花弁の行方

800文字の真意

 己の信念を貫いたあの日から、踊子プリムロゼの心は空虚で満たされてしまった。
 だが、それでもこの脚で踊り続けなければならない。そうして独り大陸を漂っていた彼女が辿り着いたのは、流行病から立ち直ったばかりのとある街だった。聞けば、薬師の青年が病の収束の為に尽力してくれた後、患者たちの回復を確かめるとすぐに旅立ったという。ろくにお礼を受け取ることもなく。
 相変わらずね。くすりと微笑んだ彼女は、ふと彼を追いかけてみようと思った。久しぶりに懐かしい顔を見るのも悪くない。こうして、踊子は流行病の噂を追って旅をするようになった。けれど噂が彼女の耳に届く頃には、薬師の方が街を出ていることが殆どで、いつしか彼女は病の終わりを告げる女神と呼ばれるようになる。
 そして今宵もプリムロゼはある町を訪れた。紅の衣装を纏った、女神とも呼ばれた踊子を住民たちが歓迎する。酒場に作られたささやかな舞台から見渡す観客たちの表情は、どれもこれも期待に満ち溢れていた。
 と、彼女はその中にひとり、知っている顔を見つける。初めて見る顔が並ぶ中、彼の表情だけは見慣れた懐かしいものだった。だが踊子はそれをおくびにも出さず、見た者を楽しくさせる魔法を魅せきった。
 舞台から降りた踊子を、彼──かつて旅路をともにした薬師の青年が、相変わらずの気安さで迎える。テーブルの上にはグラスがふたつ用意されていた。
「久しぶり。気が利くじゃない」
 だから、彼女も相変わらずの小憎らしさで応えてみせた。それなのに。
 ──ずっと、会いたかったんだ。
 惜しみなく開かれた笑顔を目の当たりにした今、自分こそこの一幕を、その言葉を求めていたのだと、心の底から揺さぶられるほど思い知る。
 紅い薔薇の花弁がほろり、ほろりと散り、代わりに柔らかな色の桜草が花開く。葡萄酒がグラスを満たすように、プリムロゼは空虚だった心も満たされたように感じた。