3.『交差する手がかり』

「あれがロドリゴって人の家かしら?」
「そのようね。なんだかあからさまに大きい屋敷だし」


 トレサとプリムロゼは、温泉郷の礎を作ったという商人ロドリゴに会うため、彼が住んでいるという屋敷にやってきていた。
 広場の西から伸びる、まだ敷かれて間もないようなきれいに整えられた石畳の通りを上っていくと、白い石を積み上げて作った背の高い塀が目に入る。
 塀の周りにはきちんと鋏の入った木々が等間隔で並んでおり、屋敷の主は細かな景観にも気を配っていることがうかがえた。
 とりあえず塀の一歩手前までやってくると、トレサは塀を見上げてため息をついた。


「うわー、本当に大きい屋敷。ノーアのおうちに匹敵するかも」
 プリムロゼも、塀に施された彫り物や石の積み上げた姿を検分して言う。
「これで装飾のセンスがいいところが憎いわね……宿のデザインもしたっていうし、ちゃんとした技術者を雇えるくらいは稼いでいる、ということね。
 ……さてトレサ、本当に会いに行く?」
 プリムロゼがからかうようにトレサへ流し目をくれる。
 屋敷の佇まいからして、この商人ロドリゴという人物が、名実共にこの温泉郷で大きな力を持っているのは明らかだ。約束もなしに訪ねれば、相当親切な人物でない限り門前払いも十分予想できる。
 トレサも当然その可能性が頭に浮かんでいたから、プリムロゼに答える声はどうしても頼りない。
「もちろんよ! って、言いたいけど……さすがに、ちょっと気は引けちゃうわね……」
 だが、そうも言ってはいられないとトレサは思い直す。
 この屋敷の主は、誰も見いだそうとしなかった、村の人にとっては当たり前だった温泉という『宝物』を発見して、その価値を広めるためにさまざまな手を尽くした大商人だ。
 会って話を聞けば、トレサ自身のためになること間違いない。
「うん、ちょっとドキドキするけど……ここで引いたら商人トレサ・コルツォーネの名折れだわ。あたし、行く!」
 トレサの答えを聞いて、プリムロゼは満足げに微笑んだ。
「それでこそトレサよ。じゃあ、行きましょうか」
 そこへ、気合いを入れ直した二人へ声をかける者があった。


「お前たちも、この屋敷に用があるのか?」


「!」
「あら、オルベリクじゃない」
 一瞬肩を竦ませた二人だったが、現れたのが旅の連れのひとりである剣士オルベリクだったので大いに安堵した。
 トレサが小走りでオルベリクを迎えて尋ねる。
「オルベリクさんも、商人ロドリゴに会いに来たんですか?」
「いや、俺はここにホルンブルグの元騎士がいると聞いてな」
「え、そうなんですか?」
「かつてのあなたの同僚ということ?」
 目を丸くしたトレサに続いて、プリムロゼまで真顔になってオルベリクに尋ねる。オルベリクは重々しく頷いた。
「噂を聞く限り、どうもそのようだ。『水晶の実り亭』に来ていたこともあるという」
「まあ。それじゃ、是非会っていかないとね」
「ああ。お前たちが商人に用があるなら丁度いい、俺も同行させてもらえないか」
「もちろんです! あたしも、オルベリクさんがいてくれたら勇気百倍だわ」


 そこで、三人は揃って屋敷の門へ向かった。門の前にはひとり、武装した門衛の男が立っている。
 塀の周りでたむろしていた時から既に警戒していたのだろう、三人が近づくと、門衛はあからさまに厳しい顔を向けてみせた。
「見たところよそからの旅人のようだが、何用だ?」
 威圧する低い声で誰何されるも、トレサは胸を張ってきっぱりと応答する。
「あたしは旅の商人のトレサ・コルツォーネといいます。こちらは踊子のプリムロゼさん、そしてこちらは剣士のオルベリクさんです。
 あたし街の人からいろいろ聞いて、この温泉郷の商売にとっても感銘を受けたので、商人ロドリゴさんにお会いしてお話をうかがいたいと思ったんです。会うことはできますか?」
「ならん。ロドリゴ様は忙しいのだ、約束もないよそ者と会っている暇などない」
 予想できた通り門衛はにべもなかったが、もちろんそれで引くトレサではない。
「ほんのちょっとでいいんです、いけませんか? 勉強したいだけなんですけど……」
「ならぬものはならん」
 トレサが手を合わせて頼み込んでも、門衛は頑としてトレサの言葉を受け付けない。
 そこへ、プリムロゼが唇を開いた。
「ねえ、門番さん」
 彼女は後ろからトレサの肩に両手をぽんと置いて、門衛へ上目遣いのまなざしを送る。
「この子はね、こう見えてグランポートの、ウィンダム家が主催する品評会で優勝した大商人なの。そして」
 一息置いて、プリムロゼはトレサから手を離す。オルベリクの逞しい腕に自分の華奢な腕を絡めると、剣士を一歩前に引き出した。
「この立派な剣士は、もとホルンブルグの剛剣の騎士よ。そちらの大商人の方も、会う価値はあるんじゃなくって?」
 薔薇色の唇はほんの少しだけ笑みの形に吊り上げて、尋ねる言葉の端は艶っぽく掠れさせて。さらには、宝石の如き煌めきを放つエメラルドグリーンの瞳で、じっと門衛の目を見つめる駄目押し。
 すると、兜の隙間から覗く顔がみるみる赤くなる。
 歴戦の踊子が放つ視線に、彼は耐えきることができなかった。
「……わ、分かった。取り次ぐだけ取り次ごう」
「うふ、ありがと」
 対価とばかりにプリムロゼは片目をつぶってみせる。すっかりたじろいだ門衛は、慌てて使用人を呼び主人への取り次ぎを言いつけるのだった。


「……さすがね、プリムロゼお姉様」
「つくづく、食えん女だ……」
 後ろで連れ二人が恐れ戦いていても、プリムロゼ本人はどこ吹く風で微笑んでいた。


 幸いなことに、商人ロドリゴは予定外の訪問客と会う気になってくれたようだ。
 しばらく待たされたトレサ、プリムロゼ、オルベリクの三人だったが、執事を名乗る男が現れて、三人を屋敷の中へ招じ入れてくれた。
「オルステラ中を八人で旅をされているのですか。それは大層なことで」
「ええ。おかげさまでいろいろと面白い話を聞くことができたわ。それも、この街の温泉に比べたら霞んでしまいますけれど」


(……外見もすごかったけれど、屋敷の中も相当なもんね)
 プリムロゼが執事とさり気ない会話をしているのをいいことに、トレサは屋敷の中にしつらえた調度品や家具などを視線だけで目利きする。
 さすが大商人というべきか、繊細な模様を描く織物をゆったりとしぼって窓へかけたカーテンも、美しい年輪の模様をそのまま生かして磨き抜かれた木製の棚も、さりげなく廊下に置かれている細かな絵が鮮やかに色つけされた陶磁の壺も、何もかもが高級品だ。
 しかも、以前金鉱の街クオリークレストで金鉱を巻き上げていたモーロックの屋敷と比べると、全体的な雰囲気が明らかに上品である。
 なんだか、商人というよりもどこかの貴族の館のようだ。
(そうだわ、レイヴァース家のお屋敷と雰囲気が似ているんだ)
 以前、連れである盗賊テリオンに付き合って訪れたボルダーフォールの有力貴族レイヴァース家の屋敷と、この商人の館にはどこか似た様子がある。
 レイヴァース家の娘コーデリアも、彼女に仕える執事のヒースコートも、品があって心根のいい人たちだったから、同じような雰囲気を持つこの屋敷の主人もきっといい人に違いないと、トレサは思う。
(案外、ロドリゴさんも元々貴族だったりしてね)


 トレサが胸の中で呟いたところで、落ち着いたノックの音が広い廊下に響いた。
「失礼いたします、ロドリゴ様。先ほど申し上げたお客様をお連れいたしました」
 よろしい、入りたまえ──扉の向こうからこれま落ち着いた男の声がする。そして、執事が静かに扉を開いた。


「ようこそ、旅の方。私が商人ロドリゴでございます」


 応接室と思われるゆったりとした広さを持つ部屋で、旅人を立ち上がって迎えたのは、赤いコートと茶色のベスト、ベストと同じ色の半ズボンを着こなした貴族然とした男である。
 彼は栗色の髪をしっかりと油で固めて調えており、鼻の下に同じく栗色のひげをきちんと切り揃えていた。
 ロドリゴが進み出て握手を求めたので、トレサが内心緊張しながらそれに応える。
「は、初めまして。リプルタイド出身の旅の商人、トレサと申します」
「初めまして。グランポートの品評会で優勝した方とうかがっていましたが、まさかこんなに若い娘さんだとは。さぞかし目が利く方なのでしょうね」
「い、いえ。ぼちぼちってとこで……」
「はは、ご謙遜なさらなくとも。そして、あなたが剛剣の騎士オルベリク殿ですね?」
 商人の栗色をした目が、トレサの後ろで堂々と立っている剣士へ向けられた。
 そこで、オルベリクも一歩進み出て商人と握手を交わす。
「ああ。昔、このウォームソレイスにはよく世話になった。随分と発展されたようで驚いている」
「古い住民の方からあなたの噂をよく聞きましたよ。こうしてお目にかかれるとは光栄です。……ここにいるアルノルトも、実はホルンブルグの出身でしてね」
 といって、ロドリゴは壁際に控えている、ひとりの武装した男を手で指し示した。
 男は直立不動の姿勢であったが、ロドリゴが紹介しても──元同僚がここにいるにも関わらず、彼は何も言葉を発さない。ただ、兜の下から覗く青い目だけが、鋭い眼光で客人を見定めるのみであった。
 挨拶の代わりをするように、ロドリゴの方が申し訳ないと客人へ頭を下げる。
「いや、申し訳ございません。アルノルトは街の守りを指揮する役目と私の用心棒を兼ねてこの屋敷に雇っておりまして……しかし、この通り寡黙な男でしてね。まさか、剛剣の騎士を前にしてもだんまりとは……失礼をお許しください」
「いや、構わない。俺はトレサについてきただけだからな。気にせず、どうかこの若い商人の勉強に付き合ってやってくれ」
「よ、よろしくお願いします」
 ぺこりとトレサが頭を下げると、ロドリゴはほっとしたように微笑んで、
「では、さっそく参りましょうか。どうぞ、こちらにおかけください」
 そこで、三人はロドリゴが勧める椅子に腰を下ろした。椅子に張られた天鵞絨のなめらかさといい座ったときの弾み方といい、これも高級な椅子であることは明らかだ。
 執事が給仕してくれた薫り高い紅茶をおともに、トレサはさっそく商人へ質問を始めるのだった。


「ええと、単刀直入に、ですが……どうしてロドリゴさんは、この街の温泉で商売をしようと思ったんですか?」
 最初の質問に、ロドリゴは当然とばかりの笑みを浮かべて答えた。
「それは簡単なことですよ。この地の温泉は素晴らしい価値がありますから。素晴らしいものは世に広く知られるべきです、そうでしょう?」
「本当にその通りだわ!」
 思い描いていた通りの答えが聞けて、トレサは思わず膝の上でぎゅっと拳を握っていた。今日の散策で体験した足湯や温泉卵といったものの素晴らしさは、今もトレサの胸にはっきりと焼き付いている。
「あたしはまだ温泉にちゃんと入れていないけど、足湯だけでもすごく気持ちよかったもの。それに温泉卵もとっても美味しくて……この体験は間違いなく、価値のある思い出よ。もっといろんな人に知って欲しいって、あたしも思うわ」
「そう思って頂けて嬉しいですよ。温泉卵は地元の方が食していたものを観光客向けの商売にしただけですが、足湯は私が考えたものでしてね」
「えっ、そうなんですか?」
「ええ。散策の途中でも気軽に楽しめるようにと……山道を歩くのは慣れない人にはきついものですから、疲労回復にも役に立つと思いましてね。それに足を温めると全身も温まりますから、暑さ寒さの変化が激しい山の中で風邪を引かぬようにするにはうってつけなのですよ」


「ふうん……うちの薬師と同じことをおっしゃるのね」
 プリムロゼが口を挟んだので、ロドリゴはにこりと微笑みながら彼女の方を向く。
「おや、温泉の効果をご存じの方が?」
「私たち、実は八人で旅をしていますの。その中に薬師がいるのだけれど、足湯につかりながらあなたと同じように、足を温めると体全体が温まるという話をしていたものですから」
「なるほど、博識な方がいらっしゃるのですね」
「それで、ロドリゴさん。私は見ての通り踊子ですから、自分を美しく磨くことも仕事のうちですの。この街に売られている『化粧水』が気になったのですけれど、本当に効くのかしら?」
 ことりと首を傾げてプリムロゼが訊ねる。
 ロドリゴは我が意を得たりと微笑んで、立て板に水の如く話し始めた。
「それは、ウォームソレイス温泉郷の自慢の商品ですから。効果はこれまで温泉郷に泊まってきたお客様たちが保証してくれますよ。宿の温泉に浸かって、朝晩たっぷりと化粧水を肌に馴染ませれば、必ず一週間で肌の調子がよくなります。
 だから、我々の宿場街では一週間お泊まりになるお客様に対して割引をしているのです」
「へえ、それは気前がいいのね。『化粧水』、つけてみても一度じゃよく分からなかったけれど……」
 といって、プリムロゼが不審の色すら瞳に滲ませるものだから、トレサは慌てた。
(ぷ、プリムロゼさんっ)
 しかし、招かれてお行儀よく座っている今の状態では、気まずい視線を投げかけるのが精一杯だ。
 トレサの心配をよそに、ロドリゴは悠然と微笑み返してみせる。
「温泉は普通の薬とは違いますからね。もちろん、天然の温泉水由来の化粧水も同じことです。ゆっくりと確実に治していくものですから、ご納得いくまで温泉を楽しまれるのがよいと思いますよ」
「……そう、参考になったわ」
 あっさりとプリムロゼが引き下がったので、トレサは大いにほっとした。
 そこへ、オルベリクが話題を切り替える。


「俺も、気になっていることがある。昨日俺たちは『水晶の実り亭』という宿に泊まっていたのだが、そこで魔物に襲われたんだ。街で話を聞けば、他にも魔物の被害があると聞く。……それについては、貴殿はどう思っているんだ?」
「ああ、それはお気の毒です」
 ロドリゴは申し訳ないと頭を下げた。
「この一年、ウォームソレイスへ魔物がやってくることが増えたのは事実です。
 我々は衛兵を雇って昼夜警戒にあたっているのですが、『水晶の実り亭』の方は街の奥になりますので、どうしても警戒が手薄になりがちなのです。これからは見回りを増やすようにしましょう」
「ふむ、それは何よりだ」
「しかし、そこまで奥の方まで魔物の襲撃があるとなると、本格的に山狩りをする必要があるかもしれませんね。ともかく、オルベリク殿方々がゆるりと温泉を楽しめるよう、全力を尽くしますよ」
 最後は安心させるように柔和な笑みを添えて、商人は自信たっぷりに言い切った。オルベリクは頷くだけで、それ以上は追求しない。ただ、じっと錆色の眼で商人を見つめるのだった。


 そんな時、応接室にノックの音が響いた。ロドリゴは眉をしかめると扉に向かって問う。
「誰だ、お客様がいらっしゃるのだぞ」
「旦那様、申し訳ございません。緊急でお知らせしたいことがございます」
 答えたのは三人をこの部屋まで案内してきた執事の声であった。失礼、とロドリゴが断って立ち上がり、部屋を出て行く。
 トレサはふう、とため息をついてプリムロゼに小声で囁いた。
「何か急ぎの用なのかな?」
 プリムロゼは肩を竦めて答える。
「どうでしょうね。お客様との会合を邪魔するくらいなのだから、あまりいい知らせじゃなさそうだけれど」
「……」
 オルベリクはといえば、相変わらず部屋に控えたままの用心棒──元ホルンブルグ騎士であるところのアルノルトへ、無言で視線だけを向けていた。話しかけてもよいものか、オルベリクの中に躊躇いがあったからだ。
 これが街中の、たとえば酒場などで偶然会ったというのなら、特に気にすることなく「久しぶりだ」と声をかけられただろう。
 しかし今は彼は用心棒、自分は客人である。職務中の者に、いつ主人が戻ってくるか分からない状況で声をかけるのはどうかと思われた。
 だがオルベリクは内心首を傾げてもいた。
(それにしても……無反応が過ぎないか?)
 言ってしまえば、オルベリクは彼のかつての上司でもあるのだ。当時の仲間たちに、自分を敢えて無視するような者はおそらくいなかった──と思いたい。
 だとしたら、今ここにいるアルノルトは職務を忠実に遂行しているだけか、それとも実はオルベリクに対して何かしらの悪い感情を持っていたか、もしくは。
(まさか、誰か別の人間がアルノルトを名乗っている……? ならば、何の為に?)
 しかし、オルベリクの沈思はそこで遮られた。ロドリゴが扉を開けて、申し訳ございませんと慇懃に声をかけてきたからだ。
「急な用事が入ってきてしまいまして。失礼ですが、ここでお暇させてもらえないでしょうか」
 そう言われてしまえば、三人に否を言える理由はない。すぐにプリムロゼが立ち上がって、別れの言葉を述べた。
「それなら、私たちはこれで失礼いたしますわ。お招きいただきありがとうございました」
「い、忙しい中お話してくださって、ありがとうございます!」
 続いてトレサがぺこりと頭を下げると、ロドリゴは再び柔和な笑顔とともにトレサへ握手を求めた。
「こちらこそお訪ねくださり、ありがとうございました。若き商人さん、あなたに幸運の風が吹きますように。引き続き、ゆっくり温泉郷を楽しんでらしてください」
「はい、もちろんです! ありがとうございました」


 こうして、三人は執事に連れられて応接室を出て行った。その様子を、用心棒が直立不動のまま見届ける。
 兜の下に隠された青い眼には、昏い光が宿っていた。
 これまで歩んできた旅路をもたらした、運命を呪うように──あるいは、またとない機会を嗤うかのように。


 門衛から踊子へ向けられた熱っぽい視線をさらりと受け流しながら、トレサたち三人は屋敷の塀のところまで戻ってきた。風が出てきたのか、塀の周りに植えられた木ががさりと音を立てている。
 葉が擦れる音に紛れさせるように、プリムロゼがそっとオルベリクへ囁いた。
「ね、どう思う? あの商人」
「……なんとも言えんな」
 オルベリクはため息をついた。
 強いて違和感があるというなら、商人の所作は完璧すぎて、商人らしさが感じられなかったとは思う。しかし、話を聞く限り温泉郷の運営には真面目に取り組んでいるように見える。
「お前は怪しいと思うのか?」
「『化粧水』のことがね、どうも気になるのよ……女の勘てところかしらね」
「……それを言われると、俺には判断のしようがないな」
「ふふっ、相変わらず真面目なのね」


「ねえ、プリムロゼさん、オルベリクさん。これからどうする?」
 トレサが振り返って訊ねたので、二人は口をつぐんだ。二人とも考えることは同じだった──この若い商人の前で、証拠もないのに大商人と謳われる人物を疑ってみせるのは躊躇われた。
「そろそろお腹空いたから、お昼にしない?って思って」
「まあ、トレサったらさっき温泉卵二つも食べたじゃないの」
「だって、緊張したらお腹減っちゃって……」
「確かに、もうお昼どきは過ぎているのよね。じゃあ、食事にしましょうか。オルベリクも来るでしょ?」
「いや、俺はここに残る。せっかくだから、門衛に用心棒のことでも聞こうと思ってな」
 といって、オルベリクはちらりと塀の方へ視線を向けるのだった。
「そう、分かったわ。じゃ、また後でね」
「あたしたち、広場の方へ戻ってるわね!」 
 手を振ったトレサと、いつもの調子で意味深な微笑みを浮かべたプリムロゼに頷いてみせて、オルベリクはしばし塀の前に佇んで二人を見送った。相変わらず、風は木々の葉をそよがせている。
 それからオルベリクはゆっくりと、塀の周りを門のある方ではなく──屋敷の裏へ回る方へ歩いて行った。木の周りに生えている丈の短い草を踏み締めながら屋敷の裏へ向かって進み、そして。


「……テリオン、いるんだろう?」


 抑えた声で一声放てば、返事の代わりに本人が木から飛び降りてきた。
 さすがの身のこなしと言うべきか、自身が枝の間を擦り抜ける物音は、風で葉が擦れ合う音とほとんど変わらなかった。
「いいのか、下りてきて」
「構わん。どうせ誰も見ちゃいないさ、この街の連中と同じでのんきなもんだ」
 といってはいるが、塀に向けられたテリオンの眼光はあくまで鋭い。彼の思考が言葉通りでないことは、オルベリクにもすぐ読み取れた。
 オルベリクとて、無論盗賊に対してこの屋敷が無防備だとはまったく思っていない。だがわざわざ伝えるまでもないので、別のことを聞いてみた。
「何が目当てなのか、聞いてもいいのか」
「……痘痕を治す薬だとよ。この屋敷の中にあるっていうんだ」
「ほう……」
 伝聞の形でテリオンがいったことに、オルベリクは興味をそそられた。先ほど屋敷の中で交わされた会話と連れの様子が、何か繋がったような気がする。それに。


(こいつが、依頼を受けて盗みをするのか)
 ──それも、盗んでも大して金にはならないようなものを。


「信じたのか?」
「……屋敷に興味があっただけさ。街を築いた豪商の家なんざ、狙いどころとしちゃ当然だろ」
「ふっ、だろうな」
「それと、アーフェンだ」
「……何?」
 唐突に盗賊が口にした連れの名前に、さすがのオルベリクも瞠目した。テリオンは一段と声を低めて剣士に告げる。
「クソ高い宿屋で、どういうわけかあいつが痘痕の病人を診てたぞ。しかも、えらくありがたがられていた」
「……なるほど、やはりか」
 プリムロゼが疑っていた『化粧水』とかいう薬、それからその話をしていたときの、商人のやけに滑らかだった語り口。
(やはり女の勘というものは侮れない、か……)
「何か知ってるのか、旦那?」
「そうだな……」
「……詳しく聞かせろ」
 オルベリクはこくりと頷き、それから黙してテリオンへここから離れるよう足取りで示した。さすがに、今この場でオルベリクの知る事情と推測を話すわけにはいかない。
 テリオンは剣士の躊躇いを察して、彼が塀へ忍び寄った時に使った裏道をオルベリクに案内するのだった。
 木々の間を擦り抜けるように進みながら、オルベリクは胸の内で呟く。
(ヴェルナーよりはるかに小物ではあるが……それでも、油断すべきではないだろう)


   ◆


 一方、街の広場では──。
「サイラスさん、ハンイットさん! ここにいらしたんですね」
 広場の中央で像を眺めていたサイラスとハンイットを、オフィーリアがやっと見つけだしたところだった。
 声をかけると、真っ先にハンイットが振り返る。
「ん? オフィーリアか。散策は楽しかったか?」
「ガウ!」
 リンデも一声吠えたところで、サイラスもようやく像から目を離して振り返った。
「あぁ、オフィーリア君。おや、一人なのかい? 他のみんなは?」
「あ、あはは……いろいろありまして。お二人はここで何を?」
「ああ、実はね……」
 とサイラスが話し始めたところを、ハンイットが「待った」と片手で制す。
「あなたの話は長い。こんなところで立ったまま聞かされたら、オフィーリアが疲れてしまう」
「ん、んん? そうかね。それなら、どこかで休憩した方がいいかな? ……確かに、ちょうど腹も減ってきた気がするな」
「あ、それなら!」
 オフィーリアがぽん、と手を叩いた。そういうことなら、この二人にぜひ食べてもらいたいものがある。


 と、いうわけで──
「……なるほど、実に興味深い」
「これが卵か……? 温泉で茹でるとこうなるとは、自然は不思議なことをする」
「うふふ、味も美味しいですよ?」
 オフィーリアは例の温泉卵を買ってきて、広場の一角に設けられていた休憩スペース(といっても、木の板を丸太に渡して作った簡易なベンチだけだが)でサイラスとハンイットに振る舞ったのだった。
 器の中に入れた卵を匙でつついて食べるというのは、実は案外食に一定の興味がある二人にとっても、かなり『そそる』体験のようだった。
「うむ、なかなかうまいぞ。これは素晴らしい文化だね、他のところではまず見ない。確かに、これを自力で茹でて作るのは難しいだろうね」
「温泉卵の商人さんもそう言ってましたね、これぞ温泉の魔法だって」
「ふふ、気の利いた言い回しだ。トレサが喜びそうだな……それでオフィーリア、あなたはもしかしてわたしたちを探していたのか?」
「あっ、そうなんです! ええっと、どこから話したものか……」
「ふむ。ならばとにかく今日見聞きしたことを順番に話していくといい。重要だと思ったこともその時に思い出せるだろうからね」
「分かりました。それでは……」


 オフィーリアは今日の散策で見たこと、聞いたことを順々に話していった。
 足湯でアーフェンが話した体を温める効果のこと、屋台で売られていた『化粧水』のこと、その場で出会ったフードを被った女性をアーフェンが追いかけていったこと。
 温泉卵売りの青年から聞いた温泉宿の割引制度のこと、そして、商人ロドリゴが宿場街を完成させたのは一年前だったという話。
「魔物が現れだしたのも一年前って、『水晶の実り亭』のご主人がおっしゃっていましたよね? だから、宿場街の完成と魔物には何か関係があるのかもしれないと思ったんです」
「ふむ、そうだね」
 オフィーリアの話を聞いて、サイラスは深く頷いた。
「確かにいかにも関係がありそうだが、ハンイットの推測では確かそうではない、という話だったね?」
「あぁ。宿場街のある場所は、元々村の木こりが出入りしていたらしい。人が出入りしていたところに建物を建てただけというなら、魔物の領域を侵したわけではないからな」
「そうでしたか……」
「何、そう気にすることはない。オフィーリア君の得た手がかりからは、そう推測できるだろうからね。私たちの方が先に別の手がかりを得ていたに過ぎないよ。
 ……では、今度は私たちが聞いた話をしようか」
 といって、サイラスは広場の中央に据えられた山羊の石像を手で指し示した。
「あの見事な石像は、ウォームソレイスに伝えられている『山の主』を象ったものだそうだ。私たちはそこで出会った村人に、興味深い話を聞けたよ」


 それから、サイラスは村人から聞いた話を語り聞かせた。
 山の主の伝説については頷きながら聞いていたオフィーリアだったが、温泉の効果がその伝説にあやかった流言だと老人が語ったことを聞くと、表情を硬くした。
「……嘘、なんですか? 温泉の効果が……?」
 信じられない、とは思ったが、同時にオフィーリアは納得もする。
 温泉自体に本当に肌をきれいにする力があるのなら、村の狩人だというあの少年ユリアンの顔に、痘痕が存在するはずがないのだ。
 だとしたら、化粧水を縋るように買っていたあの女の人も──それどころか、温泉の効果を頼ってやってきている観光客は、全員騙されていることになる。とても許されることではない。
 と、一瞬オフィーリアの心の中に火が燃え上がったところで、いや、と彼女は燃え上がった火がもたらす光に気づく。
 もし本当に温泉の効果が嘘ならば、お客はともかく、元からこの村に住んでいた人たちは何も思わないのだろうか。嘘の効果で温泉を売り出していると知っていて、一年も温泉郷を維持できるものなのだろうか?


 押し黙るオフィーリアを見て、サイラスがどこか嬉しそうに微笑んだ。
「気づいたかい、オフィーリア君」
「……はい。嘘だとしても、おかしいと思います」
「そうだね。この温泉郷が今日まで平和に保たれていること自体がひとつの証左だ。
 ──つまり、温泉の効果……ひいては『山の主』伝説はまったくの無根拠ではない。そして、おそらくこの温泉街を築き上げた商人は、伝説のことをより具体的に把握していて、それを利用しているのだろう」
「……何?」
 ハンイットが眉を寄せた。利用という言葉が引っかかったのだ。具体的に把握し、利用するとはつまり。
 サイラスは微笑みを崩さぬまま、ゆっくりと頷いた。
「オフィーリア君の話のおかげで辿り着けたよ。一週間の割引制度と『化粧水』というやつも、おそらく商人による仕掛けのひとつだね。もし私の推測が正しければ、だが……となると、心配なのはアーフェン君だな」
「えっ?」
「どういうことだ?」
 今度はオフィーリアとハンイットが揃って首を傾げた。どうしてここで、連れの薬師の名前が出てくるのだろう?
 二人の問いに答えるサイラスの青い瞳は、もう笑ってはいなかった。
「考えすぎかもしれないが、万一ということはあるからね。──急いで探しに行こう」


 薬師アーフェンは、宿場街の道ばたでどうしたもんかと頭を捻っていた。
 先ほどの治療でウツクシ草を使い切ってしまったのだが、他の薬草もいくつか補充が必要そうだった。いっそ山に入って探すべきかと思ったが、地理に明るくないアーフェンがひとりで足を踏み入れるのは、さすがに無謀だと思い直す。
 ハンイットかテリオン、はたまたオルベリクか、誰か付き合ってもらえる仲間を探すべきだろう。
 そう思ったアーフェンへ、声をかける者があった。
「こんにちは、薬師のお兄さん」
「ん?」
 振り返ると、薬師ギルドが支給するマントを羽織った見知らぬ男がいた。
「お兄さん、えらく腕がいいんですねえ。先ほど、あちらの宿で治療をなさっていたでしょう」
 見知らぬ男の探るような問いに、アーフェンは簡単に頷いた。
「ああ、そうだぜ。あんたも薬師か?」
「ええ、見ての通り。よろしければ、勉強のために話を聞かせてくれませんか?」
「もちろんだ。あんたの話も聞かせてくれよ」
「なら、いい酒場を知っているので来てくださいよ。ちょうど腹も減る頃でしょうから」
 といって、見知らぬ薬師風の男はさっさと歩き出す。アーフェンは素直にその後をついて行った。


 宿場街にはほとんど宿しかないので、酒場といったら村の居住区にもともと存在している一軒くらいだ。てっきりそちらの方へ向かうと思っていたアーフェンだったのだが、男が足を踏み入れたのは宿場街の大通りを一本逸れた裏路地であった。
 人の行き交う騒めきが遠くなり、なんとなく雰囲気も薄暗くなる。アーフェンは前を行く男へ何気なく訊ねた。
「ほー、こんな裏通りに穴場があんのか?」
「まあ、そんなところで……さ、着きましたよ」
「ん?」
 男に言われて、アーフェンは立ち止まる。着いたと言われても、目の前にあるのは宿屋の壁、振り返っても見えるのは山へ続く低木の薮だけだ。
 酒場はどこだ──と見回したところで、成り行きにはっと息を飲む。
 同時に、アーフェンを案内していた男が唇の端を不気味に吊り上げた。


「すみませんね。腕の立つあなたにいられては商売が立ちゆかなくなりますので
 ──ここで、死んで頂きます」


「ッ!?」
 アーフェンの背後でざっと足音が鳴る。
 ードつきのマントを被って武装した男が二人、アーフェンに向かって短剣を突き出した。油断しきっていた薬師は慌ててマントの下の手斧に手をかけようとするが、不意打ちを仕掛けた二人の人間を、一度に相手できるわけがない。
「くっ──!」
 アーフェンの背筋にひやりとしたものが走った、その時。


「行け、リンデ!」
「ガウ!」


 飛びかかる男よりさらに疾く、白い獣が片方の男へ組み付いた。
 同時に、稲妻の如き疾さで矢が一本、もう片方の男の背中に突き刺さる。
「ぐうっ!」
「くそッ、離しやがれ!」
 矢を受けた男が呻き声を上げ、白い獣──雪豹に押し倒された男が突き放そうと足掻く。
 その有様に、アーフェンを連れ出した薬師風の男が苦々しげに舌打ちした。
「チッ──『水晶の恵みよ』!」
「!?」
 唐突に男が口走った片言にアーフェンが振り返ったその瞬間、裏路地に閃光が迸った。
「うお、眩しっ!?」
「ガウッ!」
 アーフェンは敵が放った光に眼を灼かれて立ち竦んだ。一瞬遅れて雪豹の悲鳴。
 続いて、聞き知った仲間の心配そうな叫びがアーフェンの耳に届く。
「アーフェン、リンデ! 大丈夫か!」
「グウ……」
「ハンイット! アーフェン君は大丈夫かい!?」
「くそ、何も見えない……!」
「ちくしょう、どうなった!?」
 アーフェンが眼を擦ってようやく視力を取り戻した頃、彼に襲いかかった者どもは裏路地から全員消え去っていた。
 代わりに、倒れている雪豹のリンデと相棒の元へやっと駆けつけた狩人ハンイット、遅れてやってきた学者サイラスと神官オフィーリアの姿があった。


「アーフェンさん、怪我はありませんか?」
「お、オフィーリア!? ってかハンイットも先生もなんでここに?」
「それよりアーフェン君、敵がどこへ行ったかは見えたかい? 光の精霊石を投げていたようだが……」
「すまねえ先生、もろに食らっちまって全然見えなかった」
 アーフェンは悔しげに歯噛みした。
 完全に油断していた、酒場など見当たらないような裏路地に入った時点で警戒しておくべきだったのだ。
 肩を落としたアーフェンに、サイラスは気にするなと軽く腕を叩いてやる。
「仕方ないさ。目眩ましまで持っていたんだ、あれは相当手慣れている者の仕業だよ」
「ってもよぉ……ああ、ハンイットもありがとな。すげえ助かったよ、リンデもな」
 閃光で怯んだところを蹴られたらしいリンデの様子を見ていたハンイットが、こっくりとアーフェンに頷いてみせる。
「あぁ、お前が無事でよかった。リンデも大した怪我ではないようだしな」
「じゃあ、リンデはわたしが治療しますね」
 といって、オフィーリアがうずくまるリンデに回復魔法をかけ始める。
 一方で、サイラスは裏路地のあちこちを探っていた。
「ふむ、石畳では足跡もつかないね。これでは後を追いようがないか……それに、こんなところまで普通の人間や客は来ないだろうし……おそらくこの宿の人間もグルに違いない、今の騒ぎのことを聞き込んだところで容易に口を割りはしないだろうな。
 やはり、街ぐるみで“商売”を仕組んでいると見るべきか」
「えっと……先生?“商売”って何のことだ? つーか、なんでみんなここに来てくれたのか聞いていいか?」
 実のところまだ事態を把握しきれていないアーフェンが首を傾げると、サイラスは振り返ってアーフェンに微笑んだ。
「ああ、すまない。けれど、キミのおかげでだいぶ見えてきたよ。まさか、本当にこういうことになるとはね……。
 さて、事情は『水晶の実り亭』に戻って話すとしよう。この街で何が起こっているか、整理をする必要があるからね」
「は……?」
 どうして街そのものの話になるのか?
 愉快そうに青い目を瞑ってみせたサイラスとは対照的に、深刻な顔をしているハンイットとオフィーリアの様子で、どうにかただごとではなさそうだ、ということだけ悟るアーフェンであった。


   ◆


 日が沈みかけた頃、ウォームソレイスの古い宿『水晶の実り亭』にはアーフェンはじめ彼の連れである旅人たちと、宿の女主人アンが一堂に会していた。
「なんだい、あたしも話を聞いていいのかい?」
 どこか怪訝そうな女主人に、学者サイラスはにこやかに頷いてみせる。
「もちろん。あなたは今回の話の依頼人だから、今日までの調査結果を報告しておくべきだろうと思ってね。そして同時に、傍証人として協力をしていただく必要がある──
 今、このウォームソレイスで何が起きているか。その謎に答え合わせをするための」
「答え合わせ……?」
 疑問符を浮かべていたのは女主人だけではない。自分が襲われたというのに、その理由にまったく見当のついていないアーフェンも同様だった。
「先生、そんじゃ何か? 俺が変な奴らに襲われたのも、魔物が出るようになった理由と関係があるってことか?」
 半ば冗談のつもりでそういったアーフェンだったが、サイラスは青い目をきらりと光らせて彼に微笑みかけた。
「まさに。その通りだ、アーフェン君」
「へ?」
 頓狂な声を上げてしまったアーフェンに、プリムロゼが呆れて両手を芝居がかった風に広げてみせる。
「……やっぱりあなた、なんにも分かってなかったのね。これだからお人好しは」
「な、なんだよ!」
 憤慨するアーフェンをよそに、トレサがいつもサイラスから授業を受けるときのようにはい、と高く手を上げた。
「先生、あたしもあんまりよく分かってないんですけど……やっぱり、あの『化粧水』って偽物なんですか? 皮膚病の治療をしていたアーフェンが襲われた、ってことは……」
 トレサの口ぶりからは、あまり信じたくない、そうであって欲しくないという彼女の思いが滲み出ていた。
 それを汲んだようにサイラスは穏やかに頷き、食堂のテーブルに集った仲間たちと女主人を見回した。
 全員の注目が集まっていることを確認し、学者は黒靴の踵をこつりと鳴らして息を吸う。


「では、初めから話を整理していこう。まずは、ウォームソレイスについて分かっていることを洗い出す。
 そこでトレサ君、キミから答えてもらおう……小さな山村に過ぎなかったウォームソレイスに、商人ロドリゴがやってきたのはいつからだったかな?」
「確か二年前って聞いたわ。それから商売の仕組みを考えたりして、一年であの街を作っちゃったのよ」
 トレサは街で出会った温泉卵売りの青年の話を思い出して話す。それを聞きながらサイラスが女主人の様子をうかがうと、彼女も頷きながらトレサの話を聞いている。
「一週間泊まるとだんだん割引率が上がっていくのは、うまいと思ったわ。……でも『水晶の実り亭』はそうじゃないのよね? アンさん、どうしてか聞いていいかしら?」
「そういえばそうですね……」
 トレサの疑問に、温泉卵売りの話を一緒に聞いていたオフィーリアも今気づいた、という顔で顎に手を当てる。
 しかし、女主人が答える前にサイラスがそれを遮った。
「ちょっと、待った。トレサ君、その話はまた後にしよう。今は、分かっていることをテーブルの上に出す必要があるからね」
「ええ……? いいですけど」
 サイラスは自分が話す時も相当長いが、逆に人の話を遮ることも滅多にない。不満と言うよりは不思議そうな表情をしつつ、トレサは引き下がった。


(……)
 部屋の片隅で、女主人がほっとしたように小さく息をついたのを、オルベリクは見逃していなかった。
(『水晶の実り亭』のあり方も重要な手がかり、ということか……?)
 彼が浮かべた小さな疑問をよそに、サイラスの質問は続く。


「そういうわけで、この街の宿場街は一年前にできたというわけだ。これは魔物が出るようになった時期と一致している──が、魔物がウォームソレイスを襲うようになったのと、宿場街建設との因果関係は薄い。そうだったね、ハンイット?」
「……ああ」
 ハンイットはゆっくりと頷いた。
「木こりが出入りしていた周辺に宿場街ができたというだけでは、行動範囲を考えると魔物がそれを恨むことは考えにくい」
「そうだ。だから単純に魔物のことを調査するという目的で考えると、我々に分かることはここで止まってしまう──今のところはね。でも、手がかりはもう一つある」
「……どういうことですか、先生?」
 口を挟んだのは女主人だ。昨日まで見知らぬ関係だった彼女も、すっかりサイラスを先生扱いしている。
 サイラス本人も満更でもないようににこりと笑うと、まったく別の話を始めた。


「アーフェン君。キミが始めにこの街の温泉の話を聞いたときを思い出して欲しいのだが……ウォームソレイスの温泉にはどんな効果があると、エバーホルドの人は言っていたのかな?」
「ん? ああ、覚えてるぜ……入ると元気になるとか、関節痛に効くだとか……そんで、肌にいいって話だったな」
「そう、関節痛という話が出ていたね。これは、オルベリクたちホルンブルグの騎士がかつて通っていたことからも頷ける。ところでオルベリク、関節痛には実際に効果があったのかい?」
「……ああ、そうだな。山間訓練は身体的にも精神的にも負荷が高い、という反動はあると思うが……数日逗留すると体の調子がよくなった、という者は何人もいたぞ」
 ──あの、アルノルトもな。
 という呟きは、胸に収めるオルベリクであった。
 あの頃の彼の青い目は、他の仲間と同様に陽気で、若さと気力に溢れていたものだった。
「けれど、今のウォームソレイスは、どうも関節痛や疲労回復を売り文句にはしていないようだが……それだけ『肌に良い』という効果の方が宣伝効果が大きいと、ロドリゴ氏は判断したのだろうね」
「それはそうよ」
 サイラスの言葉を肯定したのはプリムロゼだった。
「女にとっては誰でも……まあ、男もそうでしょうけれど、美肌というのは憧れよ。もっと美しくなりたい、という欲求は老いも若きも、誰もが持つものだもの。たとえ旅をしていても、ね」
 それを聞いて、こっそり顔を見合わせて笑うのはトレサとオフィーリアだった。旅をしていてもきれいでいたいと思うのだから、普通の暮らしをしている人なら尚更であろう。
 そこへ、オルベリクがぽつりとこんなことを言ったのだ。
「しかし、俺たちが通っていた頃はそのような効果があるとは聞いていなかったぞ」
「えっ、そうなんですか!?」
 トレサとオフィーリアが揃ってオルベリクの方へ振り向いた。サイラスでさえ、ほう、と新事実に大きく瞳を見開く。
 オルベリクが念を押すように女主人の方を振り向いた。
「そうだったな、アンさん」
「……そうです。美肌だとか皮膚病に効くだとか、あたしたちは意識してませんでしたよ。今だって、本当にそんな効果があるのか疑っているんです。
 もしも……もしも、『山の主』の伝説が本当だとしたら、まだしも分かるんですが……」
「それだよ、ご主人」
 我が意を得たりと、サイラスは女主人へにっこりと微笑みを向ける。
「その『山の主』の伝説だ。痘痕の狩人を不思議な温泉に導き、痘痕を治療したという話──おそらく、ロドリゴ氏はその伝説に目をつけたんだろう。
 さて、ここからは『まだ』分かっていない話だ。鍵になるのは、トレサ君たちが気にしていた『化粧水』だね」


 といって、サイラスがことんとテーブルの上に小瓶を置いた。トレサたちが屋台で売っているのを見かけた、透明な液体を詰めた瓶そっくりそのままだ。
「これを買っていた皮膚病の女性を、アーフェン君は追いかけていったんだったね? どんな患者だったんだい?」
「あ、ああ……ひどい湿疹だったぜ。治すために一週間、温泉に浸かるのとその化粧水を塗るのを続けろって宿の主人に言われてたんだとよ。……でも、ああいう湿疹って肌あっためんのはよくねえんだよな……」
「ということは、温泉は逆効果なんですか?」
 オフィーリアのびっくりしたような問いに、アーフェンは躊躇いなく頷いた。
「もちろん肌を清潔にするのはいいんだが、温泉であっためると痒くなっちまう。そしたら、引っ掻いて余計傷つけちまうことになるだろ?
 だから痒み止めと、ついでにちょっとひやってするような薬を調合したんだ。一週間で治るっつっても、それまで痒いまんまじゃつらいだろうから、応急処置でな」
「……で、その様子が誰かさんの目に止まった、というわけね」
 プリムロゼが半眼で苦々しく呟いたのと同時に、ハンイットが合点がいったという風に頷く。
「なるほど……アーフェンを襲った奴らは、アーフェンが皮膚病を治療すると都合が悪いということだな」
「……そんな……」
 トレサが愕然とうなだれた。アーフェンが皮膚病を治療することで誰が不都合となるのか──その答えを求めれば、必然浮かび上がる名前がある。


「しかし、まだ分からないことがあるぞ」
 少なからず衝撃を受けて悄然としている面々の空気を変えるように、オルベリクが疑問をひとつ、皆の前に差し出した。
「テリオンがいうには、屋敷に本物の薬があるらしい。もし本当に本物の薬があるというのなら、こんな風にややこしい手を回してまで『商売』をやる意味があるのか?」
「そうね。それに、わざわざ偽物だってすぐ分かりそうな化粧水を売るのも変な話だわ。温泉の効果は偽物だって噂も今のところ聞いたことがないし」
「……そうですね、確かに、そういう話は出たことがないんですよ」
 プリムロゼの指摘に、宿の女主人も同意して頷いた。
「だから、あたしも理不尽だとは思っても、なかなかロドリゴさんに言えなくてね……」
「『水晶の実り亭』が、一週間の割引制度を使っていないのは、ロドリゴさんのやり方に疑問があるからなんですか?」
 トレサの問いに、女主人は小さく頷いた。
 声を潜めた彼女がいうには、宿場街を建てるにあたって『水晶の実り亭』にはほとんど相談もなかったのだそうだ。割引制度を使って客を取るやり方も、ロドリゴは『水晶の実り亭』には教えなかったという。
「まあ確かにねえ、うちは宿場街の宿より相当安い費用で泊まっていただいてるから、割引なんざやってる場合じゃないけど……他の商売人の話聞いてるとね、なんだかうちだけのけ者にされているような気がしてならないんだよ」
「ふむ……また一つ謎が増えてしまったようだね。おそらく『商売』と関係はあるのだろうが……」
 それきりサイラスは黙り込んでしまった。旅人が集まるテーブルにも沈黙が漂い始める。温泉郷の謎を巡る彼らの議論は羅針盤を失い、暗礁に乗り上げようとしていた。


「……で、どうすんだ? それでよ」


 じれったそうにアーフェンが声を上げた。
「結局魔物が出る原因はわからねえし、ロドリゴって奴はなんか変な商売のやり方をしてるみてえだけど、ホントかどうかもわかんねえ……それは、このまんま放っといていいのかよ?」
 薬師の青年が見開いた瞳には強い光があった。暗礁の中でもひとつ、彼にはどうにも許せないことがあったから。
 即ち、たった今も病気で苦しむ人を、誰かが弄んでいるという事実が。
「俺は嫌だって、思っちまったよ。だって、こんなこと許せねえだろ。誰かの勝手のせいで、まともに治療が受けられねえ奴がここにたくさんいるんだ。んなの、薬師として絶対に放っておけねえよ」
「……あたしも」
 商人の娘も、ぐいと目元を擦って決然と顔を上げる。
「この温泉郷の温泉はとっても素敵だわ。オルステラ中にその素敵さは伝わるべきだって、あたしも思う。……でも、その素敵さを間違ったように利用しているのなら……あたしだって、そんなの我慢できないわ!」
 若い二人の心の内を聞いて、旅人たちも──そしてこの村を郷とする古宿の女主人も、目を見開く。
「はい、わたしも……アーフェンさんとトレサさんの言う通りだと思います」
「そうだな。俺としても、かつて世話になった村が誰かに陥れられているのは見過ごせん」
「いいんじゃない? 村にとってはいいことばかりじゃないでしょうけれど、間違いがあるのなら正されるべきだと思うわ」
「わたしも、このまま放っておくのは納得がいかないからな」
「まったくその通りだね。分からなければ調べればいい──そして、どうするかはすべてが分かってからでも遅くはない。そうだね、アーフェン君、トレサ君」
 サイラスに問われて、若い二人が頷いた。一緒になって他の仲間たちも頷く。
 今やそれぞれの瞳にはそれぞれ意思の光が灯っていた。


 ちょうどその時、食堂の扉が静かに開かれた。微かな気配に真っ先に気づいたオルベリクが振り返ると、そこには彼らも見慣れた紫の装束を纏った盗賊が立っていた。
「テリオン! お前どこ行ってたんだ!?」
「ちっ、声がでかいぞ薬屋」
 驚いて大声を上げたアーフェンへひと睨みくれてから、テリオンはつかつかと皆が集うテーブルへ歩み寄る。
「オルベリク、屋敷の方が騒がしくなってきたぞ。明日討伐隊をひとつ組織して、見回りを強化するらしい」
「ほう……見回り、か」
 オルベリクは片眉を上げて呟いた。昼間商人と話した時に『水晶の実り亭』での魔物襲撃事件を伝えはしたが、女主人から聞いたこの宿の待遇を考えれば。
「ただの見回り……とは、考えにくいね」
「敵も動き始めた、ってことね。さて、どうしようかしら?」
 サイラスもプリムロゼも、それぞれの美貌に愉快そうな笑みを浮かべる。火種がくすぶり始めたところへ、丁度おあつらえ向きの燃料がやってきたのだから。
 トレサも拳を握りこんだ。彼女の明るい緑の瞳に、いまや炎が燃えている。
「こうなったら、直接乗り込んでやるわ! 本人に聞いてやるのが一番よ」
「おう、俺も乗るぜ!」
「まあ、待ちたまえアーフェン君」
 熱くなってテーブルを叩いたアーフェンの肩を、サイラスが宥めるようにぽんと叩く。
「あまり人数が多すぎても動きにくいし、ましてやキミは命を狙われたんだ。屋敷へ乗り込めば下手に相手を煽りかねない」
「じゃあどうしろってんだよ? 俺はこのまま黙ってるなんて絶対に嫌だからな」
「はは。いいね、実にキミらしい──そんなキミには『本物』を探して欲しいのさ。ハンイットと一緒にね」
「へ? 本物?」
 きょとん、とアーフェンが目を瞬かせると同時、ハンイットがはっと息を飲む。
「……サイラス、それはまさか『山の主』を探せといっているのか?」
「ご明察だ。私の考えが正しければ、『山の主』は間違いなく実在する」
「なんだって……!?」
 『水晶の実り亭』の女主人が信じられない、と言わんばかりに声を上げた。
「『山の主』っていったら、この村のもんにとっちゃただの伝説ですよ。一度だって本物を見た人はいやしないんだ」
「いや、ご主人。伝説は侮れないものですよ。一見荒唐無稽な話に見えても、古くから残っている物語には必ず理由がある。もし語られている姿そのものではなくても、丁寧に調べていけばなにがしかの痕跡が残っているものなんだ」
「……」
 そうだろうか、と女主人は黙り込む。一方で、オフィーリアがはっきりと宣言した。
「そういうことでしたら、ぜひわたしも『山の主』を探しに行かせてくださいませんか? 連れて行きたい人もいるんです」
「なるほど、いいだろう。では、商人の屋敷に行く者も決めようか」
「当然、あたしは行くわよ!」
「俺もそちらへ行こう。あいつともう一度会って話をせねばならん」
 直接商人たちに思うところのあるトレサとオルベリクが真っ先に立候補した。
 続けてプリムロゼも「屋敷の門衛はもう私の言うことを聞いてくれるもの」と、周りがそら恐ろしくなることを言いながら名乗りを上げる。
「俺もそっちだ。依頼があるんでな」
 テリオンが続こうとしたところで、ハンイットがいや、と彼を呼び止めた。
「待て、テリオン。あなたはわたしと一緒に山へ来てくれないか?」
「……何だハンイット、珍しいな」
「オルベリクから聞いた。あなたは『本物』を盗むよう依頼されているんだろう? だったら、あなたの目的はこちらに通じる。……それに、あなたの身のこなしと素早さは狩りにもうってつけだ」
 ハンイットの真剣なまなざしに射られ、テリオンは少し居心地悪そうに身を竦めた。
 随分と弱くなったもんだ、と自嘲しながらも、悪くない気分なのがむずがゆい。
「やれやれ、分かったよ」
「ありがとう、これで随分助かる」
 ハンイットは心からの笑みを浮かべた。アーフェンとオフィーリアも頼れる仲間には違いないが、本格的な狩りに彼らが向いているかどうかは別問題だからだ。
「では、私は商人の館の方へ行くとしようか。これでちょうど四人と四人だからね」
 サイラスがそう言ったので、これで隊は決まった。
 方針が見えたことで、旅人たちの表情が一気に引き締まる。もう、机上で謎の欠片を組み合わせる時間はおしまいだ。
 そうして描いた図が正しいかどうかは、この目で確かめなければ分からないところまで辿り着いたのだから。


 今にも飛び出して行きそうな彼らを前に、小さな宿の女主人がごくりと喉を鳴らした。
「……あの、すみません」
 おそるおそる上がった声に、旅人たちが一斉に振り返った。
 注目を浴びて体を緊張させた女主人だったが、それでも小さな声で希う。
「確かに、ロドリゴさんは悪いことをしているかもしれませんが……あたしたちの生活は、この商売で成り立ってるんです。あんまり手荒なことはしないでくれると、ありがたいんだけど……」
「あぁ。もちろん、分かっている」
 彼女の訴えに答えたのは、彼女と古くからの縁があるオルベリクだ。
「俺たちは言ってしまえば部外者だからな。俺たちの行動で村の暮らしを壊すことは、それこそ許されないだろう。だがそれでも、見過ごせんものがある。俺はそれが何なのか、真実を確かめに屋敷へ行くつもりだ。
 そしてもし、その真実が昔世話になったこの村を脅かすものだとしたら……俺は、その脅威からこそ、この村を守りたいと思っている」
 オルベリクの剣の意味、この手の届く限り人々の安寧を守ること。
 そのための剣が必要とされるのなら、力を貸すのが旅路の果てで見いだした信念だ。一度失ってしまったからこそ、今度は二度と手放さない。
 そう決めて、オルベリクは再び旅路を始めたのだから。
「……そうかい。そうだよね、あなたは昔からそういう人だったよ」
 女主人は苦笑して目元を擦る。
 彼女の目には、遠い昔のホルンブルグ騎士たちの集いが浮かんでいた。あの日の彼らもこうして、温泉に浸かりながら──あるいは心づくしの食事に舌鼓を打ちながら、それぞれの理想を語っていたものだ。


 オルベリクの言葉へ同調するように、アーフェンも己の信念を口にする。
「俺もそうだぜ、おかみさん。俺は目の前の病人を救ってやりてえ、それだけなんだ。別に商人をとっちめてえってわけじゃない」
「あたしもです。あたしはただ、この素敵な場所に変なけちがつけられて欲しくない……不正な売り方をされるのが嫌なだけだから。
 だって、不正な売り方のせいで素敵な宝物の光が曇ってしまったら、もったいないでしょ? それをロドリゴさんに伝えたいの」
「わたしは狩人だ。魔物と人間が正しく共存できるように導くのが役目だと思っている。
 もしも人間の営みが魔物を不当に傷つけているのなら、それを正さなければならないが……そのためだけに、人々の暮らしをないがしろにするつもりも勿論ない」
 トレサの懸命な訴えと、ハンイットの冷静な主張も続く。
 言葉こそなくとも、他の旅人たちのまなざしは同様のことを女主人へ伝えていた。
 旅人たちの言葉を聞いた女主人は、参ったよとばかりに笑ってみせるのだった。
「わかったよ。あたしだって、今の状況に納得してる訳じゃないんだ……もしいい方向に変えられるなら、あたしも大歓迎ですよ。お客さんにこんなこと言うのも変だけど、改めて……この村のこと、頼んでもいいかい?」
 旅人たちは彼女の願いに応えて力強く頷く。サイラスがぽんと手を打ち合わせた。
「よし、では決行は明日の朝にしよう。それまで各自、十分に体を休めておくこと。いつも通り、皆が無事でいることが最優先だ」
「そうだな。決して冷静さを失わぬように……思うところもあるだろうが、な」
 オルベリクが重々しく忠告し、皆がそれを真摯に受け止める。


 目の前に立ちはだかる理不尽、未だ全貌の見えない謎──それらに挑む上での心得は、これまでの長い旅路を乗り越えてきた今、全員がよく承知していた。
 ひとつになった意思を前に、オフィーリアが白いかんばせに微笑みを浮かべた。彼女そのものが導きの火であるような、それは清冽な微笑みであった。
「それでは、皆さんに聖火の導きがありますように……!」


 古い宿の小さな食堂を満たした祈りは、集う者たちの決意の姿だ。
 彼らそれぞれの譲れない信念を胸に、いよいよ混迷の夜は明けていく。