君が幸福を願う夜

   *


 その夜、フレイムグレースのとある民家では、旅人七人と聖火騎士エリザ、家主である彼女の両親、そしてスティルスノウの用心棒アレークがひとつのテーブルを囲んでいた。
 テーブルの上に所狭しと並べられた、ほかほかと湯気を上げるご馳走の皿を前に、旅人たちが歓声を上げる。
「わーっ、すごいわ! 何でアオカジキのアクアパッツァがあるの!? あたしこれ大好き!」
「こっちのニジザケもすげえよ、まさかフレイムグレースで食えるなんて……バター焼きで小エビのソースだなんて最高だぜ」
「これ、サンシェイドでよく出てきた豆サラダよ。懐かしいわ」
「……全部ハンイットが作ったのか?」
 山羊のチーズをポットに溶かしたものを横目で見ながら、オルベリクが聞く。するとハンイットは珍しく照れたように笑いながら答えた。
「いいや、サイラスとアレークにも手伝ってもらったよ。特にサイラスにはレシピで助けてもらったんだ」
「とか言って、ほとんどあなた一人で作ったじゃないの」
 エリザが肘でハンイットの脇腹をつついて笑う。それを見て、アレークが大きな体を気まずそうに縮め、サイラスが苦笑してこう言った。
「いや、間違いない。私はせいぜい買い物の助言をしたくらいだよ。……とはいえ、キミたちが好きなものを精一杯考えたつもりだったんだが、当たっていたかな?」
「なーるほどな、この品揃えは先生の仕業だったのか」
 あまりにも旅人たちの好みを押さえたメニューの数々に、アーフェンが感心して腕を組む。トレサも明るい緑の目をいっぱいに輝かせて、完璧よと拳を握った。
「すごいわよ、こんないい魚がフレイムグレースで買えるなんて……先生も商人になるべきだわ」
「あはは、とんでもない。それより早く食べないかい、冷めないうちにね」
「それがいいわね。じゃあ皆さん、グラス持って!」
 未成年のトレサを除くみんなのグラスには、アーフェンとプリムロゼが見繕ってきたロゼワインが行き渡る(ちなみにトレサはザクロを絞ったジュースだ)。透き通った薔薇色の液体が、みんなの気分をいっそう盛り上げた。めいめいの席にはトレサが買ってきた人形の形をしたジンジャークッキーが添えられ、またテーブルの真ん中にはみんなで食べられるようにと、オルベリクが調達したチーズの盛り合わせもある。みんなの贈り物が少しずつ集まった食卓は『円卓の祀り』に相応しい彩りで満ちていた。
 ろうそくの明かりで照らされた食卓の周りに皆が落ち着くと、家主を代表したエリザの合図で一斉にグラスを掲げる。
「『 この良き絆の日に (ディエス・ノードゥエ) 』!」
 静かになったのはほんの一瞬だけで、すぐに笑顔と話し声が食堂に弾けるのだった。
「はーっ、本当に美味いぜ、この酒は!」
「だから間違いないって言ったでしょ、もう」
「お前が見つけてきたのか、プリムロゼ?」
「ええそうよ、ワインときたらアーフェンの舌は全然当てにならないんだもの」
「あんなにお酒好きなのに? それにしてもずいぶん長いこと二人で出かけてたのね、仲良し~!」
「ふふ、まあね。そういえばハンイット、出店のクラップフェンは食べてくれた?」
「あぁ、もちろん。確かに美味しかったよ、わたしも作ってみたい味だった」
「けれど、やはりハンイット君の作ったクラップフェンが一番いいね。それにこの、羊肉のシチューが実に懐かしい味だな。馴染みないかと思ったが頼んでみてよかったよ」
「あー、それね! アトラスダムの名物なんでしょ。初めて食べるけどすっごく美味しいわ、お肉柔らかくて最高!」
「本当ね。さすが狩人ってところね、肉の扱いが分かってるわ。……私もハンイットの料理を食べるのは久しぶりだから、すごく嬉しいの。あー、幸せ」
「……そうだな、美味い」
「テリオンもなんとか言ったらどうなんだ? ほれ、この林檎のコンポートお前が好きなやつだろ」
「……感想くらい好きなタイミングで言わせろ」
「わかってねぇなあ、作った側からしたらすぐにでも感想欲しいもんだろうが」
「さっきから、黙々とすごい勢いで食べているよな」
「はは、構わないさ。今ので分かったから。……あぁそうだオルベリク、今日はリンデの面倒を見てくれてありがとう。おかげで心置きなく買い物ができた」
「面倒を見ていたというか……どちらかといえば、リンデが俺に付き合って森に来たようなものだからな」
「あらオルベリク、森で一体何してたのよ?」
「……修行だ。祝祭といえど、体を動かさなければ落ち着かない」
「オルベリクは本当に真面目だなぁ……」
「真面目で済むかよ……? あ、この赤いスープって何の色だったんだっけ?」
「火焔菜だな。煮込むと赤い色が出て綺麗だろう」
「ほんと、綺麗だわ。確かこれ、オフィーリアが好きな料理だったわよね」
「そうそう! こんなに美味しいのに……本当に今夜来られないのかしら? そんなのってひどいわ」
 トレサは真っ赤な色に染まった根菜のスープを飲み込むと、いかにも惜しいというように唸った。
 満ち足りているはずの今夜の集まりで、たったひとつだけ足りないものが、彼らの仲間であるオフィーリアだった。彼女はやはり『しきたり』の通り、今夜も大聖堂の関係者と一緒に晩餐を取ることになっているらしい。
「そうだね……私たちがこんなに素敵な時間を過ごせたのは、オフィーリア君がいてくれたおかげなのにね。何も礼が出来ないのかと思うともどかしくてならないよ」
「本当だな。わたしは初めて聖火教の式典に出たけれど、あんなに感動するものだとは思わなかった」
「あぁ、いい話だったよなあ、オフィーリアの説教さ……」
 旅人たちはしばしその時のことを思い返した。聖火の光を浴びながら話す彼女は、いつもと違う神官としての姿でありながら、確かに自分たちの仲間であることを示しもしてくれていた。アーフェンはあれほどオフィーリアが自分たちの仲間であることを誇りに思ったことはない。
 ──だからこそ、この状況が納得いかないのだ。
「……なあ、テリオン」
 なおも黙ったまま食事を進めている、盗賊の青年の肩を小突く。もう我慢できたものではなかった。
「……いいのかよ、お前は。このまんまで」
「何の話だ」
「とぼけんなよ。お前だってちゃんと考えてたんだろ、渡すもんとかよ」
 テリオンが深々とため息をついた。思い当たるところはちゃんとあるらしい──その様子に、アーフェンはなお畳みかけた。
「きっと待ってんじゃねえのかな、あいつは。多分誰よりも、お前のことをよ」
「……なぜそう思う」
「あのなあ、ずーっと一緒に旅してんだぞ? お前だって……その、知ってるくせに」
「……おたくは分かりやす過ぎるんだよ」
「うるせえ。……つうか俺の話はいいだろ、俺はもうちゃんと伝えたかんな」
 年に一度の祝祭は、今夜きりで終いだ。明日からはいつもの日常に戻っていく。──特別な日だからこそ伝わるもの、伝えなければならないものはあるはずだ。そんな思いを込め、アーフェンは真っ直ぐにテリオンの目を見つめて言った。
「ダチとして言わしてもらうぜ。……後悔、すんじゃねえぞ」
「……」
 テリオンはずっと握り締めていた木の匙を置いた。そして、ただでさえ目つきの悪い碧の瞳をますます細める。
「……まったく、あんたらは揃ってお節介だ」
 やれやれと首を振って、吐き捨てるようにこう言った。
「後悔するかは、俺が決めることだ」
「へえ、そうかい。……ま、好きにしな」
 言い捨てて、アーフェンはテリオンから目を離し、手元に置いていた椀から真っ赤なスープを一気に飲み干した。よく煮込んだ根菜が口の中でほろりと崩れて、彼女の好物だというのも納得の優しい味がする。
 次に横目で見た時には、盗賊の姿はそこになかった。──行き先は一つだろう、彼はとても正直な男だから。
「……まったく、素直じゃねえの」
 苦笑を一つ零すと、きっと訪れるだろう未来を思って、アーフェンは静かにグラスを乾したのだった。


 手に火のないカンテラを持って、テリオンは静かに戸外を歩いていた。昼間は晴れ渡っていたのに、今は天気が変わったのか小さな雪粒がちらちらと顔にぶつかる。この分では、おそらくそう経たないうちにもっとひどく降ってくるだろう。
 窓から漏れる灯りを頼りに、盗賊らしい軽い足取りで難なく凍り始めた石畳の通りを過ぎると、じきに目の前に目的の建物が見えてきた。
「……」
 夜闇の中浮かび上がったそれに、テリオンは思わず足を止める。
 大聖堂はあちこちに据えられたランタンの明かりで赤々と照らされ、堂々とした姿を見せていた。昼間は太陽の光で眩しいほどに煌めいていた十二神の硝子細工も、今は星のように微かな光を放つのみだ。鮮やかな色を成していた十二色のリボンは、夜闇と灯火に染められ昼間とは違う色を見せている。
 幻想的、かつ荘厳とでもいったらいいのか。信仰とはまるで縁のないテリオンにすら、光と影に彩られた大聖堂の姿は畏敬のようなものを抱かせた。自分如きが近づいてもいいのか──長い荒んだ生活の中で培われてしまった卑屈さが、いつにない切実さを以て鎌首をもたげる。
「……ふ、別に関係ないな」
 盗賊は敢えて口に出し、心の中に現れた幻影を打ち払う。
 いつだって自分は自分の為だけに行動してきた。生きるため、自由のため。その時置かれた状況如何に関わらず、心のままに。たとえ今夜が『円卓の祀り』の夜でも、そうしてはいけない道理はないはずだ。
 礼拝堂の中で彼女と目が合った時に見せられた微笑みを、テリオンは忘れてはいない。緊張の中自分の姿を見られて心底安堵したようなその顔は、テリオンの中で密かに芽生えていた身勝手な勘違いを、そのまま望んでしまいたくなるのには十分だった。
 追いかけなくていいの。
 彼女にも人としての幸せがあってもいい。
 後悔すんじゃねえぞ。
 ──うるさい、全部分かってる。テリオンは低く呟いて、再び歩き始めた。
 足音を低くしながら、ざっと建物を見て回る。どこか侵入できそうなところはないか。テリオンは正面から回る気はまったくなかった。そんなことをしたところで追い払われるのは目に見えていたからだ。
「……あれは」
 じっと建物を観察していたテリオンは、窓に誰かの影が映っているのを見つけた。髪を編んだ少女のシルエットは、テリオンにも見覚えのある人物のもので。
 地面からの冷気を嫌って、高床の上に建てられた聖堂の窓に手は届かない。テリオンは素早く辺りを窺うと、柔らかい雪玉を作ってその窓に投げつけた。
 かた、と微かな音を立てて雪が窓にぶつかる。中にいる少女がぴくりと反応し、窓の外の方へ振り向いたのが見える。テリオンはただじっと夜闇の中に立って、時が来るのを待った。


「……ん?」
 不意にした物音に、部屋で休んでいた神官リアナは口をつけていたティーカップから顔を上げた。
「あら、どうしました、リアナ?」
「今、窓に何かぶつかったような……」
「雪じゃないんですか? また降り出してきたって聞きましたよ」
 一緒にお茶を飲んでいたオフィーリアが首を傾げた。
 今の彼女たちは式典のあとに行われる、教会関係者のみの儀式を終えて、晩餐会までのしばしの休憩時間を過ごしていたのだった。もうじきに、聖堂の中の食堂へ行かなければならない時間が来る。
「でも、それにしたって大きい音だったわ。一体なにか──っ!」
 リアナがぷつりと言葉を切った。夜闇の中、外に何かを見つける。カンテラの炎、そして。
「オフィーリア……来たわ。あの人よ」
「……え?」
「本当に迎えに来たのよ、間違いないわ!」
 リアナに引っ張られるままオフィーリアが窓の外を覗くと、確かに誰かの影が見える。カンテラの炎が雪風に揺れ、持ち主のものであろう銀髪を照らした瞬間、オフィーリアは息を飲んだ。
 リアナはすっかり興奮して、立ち竦むオフィーリアの肩を強く掴んだ。
「ねえオフィーリア、これはまたとない機会よ。……どうする? いえ、違うわね。どうしたいのかしら?」
「っ……だけど、わたしは」
「昨日も聞いたわね。オフィーリア、本当は寂しいんでしょう? 見ていれば分かるわ。……だったら、迷う理由なんてない。そうでしょ」
「……」
「オフィーリアは今までだって、今日だって本当に頑張ってきたんだもの。これぐらいは聖火神だって許してくれるわ。……いいえ、友情を尊んだオルステラ十二神ならこれを裏切ることこそ許さないはずよ。なんたって、今日は『円卓の祀り』なんだから」
「……リアナったら、そんなこと聞かれたら司祭様に怒られてしまうわ」
 けれど咎める言葉とは反対に、オフィーリアの顔は泣き笑いのようなかたちをしている。そんな大切な家族に向かって、リアナはにっこりと笑って問いかけた。
「さあ、オフィーリア。あなたはどうしたいの?」


 テリオンがじっと眺めていた雪明りの中で、にわかに影が揺れた。影は次第に大きくなり、さくさくと雪を踏む急いだ足音とともにこちらへやってくる。
「オフィーリア」
 低い声で呼びかけると、フードの間から金髪を覗かせた神官がはっと顔を上げた。
「……テリオンさん……! すみません、こんな寒いところにお待たせしてしまって」
「構わん、来ないと思っていたからな。……良かったのか、抜け出して」
 最後通告のつもりでテリオンが聞くと、オフィーリアは恥ずかしそうに俯いた。悪いことをしているのは分かっていたけれど、ここまで来たらもう戻りたくなんかないと思っていた。
「……大丈夫です。リアナが行ってこいって言ってくれたので」
「ふ、そうか。……じゃあ、行くぞ。皆待ってる」
「……はい」
 オフィーリアは、本当はどうしてテリオンが来てくれたのかを聞くつもりだった。でも、その必要もないのだと知る。
 皆が待っている、その言葉だけで十分だった。カンテラを持つテリオンの背中を追いかけて、足取りが自然と弾んだものになる。
「皆さんもう夕ご飯の時間なんですか?」
「ああ。……ハンイットが全部作ってくれたよ、火焔菜のスープもある」
「本当ですか!? 嬉しいなあ、まだ残ってるでしょうか」
「そりゃ残ってるだろう。あんたが来ると思ってるからな」
「ふふ、嬉しいです。……昨日まで皆さん、楽しく過ごされていましたか? わたし何にもおもてなしできなくて悔しかったから」
「……あんたの説教で十分だよ。それに、あいつら勝手にほっつき回ってたからな」
「そうなんですか?」
 そこでテリオンはぽつぽつと話し始めた。前日の買い物の模様から、当日のはしゃぎぶりまで。
 サイラスが買い物の途中に何人もの女性がわざとハンカチを落としたのに、本人はその意味になんにも気づかなかったこと。ハンイットがスティルスノウの用心棒アレークに熱っぽい視線を向けられていたのに、やっぱりなんにも気づいていないこと。オルベリクが森の中で修行するはずが、じゃれるリンデに負けて普通に散歩していたこと。
 アーフェンとプリムロゼが二人で目抜き通り中の屋台に首を突っ込んで、界隈の話題をさらっていたこと。一方でトレサが目抜き通り中の惣菜や菓子の試食を一通り食べまくり、別の意味で界隈の話題をさらっていたこと。
 この二日間でテリオンが見聞きしてきたひとつひとつに、オフィーリアはくすくす笑って仲間たちの楽しそうな様子を喜んだ。
「良かった、フレイムグレースの祝祭をみんなが楽しんでくれて……」
 そんな彼女の言い草に、テリオンはふ、とため息をつく。
「何で、そんな他人事なんだか」
「え?」
 テリオンは通りの暗がりに立ち止まると、オフィーリアの方を振り返った。その顔にはごく薄い苦笑が浮かんでいる。
「みんなそれぞれ『十二神の遣い』とやらになったっていうのに、あんた自身には何もないとでも思ってるのか?」
「えっ……テリオン、さん……?」
 話が見えないオフィーリアがぽかんと立ち止まった。瞳は真ん丸に開かれ、カンテラの炎に照らされて金色に光っている。
 テリオンは今度こそはっきりと苦笑すると、ポンチョの内側から何かを取り出すような仕草をした。
「手、貸してみろ。……いいから」
「?」
 当惑したままのオフィーリアがおずおずと差し出した手に、テリオンはポンチョから取り出したものを乗せる。
 それは、金色のリボンがかけられた小さな箱だった。
「こ、これ……!!」
「やる。貰っとけ」
 突然押し付けられた贈り物と端的な物言いに、オフィーリアは大いに慌てた。
「え、そ、そんな! 悪いですいきなり……わたし、何もしていないのに」
「ここで返されてもその方が勿体ないだろうが。だから、大人しく貰っとけ」
「……っ、ありがとう、ございます……」
 まだ混乱したままだったが、それでも辛うじてお礼を言ったオフィーリアはその包みをじっと見つめた。──一体、テリオンさんがわたしに贈ってくださるようなものってなんだろう?
 立ち尽くす彼女に、テリオンは言った。
「気になるか? だったら、開ければいい」
「え……いいんですか?」
 テリオンは黙って頷いた。今にも荒れそうな内心を隠しながら──確かにアーフェンの言う通りだ、あげた側からしたら感想はすぐに欲しいものだな。
 オフィーリアはこくりと喉を鳴らすと、貰った包みを開け始めた。寒さと手袋で動かしにくい手先を一生懸命使って、薄い水色の包装紙を解くと、中身は艶のある黒檀の小さな箱であった。品のある箱の佇まいに息を飲んで、オフィーリアはそうっと蓋を開ける。
「……わあ……」
 白いクッションの上に、金の留め具とそこから吊り下がった小さな宝石。カンテラの炎を受けて、薄い水色をした滑らかな表面が碧色の光を微かに放つ。
 テリオンが贈ったのは、磨いた碧閃石をあしらった耳飾りであった。
「綺麗……! いいんですか、こんな綺麗なもの、わたしが頂いても……」
「だから、そう言ってるだろうが」
「……これ、採火燈の色に似てますね……すごく嬉しいです、ありがとうございます」
 礼を言いながらも、オフィーリアの瞳はちらちらと耳飾りの方へ向いていた。どうやら気に入ってもらえたらしいことが伝わってきて、テリオンは内心ほっと息をつく。それでこそ、『仕事』をせずに屋台を覗いて回った甲斐があるというものだ。
 そして箱を握り締めた彼女が、なんとなくそわそわとしていることに気づく。
「着けてみるか?」
 どうやら図星だったらしく、オフィーリアはふわっと頬を赤く染めた。
「え、……そんな、でもわたし、着け方分からなくて」
「だろうよ、どうせ今まで縁なかったんだろうが。……貸せ、着けてやる」
「っ!」
 有無を言わさず、テリオンは彼女から箱を取り上げた。代わりにカンテラを持たせて、手元を照らせと言う。オフィーリアが両手で持ち上げたカンテラの光を頼りに、左手で彼女の髪を掻き上げた。すると普段は髪で隠されていた小さな耳が覗き、思わずテリオンの喉が鳴った。
「……ちと、待ってろよ」
 冷えた指先が触れたせいか、オフィーリアの肩が一瞬ひくりと跳ねる。けれど構わずに、テリオンは手早く片耳に飾りを取り付けた。それから反対側の耳を晒すために髪を除けていく。テリオンの指先がどこかしらに触れる度、ただでさえ紅潮していたオフィーリアの頬はどんどん赤くなっていった。
(……ったく、そんな顔するなよ)
 一瞬内心に過った衝動をため息ひとつでやり過ごし、耳飾りを着け終わったテリオンが手を離す。ちり、と微かな音を立てて、オフィーリアの小さくて白い耳から、碧色の小さな宝石が垂れ下がった。
「……」
 雪風に煽られた彼女の金の髪が揺れ、その間から碧の光が零れる。宝石の透き通るような色は、彼女が元から持っている、凛とした美しさをより引き立てるかのようで。
 想像していた以上の光景に、テリオンは息を忘れた。
「……あの、どう、ですか……おかしく、ありませんか……?」
 黙ったままのテリオンに、オフィーリアが不安そうに眉を下げながら訊ねる。その声にはっと正気を取り戻すと、テリオンは軽く首を振って言った。
「おかしくない。……やっぱり、あんたのような美人には宝石が似合う」
「っ……」
 オフィーリアはぎゅっとカンテラを両手で握り締める。胸がどうしようもなくどきどきと高鳴っていた。まるで物語の中のヒロインになったようで、恥ずかしくて仕方ない。でも、嬉しい。
 だから余計に彼女は申し訳なかった。神官の仕事にかまけてしまって、『円卓の祀り』だというのに仲間たちへ──テリオンへ、何もできなかったことが。
「わたし……わたし、こんなに素敵なものを頂いて……本当に嬉しいのに、すみません、何も用意してなくって……」
「だから、気にするな。……それに、さっきも言っただろう。あんたの説教で十分だって」
「……そんな、あれはわたしが言いたいことを言っただけで」
「だからこそさ。……あんたはあんな風に、俺たちのことを言う必要はなかった。……盗賊なんぞと一緒に旅をして、大事な式年奉火をやり遂げた、なんてな」
 あの時周りにいた熱心な信者や神官たちが浮かべた剣呑な表情を、テリオンは覚えていた。仕方ないだろうなとも思っていた。彼らは所詮『知らぬ者たち』なのだから。
「だが、あんたの話を聞いて俺は……少し、ほっとしたのかもしれない。理由は今はっきりとは言えないが、別にそれでもいいと思ってる。だから、こいつはその礼代わりさ」
「テリオンさん……」
「それに、俺が見たかったんだ。あんたが宝石を着けた姿をな」
「っ……」
 オフィーリアはぎゅっと喉を詰まらせた。言葉にならない感情が胸を突き上げて、苦しくてたまらない。
 嬉しい、のだと思う。孤高の盗賊だった青年に、そこまで言ってもらえたことが。けれど今込み上げている感情は、それだけではない気がする。
「……ずるいです、そんな言い方。なんて言ったらいいか、分からないじゃないですか」
「フッ、別に何も言わなくて構わないさ」
 そう言って、テリオンは彼女からカンテラを取り上げる。もう十分に満ち足りた、あとはオフィーリアを、皆が待つ場所へ送り届ければ自分の役目はおしまいだ。
「さあ、そろそろ行くぞ。料理が冷めちまうからな」
「えっ、……あ、ま、待ってくださいっ」
 さっと振り向いて、テリオンは明かりの残る通りへ出て行った。
 後ろから慌ててついてくる足音を聞いて、自然に微笑みが浮かぶのを自覚しながら。


 オフィーリアがエリザ家の玄関ホールに足を踏み入れると、彼女の耳にも家の中のどんちゃん騒ぎが聞こえてきた。聞き覚えのある声の数々に、思わず笑ってしまいそうになる。
「相変わらずうるさいな……」
 ぼやくテリオンは戻るのも嫌そうだった。本来彼は静かな場所の方が好きなのだ。オフィーリアはくすりと笑うと、テリオンをたしなめるように言う。
「いいじゃないですか、楽しそうで。ここなんですか?」
「まぁな。……いいか、覚悟しとけよ。多分、酷いことになる」
「え?」
 ぱちくりとオフィーリアが茶色の瞳を瞬かせたが、それ以上は何も言わず、テリオンは食堂へ続く扉を押し開けた。
 オフィーリアの視界に、ろうそくで照らされた温かな色の空間が──食卓に並べられた数々の皿とグラス、それを囲む仲間たちの顔が飛び込んでくる。
 突然開いた扉に驚いた仲間たちが一斉に振り返り、そして待ち望んでいた姿を見つけ一斉に歓声を上げた。
「うそぉ、オフィーリアさんだ!」
「え……『しきたり』があるんじゃなかったのか?」
「これは素晴らしい、十二神の遣いの奇蹟が起こったかな?」
「なんと、本当に来るとはな」
「いらっしゃいオフィーリア、待ってたのよ」
「あらあら、こんなところでオフィーリア様に会えるなんて。今夜はびっくりね」
「……神官か」
「ほら、こっち来いよ! お前の為にいろいろ残してたんだぜ」
 アーフェンに手招きされ、テリオンに軽く背中を押されて、トレサに腕を引っ張られながらオフィーリアは席に着いた。
「あたしたちずっとオフィーリアさんが来たらいいなって思ってたのよ。本当に来るなんて!」
「ふふっ、来てしまいました。皆さん今日は楽しかったですか?」
「あぁ、勿論だよオフィーリア君。実にいい日だった、キミのおかげでね」
「待ってろオフィーリア、今からスープを温め直してくるから」
 ハンイットが残してあったスープを温めに台所へ出ていくと、プリムロゼがグラスを持ってオフィーリアの隣に腰かけた。
「良かったわね、無事に来られて。嬉しいわ」
「プリムロゼさん……! テリオンさんが迎えに来てくれたんですよ」
 みんなの歓迎ぶりを嬉しそうに受け止めるオフィーリアを見て、プリムロゼもまたくすっと笑った。
「きっとそうだろうと思ったわ。テリオンたらずっとあなたのこと気にしてたし、アーフェンもけしかけてたしね。……あら」
 プリムロゼの目がふとオフィーリアの耳に止まった。きっと彼女なら気づくとオフィーリアは思っていたけれど、それにしても早い。オフィーリアはまた顔を赤らめた。
「それ、とっても綺麗ね。……テリオンに貰ったのね?」
「……はい、そうなんです。……ちょっと恥ずかしいですけど」
「恥ずかしくないわよ、よく似合ってるじゃない。……さすがテリオンね、見る目があるわ」
「そんな……」
 ますます照れてしまったオフィーリアは思わず俯いてしまった。が、視線が下に向いたことで、彼女もまたあるものに気づく。
「……プリムロゼさん、その靴」
「あら、気づいちゃった?」
 おどけたように言ったプリムロゼだったが、彼女の表情はどこか照れくさそうに見える。それで、オフィーリアにも分かった気がした。この靴の贈り主が一体誰であるのかを。
「ひょっとして、アーフェンさん……?」
「……ええ、そうよ。頑張って選んでくれたらしいわ」
「すごく素敵です! いいなあ……」
 お互いが貰った品物を眺めながら、乙女ふたりは顔を見合わせて笑った。言葉にせずとも、お互いの幸せが理解できたからだ。そんな気持ちを誰かと分かち合えること自体が、オフィーリアにもプリムロゼにも素敵な絆の日の贈り物だった。
 そこへ、アーフェンが酒のボトルを持ってやってきた。
「ん? 何笑ってんだ、二人とも」
「あら、乙女の話を邪魔するなんて無粋よ、アーフェン」
「うふふ、秘密です」
「? まあいいけどよ。ほれ、それよりもう一回乾杯だ! プリムロゼもオフィーリアも」
 じきにハンイットが温め直した料理を持って戻ってきた。同時に改めてワインボトルがテーブルを回り、各自のグラスに注がれていく。オルベリクやサイラスといった元からの酒飲みはもちろん、普段はあまりアルコールを取らないハンイットもこればかりは付き合う。
 一人だけ酒が飲めないトレサはやっぱりザクロのジュースだったが、旅人全員が揃ったテーブルを見回してあることに気づく。
「! ねえみんな、すごいわ。今ちょうど十二人じゃない!?」
「え?」
 何のことだ、とざわつく旅人たちだったが、すぐに反応したのはやはりというか、学者サイラスだった。
「なるほど、十二人か。オルステラ十二神と私たちは同じ数というわけだね」
 旅人が八人、聖火騎士エリザ、彼女の両親が二人に加えて、突然の客人となったアレーク。──確かに、数えたら十二人である。『円卓の祀り』のはじまりの通り、今十二人がひとつの卓を囲んでいるのだ。
「なるほどな。さすがトレサだ、いいことに気づく」
「すげえな、こりゃ幸先良いぜ!」
「素敵ですね……これは聖火神に感謝しないといけませんね」
「何よ、あなたが来なければ揃わなかったのよ? 来てくれてありがとう、オフィーリア」
「本当にね。あとで怒られちゃうかもしれないけど、私もその時は一口乗るからね。……じゃあ、飲み物は揃ったかしら?」
 エリザの問いに旅人たちがみんな頷く。彼女の両親も賑やかな光景に目を細めながらグラスを持ち上げ、アレークも黙ってなみなみとグラスにワインを満たしていた。
「ならば、今度の乾杯の音頭はオフィーリアだな」
 オルベリクが言うと、他の仲間たちも口々に賛成した。思わぬ流れにオフィーリアはびっくりして、あやうくグラスを傾けそうになってしまった。
「え、わたしが……? そんな、悪いです」
「いいじゃないですか、やってくださいよぅ!」
「そーだそーだ、やっちまえよ! せっかく祝祭の夜なんだからよ、本職にお任せしようぜ」
「アーフェン、それはちょっと違うんじゃないかしら」
「まあいいじゃないかプリムロゼ君、今夜は無礼講みたいなものだし」
「……どうしましょう」
 ちら、とオフィーリアは助けを求めるように盗賊の青年の方を見てしまう。ここへ戻ってきて以来、やっぱり彼はだんまりのままだった。
 しかし、テリオンはふいと碧の目をオフィーリアに向けると、意外にも口の端に笑みを作りながら頷いたのだ。
「いいからやっとけ。……多分、このままだと収拾つかなくなる」
「っ……! わかりました」
 オフィーリアはこくりと頷いた。一瞬だけじっと宙を見つめて考えると、こほんと小さく咳払いをする。
 それで、卓に座った面々が一斉に彼女の方を向いた。ろうそくの温かな光に照らされた彼らの顔は一様に期待と喜びに輝いていて、オフィーリアの顔から自然と微笑みが零れた。
「皆さん、今夜は本当に、ありがとうございます。……わたし、悪いことしちゃいましたけれど、ここに来られて本当に良かったです。ここにいる皆さんの、幸せな顔を見ることが出来て、本当に嬉しいです」
 神官の家に育った長い間、祝祭の日にはさまざまな景色を見てきたけれど、これほど生き生きとした喜びを目の当たりにした『円卓の祀り』はなかった。
 きっとオフィーリアはこの夜を一生忘れない。そしておそらく、この一堂に会した彼らも同様に。
「皆さんの旅路は、わたしの旅路は、これからも続いていきます。……その中で、今日という日が、どうか素敵な宝物になりますように。わたしたちの絆に、聖火の導きがありますように」
 この先どんなに辛いことがあっても、その絆こそが、きっと人生という旅路を照らしてくれるから。
 両手を組む代わりに、喜びで満たしたグラスを高く掲げ、旅人たちは心からの願いを込めて唱えた。


『この良き絆の日に、皆が幸福でありますように!』



2019/1/27に頒布した同人誌を再録したものです。2週間で5万字書いた挙句の60pのコピー本とかいうとんでもない代物でしたが、時期が良かったのもあって当サークルで一番早いペースで完売した本でもあります。私も書いていてすごく楽しかったなあ。
読んで下さった皆様ももちろん、あの時製本手伝ってくれた友人もほんとにありがとうございました。
pixiv公開: 2019/12/25