良薬は口に涼し
オルステラ大陸を旅する薬師アーフェンには、最近ひとつの悩みがあった。
(皆しんどそうだよなあ……)
それは──暑さである。
アーフェンは今七人の連れと共にコーストランド地方を歩いているのだが、折しもこの地方は暑い夏を迎えていた。
もともと南の生まれであるアーフェンにとってこのぐらいの暑さはどうということもなかったが、反対に寒い地方で育った神官オフィーリアは歩きながら時々ため息をついていたし、分厚い騎士服を着込んだ剣士オルベリクは服の中に熱がこもって辛いだろう。学者サイラスもローブを脱いでいたし、盗賊テリオンもいつもの葡萄色のマフラーを取っている。狩人ハンイットも毛皮を身に着けていて暑そうだ。商人トレサと踊子プリムロゼは軽装なので他の連れよりはましだろうが、強い太陽の下で歩く行為は疲労をもたらす。
つまり、連れの七人の旅人たちは大なり小なり、暑さにやられているとアーフェンは見ていた。
薬師として、これはなんとかせねば。彼は一考した、そして。
「トレサ! ちょいと手伝って欲しいんだけどよ──」
そんなわけで、次の街である。アーフェンは旅人たちを、宿の一室に集めていた。
「いきなり何かしら、みんな呼んじゃって」
部屋を訪ねてきた踊子プリムロゼは、怪訝さと好奇心の半分混ざったような様子であった。
「珍しいな、こんな風に宿屋の部屋に集まるとは」
「わ、四人で泊まるとこんなに部屋が広いんですね」
狩人ハンイットと神官オフィーリアが入ってくると、部屋の人口密度が一気に上がる。それでも普段あまり使われないらしい四人部屋は、どうにか八人の旅人を収められそうだった。
「アーフェン、このために男は一つの部屋にしたのか」
「やれやれ……」
ふむ、と頷く剣士オルベリクに対し、あからさまに不機嫌になったのは盗賊テリオン。彼はそもそも、大勢で集まるのはあまり好みではなかった。
「まあテリオン君、これから愉快なことが始まるだろうから楽しもうじゃないか。……この瓶がアーフェン君の仕込みかな?」
学者サイラスが愉快そうに部屋の中央を見やる。ベッドを寄せて部屋の中央に空間が作られていて、そこにはテーブルとグラスと、いくつかの瓶がセットされていた。
「アーフェン! 言われた通り買ってきたわよ!」
そこへ商人トレサが、荷物を腕一杯に抱えて部屋に入ってきた。大袋に、酒瓶とつまみになりそうな食べ物が詰め込まれている。
「おっし! じゃあこれからここでみんなでメシだ!」
薬師アーフェンが音頭を取ると、さすがに旅人たちの怪訝そうな視線が彼に集まった。だって食事ならば、酒場や宿の食堂で取ればいいわけで。だがアーフェンは連れに向かって笑いかけると、こう言ったのだった。
「最近暑くてしんどかったろ? だから俺特製の、涼しくなれる飲みもんを皆で楽しもうって思ったのさ。ひんやりするぜ~!」
といって、アーフェンはテーブルの真ん中に置かれた木の器に氷の塊を出してみせた。薬師に伝わる技【氷柱】の力である。そして彼は皆が見つめる中いそいそと、瓶をひとつ開けてグラスに注ぎ、砕いた氷を入れて旅人たちに配って回った。
「遠慮せず飲んでくれ! たくさん作ったからな」
旅人たちはお互いに顔を見合わせたが、アーフェンが何も言わないので、仕方なく三々五々グラスに口をつけた──すると。
「まあ! 甘くて美味しいです!」
「おお……体の中を風が吹き抜けるようだ」
まず、暑さに一番堪えていただろうオフィーリアとオルベリクが感嘆の声を上げた。狩人ハンイットは首を傾げながらもう一口飲んで、それからうん、と頷いた。
「薬草を漬けて作った糖蜜だな? これは……ミントか」
「へえ、洒落たもの作るじゃない」
「美味しい! しかも香りも見た目にも涼しくていいわね!」
感心したようにプリムロゼが微笑み、トレサは目を輝かせて一気に飲み干してしまった。一方でテリオンが黙ったままなので、アーフェンはつかつかと彼のもとへ歩み寄った。
「テリオンはこれじゃつまんねえか?」
「なんだ、薬屋」
「へへん、ちゃーんとこっちも用意してるんだぜ?」
といって、彼が取り出したのは別の瓶。テリオンが半分も口をつけていないグラスに注いでやると、盗賊ははっと息を飲んだ。
「……」
テリオンは最初から眉をしかめたままだったのだが、鼻に漂う香りが引っかかったようですんなりと口を付けた。そして。
「こいつは蒸留酒に薬草を漬け込んだリキュールだぜ。どうだい、テリオンさんよ」
「……あんた、わりと使える男だったんだな」
「使えるってなんだよ! 俺はいつだって役に立つっての!」
「どんな反論だよ、それは」
「酒もあるのか。ならば俺も貰っていいか、アーフェン」
「おお、もちろんだぜ旦那!」
酒好きの男どもが次々とグラスに手をつけ、つまみと共に薬草酒を楽しみ始める。一方でトレサとオフィーリアは、別の瓶に興味深々だった。なぜならその瓶は他と違って、綺麗な青色の液体が入っていたからだ。
「ねえアーフェン、これも飲み物なの? すごい色してるけど」
「おお、そいつか? 立派な飲みもんだぜ、グラス出してみろ」
二人がグラスを出すと、アーフェンは氷を入れて瓶から液体を注ぐ。ほんとうにそれは透き通った青い色をしていて、ランプの光を受けきらめく氷と混じると、暑さを忘れるくらい清々しいものだった。
「わあ……綺麗ですね。聖火の炎みたい」
「へえ、こっちはお茶みたいな味なのね! これはこれで辛い食べ物といけるし、夏にぴったりだわ……!」
「へへん、実はそれだけじゃねえんだぜ」
といって、次にアーフェンが取り出したのはレモンの果実。ナイフで薄切りにすると、おもむろにオフィーリアのグラスの中にそれをぽいと入れてみせた。すると。
「わあっ、色が変わりました!」「す、すっごーい!」
青かったはずの飲み物がたちまち薄紅色に変わる。魔法のような変化に、二人がまた歓声を上げた。
「ほほう、ゼニアオイの色素を使ったんだね。飲み物になるとは知らなかったが……」
横から学者サイラスが興味津々に割り込んでくる。さすがに彼は博識で、アーフェンが種明かししようと思っていたところをあっさり言い当てていた。
「さっすが、よく知ってるな先生。そうそう、こいつはのどの痛みとか、咳に効くんだ。皮膚に対しては湿布にも使えるんだぜ」
「なるほどね。薬草一つでも、やはり実際の使い手によるとこんな風に姿を変えるとは……実に興味深い」
「それにしても、アーフェンがいきなりいろんな果物とか薬草とか調達してくれって言ってきたのはこのためだったのね。全然知らないことばかりだったわ……ねえアーフェン、これいくら払えばいい?」
「はぁ? お代はいいっつうの、皆で楽しむために作ったんだからよ」
「そうだけど、そうじゃなーい! もうっ、アーフェンは自分の力に無頓着すぎるんだから!」
トレサはグラスを握り締めながら地団太を踏むが、アーフェンは苦笑いするだけだった。彼女の商人としてのこだわりなのだろうとは思うが、彼としてはこんなことでお代を取ろうなんて考えはまったくなかった。
一部始終を見ていたハンイットが、穏やかにアーフェンを諭す。
「それだけトレサはあなたの作った飲み物に感動したということだな。気持ちは受け取ってやれ。……わたしとしても、師匠やシ・ワルキのみんなに飲ませてあげたいくらいだ」
「それなら、後でレシピ書いてやるよ。ウッドランドは木のおかげで涼しそうだけど、普通にお茶に入れたっていいしな」
簡単に頷くアーフェンに、ハンイットが思わず苦笑いを零す。
「こーら。そういうところでしょう、トレサが怒るのは」
「いでで! なんだよプリムロゼ!」
いきなり耳を引っ張られて思わず涙目になるアーフェンだった。悪戯の主プリムロゼが茶目っ気たっぷりに微笑みながら、アーフェンにグラスを渡す。
「ほら、あなたの空になってたから入れてあげたわよ」
「お、おう……ありがとな」
入れられたのはもちろん酒の方だ。お疲れ様、とプリムロゼがいうのでかつんとグラスを合わせ、薬師は一気に飲み干した。冷たく薄甘い液体が、爽やかな香りとともに体へ滑り込んでいく。
「ふはあ……沁みるぜ」
「皆のことを気遣うなら、あなたもちゃんと休んで、楽しまないと。ね」
確かに、このところ糖蜜や酒を仕込むのに、アーフェンは薬草を刻んだり漬け込んで様子を見たりと、いつもより遅くまで働いていたのだ。その全てをプリムロゼが知っていたわけではないだろうが、皆の為なら自分を顧みずに熱中してしまうアーフェンの性分を、彼女は重々ご存じだったというわけだ。
「……そうだな、ありがとよ」
こうして逆に気遣われるのはくすぐったい気もしたけれど、嬉しくないわけがない。だから、誰かと旅を続けられている今が尊いのだと、アーフェンは知っている。
暑さをしのぐ楽しい夜は、薬草の爽やかな香りに祝福されながら更けていくのだった。
TWINKLE MIRAGE 25内オクトラプチオンリー企画にて頒布したペーパーのお話です。
あんまりにも熱い夏なので、涼しくなりたくて書きました。ハーブコーディアル、おいしそう…飲みたい…
イベント頒布: 2024/7/28