決まってんだろ」
 アーフェンが呆れてテリオンの頭を小突く。ハンイットもそれは最終手段だな、と真面目に頷いた。
「どうにか屋根の下に入れれば、それでいいんじゃないか。毛布さえあればわたしは床でも眠れるからな」
「俺も床で構わない。そうしたら、二人部屋ふたつを男女で使うのが無難だろうか」
 オルベリクの言葉に異議を唱える者は誰もいなかった。屋根と壁、それに暖炉があるなら眠るには十分だ。
 というわけで話がまとまりかけた、その時だった。
「あら? ハンイットじゃない、久しぶり」
「ん? ……エリザ!」
 声をかけられたハンイットが振り返ると、そこにはひとりの聖火騎士が、雪風に赤毛をなびかせながら立っていた。
「皆さんもお久しぶりです。巡礼ですか?」
 聖火騎士エリザは快活に旅人たちへ話しかけてきた。「寒いのに大変だったでしょう」
「ああ、オフィーリアが祝祭の行事に出ると言うから、みんなで見に来たんだ」
「そう。そういえば、式年奉火も終わったんだものね。リアナも一足先に帰ってるはずだし……ところで、皆さん今日はどちらへお泊まりに?」
「あ、あぁ……それなんだが」
 ハンイットが今の状況を説明すると、エリザは思いがけないことを言ってきた。
「なんだ、だったら家使っていいわよ。実家の客間は空いてるし」
「え、いいのか?」
「いいわよ、せっかくの『円卓の祀り』なんだし、皆で楽しくやりましょうよ。うちの両親も喜ぶわ」
 旅人たちはこのありがたい提案を喜んで受け入れ、ハンイット、プリムロゼ、トレサの女性三人がエリザの実家にお世話になることとなった。夕食はあとで酒場に集まって取ることにして、男性陣四人は四人部屋ひとつに荷物を置きに行った。


 火を入れた暖炉で雪に濡れた衣服を乾かしていると、宿を探す時からずっと何かを考え込んでいたらしいサイラスが唐突に言い出した。
「ところで、私が十二神の遣いになるとしたら何が欲しいかい?」
「……なんだ、藪から棒に」
 テリオンが片眉を上げて聞き返すと、サイラスは真面目な顔でこう答えた。
「せっかく『円卓の祀り』なんだ、いい機会だからキミたちに感謝の気持ちを表したいと考えていたのだが、なかなかいい考えが浮かばなくてね。いっそ相談した方が早いかと思ったんだよ」
「……それを先に言うのはどうなんだ……?」
「つうか先生、そういうのむしろ得意なんじゃねぇの?」
 アーフェンが首を傾げた。サイラスが日頃から人間観察に余念が無いことは、旅人たちの誰もが知っている。
「まあ、否定はしないけど……」
「試しに俺の今欲しいもん当ててみろよ、先生」
 どこかわくわくした顔つきでアーフェンが訊くと、サイラスはすぐに言い当ててみせた。
「乳鉢だろう? 底の一部が欠けて練った薬がひっかかると言っていなかったかい」
「おぉ、さっすが先生!」
「でも私がそういうものを贈ったとしても、当人には拘りがあるものだろう? 私の贈ったものがアーフェン君にとって使い易いものとは限らないじゃないか」
「……まあ、そりゃそうだけど」
 そこへ、剣を研ぎながら会話をじっと聞いていたオルベリクがこう言った。
「サイラス、お前なら今までに贈り物くらい貰っているだろう。返したりはしなかったのか」
「……ああ、確かにハンカチとか髪留めとか、そういう物はアトラスダムにいた時に女性から貰ったことがあるね。けれど、単に返すものとして贈る物と今回のとでは、やはり違うじゃないか」
 サイラスは大真面目に言っているのだが、それを聞いた男三人は苦笑するか顔を顰めるかしかなかった。──つくづく、アトラスダムの女性は報われないな。
「けどよぉ先生、そういうのはやっぱ気持ちじゃねぇの? 俺は先生がそうやって考えてくれたもんならなんでも嬉しいぜ?」
「そうかい? それは嬉しいね」
「もちろん、乳鉢だって喜んで使ってやるさ」
 そんなアーフェンを指して、テリオンがあいつも大概だな、と低い声で呟いたのだが、幸か不幸か低すぎた呟きはオルベリクの耳にしか届かない。
 アーフェンの方はそんなことを言われたのも露知らぬまま、腕を組んで目を細める。
「ま、でも相手が喜んでくれるかどうか不安になんのも、分かるけどな……」
「ふふ……やはりキミもそう思うかい、アーフェン君」
 窓の外に向いたアーフェンの視線に、サイラスは何かを勘づいたようだ。口の端に笑みを浮かべながらこう言った。
「それこそ、心配はいらないんじゃないかな。キミの真剣な思いが篭ったものなら、きっと相手も喜んでくれると思うよ」
「……な、なんだよ先生その言い方」
「いやいや、キミの幸福を願う気持ちの形がきちんと届くようにと思っただけさ」
 アーフェンはばつの悪い顔で黙ってしまった。言い返せば何を探られるかわかったものではない。サイラスは相変わらず微笑んでいたが、明らかに青年の様子を面白がっているようである。
 そこへオルベリクがそろそろ夕飯だと声をかけたので、アーフェンはありがたく、サイラスはどこか残念そうに、そしてテリオンはため息をつきながら、外へ出る身支度を始めたのだった。